鈴木成一と本をつくる#4 「ブックデザインとはなんぞや」
オビはチラシではない
鈴木成一の「超実践 装丁の学校」も、初回からはや1ヶ月が経った。ものすごい暑さと湿気に体力が削られる日々だったが、こうも気候が変わってしまうと、客足も伸びないだろうし、本にも悪影響だよなぁと、本屋 B&B(下北沢)に向かいながら、のぼせた頭でぼんやりと思う。
装丁の学校では、小学館から今秋刊行予定のエンターテインメント小説『誘拐ジャパン』(横関大・著)を題材に、実践的にブックデザインを教えている。最終講評で鈴木が最優秀作品に選んだデザイン案は、実際に採用されるとあって、プロのデザイナーも多数参加するという、前代未聞のワークショップとなった。
講義は配信もされており、いわゆる「業界視聴率」が高いとあって、このレポートを書く私も、回を重ねるごとに緊張感が増している。傍観者である私ですらこの有様なのだから、受講生たちのプレッシャーはなおのことだろう。
『誘拐ジャパン』のストーリーは、総理大臣の孫・英俊を誘拐した犯人たちが政治改革を要求するというもの。「誘拐」という物騒なテーマだが、著者の横関は軽やかな語り口とユニークなキャラクターたちの群像劇で楽しませる。
シリアスかつコミカルな『誘拐ジャパン』の二面性を、ブックデザインの力でいかにひとつの個性として仕立て上げるか。受講生たちは、そんな困難なミッションに挑戦している。
この日は開講前に、紙の専門商社「竹尾」社員が、ファインペーパー(特殊紙)の見本帳についてレクチャーを行った。受講生のなかにはプロとして活躍する者も多いが、紙の基礎的知識に改めて関心を向けていた。紙のセレクトも装丁家の重要な仕事である。編集者やイラストレーターらも巻き込んだワークショップは、さらなる拡張を続けている。
そして夜7時、いよいよ開講である。この夜行われた「再提出ラフ講評」では、第2〜3回での鈴木のアドバイスを受けた受講者たちが練り直したプランを再検討していく。ちなみに今回から表紙カバーのデザイン案は、オビも含めることになった。前回授業後、オビのキャッチコピーが受講生に配られた。それに伴い、毎回定番となった冒頭のミニ講義では「オビデザイン」ついて鈴木が語ることになった。
鈴木はまず“昔話”から始めた。上京して数年が経ったあるとき、某編集者から「デザイナーにオビは作らせない」と言われたという。その編集者は「オビはチラシ。編集者の領分だ」と言い放ったらしい。たしかに、本の性格を端的に伝え、賑やかし、購買欲を煽る惹句が並んだオビをチラシと言うのは、言い得て妙だと感じる。
しかし鈴木の意見は違う。「カバーとオビを組み合わせてはじめて、本の個性が成り立つようにしなくてはいけない」。海外ではオビを巻かない本も多いなか、日本のオビデザインは、独自な出版文化だという。その口ぶりに鈴木の矜持を感じた。
文字を小さくして居住まいを正させる
この講座の進行役を務める小学館の編集者・柏原航輔は、鈴木にデザインを依頼する際、オビデザインが希望通りに進行することはほとんどないと明かした。柏原がデザイナーにオビネームを手渡す際には、目立たせたい煽りから順に文字サイズを「大」「中」「小」などと指定するという。しかし、「鈴木さんは(その指定を)完全に無視するんです。『この煽りは大きくしてください』とかほとんど聞かない」と苦笑する。一方で、上がってきたオビデザインは「(カバーとの調和を含め)完成度が高いから、何も文句が言えない」そうだ。
「編集者はできるだけ煽りをデカくして目立たせたいものなんですが、鈴木さんは逆に小さくして、余白を作ることでメッセージ性を強めようとする」と柏原は言う。対して、鈴木は「小さくすることで深刻さが増す場合があるんです。居住まいを正させるといいますかね」と語り、過去、手がけたブックデザインを例示した。
早見和真の小説『八月の母』(KADOKAWA)は、愛媛県伊予市で実際に起きた集団暴行による少女の死亡事件を題材にした作品だ。カバーには風光明媚なはずの伊予の海と山を、灰色の色彩で切り取った写真が使われている。肝心のオビは真っ白だ。中央には黒で書かれた「彼女たちは、/蟻地獄の中で/必死に/もがいていた。」という文字が小さく、しかし印象的に載っかっている。たしかにこのオビは抑制したがゆえの存在感があり、「深刻さ」が増している。
逆にオビいっぱいに文字を載せ、ダイレクトに訴えるパターンもある。発表当時、大学一年生だという著者・朝霧咲による苦しい青春小説『どうしようもなく辛かったよ』(講談社)のカバーは、青春の息苦しさを表現するための趣向が凝らされている。コートを羽織り、首にマフラーを巻いた少女は、欄干にもたれかかりながら顎を上げて苦しげだが、強い意志を感じさせる眼差しでこちらを睨む。そんな鮮烈なポートレイトを水色の太いオビが巻きつける。
「オビをかけることで、首がさらに上がって見え、水面から顔だけを出して喘ぐような息苦しさを表現しました」
カバーの3分の2を覆っているオビはたしかに水面のようで、少女は圧迫されているようにも見える。そのオビには本のタイトルが大きく書かれている。5人の作家が寄せた推薦コメントもぎっしりで、若き才能に寄せられる大きな期待と、それゆえのプレッシャーや切迫も感じさせる、見事なデザインだ。
圧巻だったのはミステリ短編集『逆転正義』(下村敦史著、幻冬舎)の「カバー・オビ」(と言っていいのだろうか?)だ。四六判より1.5倍大きなカバーの上部を折り返し、表に来た裏面をオビに見立てるというギミックに富んだデザインだ。さらに「オビ」部分ではタイトルの「逆転」が逆さまになっており、本の性格を最短距離で示している。
おまけにカバーを外せば、その裏側にはこの小説のセリフが所狭しと並んでいる。この装丁のアイデアは、鈴木デザイン室の宮本亜由美発案だったようだ。本の個性を活かす大胆な発想は、事務所社員にも受け継がれている。
イラストを手懐ける
オビにまつわるミニ講座が終わったところで、いよいよ本題「再提出ラフ講評」に移った。前回までの「ラフ講評」は二晩にわけて行われたが、この夜は15人のラフを一挙に見ていく。時間が限られていることもありプレゼンは省略。そもそも最初の「ラフ講評」で「説明しないとわからない装丁はダメです」と断言していたので、これが本来の形であるといってもいいだろう。鈴木は事前に提出された装丁案をつぶさに吟味しており、講評では受講者に質問をしつつ、プランを批評していった。
講評のポイントをあげるならば「絵を手懐ける」と「別人格の混在」だろう。前者はイラストについて、そして後者はタイポグラフィの選択についての指摘だ。これらの言葉に、受講生たちはさらに頭を悩ませていくこととなる。
まずは「絵を手懐ける」について見ていこう。
売れっ子イラストレーターを口説き落とし、鈴木からも「これは見っけもんだね。交渉含めてあなたの人徳ですよ」と感心されたのは藤原和枝。そのイラストはたしかに見事な仕上がりだ。鈴木も「これだけの完成度で、絵はもうイジりようがないでしょう。レイアウト・ロゴ・タイポグラフィで見え方が変わるので、そこを工夫してください」と言う。
「この絵を達観して眺めてみる必要があるね。今はまだ絵に対して這いつくばってなんとか食らいついているだけ。視野を広くとって検討し直してほしい。例えば全体を上側にトリミングしてしまうのも手だと思う」
もらったイラストはあくまでもブックデザインの素材である。それをいかに料理するかは、デザイナーの腕にかかっている。イラストを尊重することは大切だが、それはそのまま載せることではない。優先されるのは、本の個性を活かすことである。当然イラストレーターにもこだわりがあるので、そこを立てながら慎重にブックデザインを練っていく。その微妙な作業を「絵を手懐ける」と表現するあたりに、鈴木の哲学が垣間見える。
他にも、街を行く群衆たちの表情をリアルに描いた小守いつみのプランを「ラフのほうがよかったんだよな。色がついたことでそれぞれの人生が全面に出てきて、匿名性が失われてしまったんです。イラストレーターの着色を、フォトショップで工夫してもいいんじゃないでしょうか」と提案する。
水澤アルトが発注した、国会議事堂をシアターに見立てた様子が楽しいイラストについてもトリミングを勧める。「何もイラストをそのまま天地(カバーの上下幅)に合わせる必要はないです。イラストレーターはきっちり合わせて描くものだけど、そこをズラして本の個性に合わせるのが装丁の仕事です」とアドバイスした。
フォントと本の人格
今回はオビが加わったことで、文字のフォント選択に迷いが生じるケースが多々見られた。オビにはさまざまな文言が並ぶ。そのひとつひとつをどう処理するか、細かい判断が必要となる。
前回、タイポグラフィが高評価だった松山千尋は、イラストが加わったことで全体のバランスがやや乱れてしまったか。オビに入り乱れる複数のフォントも、鈴木は気になるようだ。タイポグラフィへの感度が高くとも、複数のテキストを扱う際には迷いが生じてしまう。ここにブックデザインの難しさがある。鈴木は、松山のセンスを認めるだけに、最終回での挽回を期待したい。
犯人グループと誘拐された少年、そして作中で印象的な犬の「キング」が疾走感あふれるイラストで具現化した行川雅代の装丁案。しかしオビを見て鈴木は、「書体がいろいろ混在して、互いを潰し合っちゃってるんですよ。明朝体には明朝体の世界が、ゴシック体にはゴシック体の世界がある。そこを混ぜ合わせちゃっていいのか。もう一度検討してみてください」と促した。
オビの文言ひとつひとつに対してフォントを使い分ける受講者も複数人いたが、そういった手法に鈴木は「場当たり的だ」と手厳しい。フォントはひとつの世界であり、人格である。本の個性・キャラクターを抽出して形にするブックデザインにおいて、複数のフォントを使ってしまうと、本の「人格」がブレるのだと鈴木は言う。
フォントは言葉の雰囲気を捉え、イメージを引き出すのにとても役立つ。だからこそフォントに頼りすぎると散漫な印象を与えてしまう。ここでも「俯瞰で見る」という姿勢が重要なのだろう。
ピクトグラム対決!
ほとんどの受講者がイラストを使ったデザインを提案するなか、少し角度を変えてピクトグラムを使ってきたのが奥田朝子だ。
前回は19人もの登場人物を並べたため、やや煩雑な印象だったが、今回は5人と1匹に絞ることで整理した。また、カバーの赤色に対して鈴木が「赤は難しい。赤は戦略的すぎて、デザインがなかなか勝てない」と難色を示したことを受け、その点も改善。ピクトグラムを金色にあしらったり、タイトルの黒文字を際立たせたり、オビを白にしたことで、赤を諌めることに成功している。
私の目には見事なデザインに見えたが、鈴木は「完成度は高くて及第点だけど、真面目な感じで面白くない。茶目っ気がほしいですね」という。挑発的な赤を使っているわりに、真面目に見えるのがもったいないそうだ。ここまで仕上げたものを一度解体し、遊びを入れるというのは至難の業に思える。一切の妥協を許さないない鈴木の言葉を、奥田はどう受け止めるか。
別の受講生からも突如ピクトグラム案が飛び出し、これが思いがけず鈴木の目を引いた。
もともとは仮面を被った少年の顔を、正面からクローズアップで捉えたイラストを表紙にするプランを持っていた李生美である。仮面はあまりにもミステリアスすぎるという指摘を受けて、素顔の少年に変えてきたが、その表情が「超能力少年っぽい感じ」だと鈴木に評され、攻めあぐねていた。しかし、ここへ来てアナザープランを出してきたのだ。それが4人組が走るさまをピクトグラムで示したものだ。
「うまいよね。シンプルなのにインパクトがある。違和感がありつつ説得力もある。『誘拐ジャパン』に合っているかは検討の余地があるけれど、これを生かす方向性も考えてみてください」
オリンピックシーズンに突如として現れた、李生美の躍動感ある装丁案である。最終コーナーで驚異的な巻き返しを見せる展開もあるかもしれない。
“B級”に舵を切れ
現時点で完成度が高い2作品を紹介したい。
まずは鍋田哲平の案だ。ラフデザインの段階でも比較的評価の高かった、オレンジの表紙だが、鈴木の指摘に従ってタイトル位置を変更。左を向く登場人物3人の横顔の勢いが活かされた。
一方で、鈴木は「3人の顔に目を入れたことでキャラが立ちすぎている」とコメント。前回ののっぺらぼうバージョンのほうが匿名性が際立ち、「誘拐」や「全員共犯」というテーマに沿っていたのではないか、と話す。他にもタイトルロゴがポップで、絵のシリアスなノリと対立しているというが、試行錯誤が仇となっているのかもしれない。また別案として、切り絵を使った案も「ホラー作品として受け止められる可能性がある」と、鈴木は首をひねっていた。
しかし李と同じく、鍋田もここへ来て突如出してきたC案が、鈴木の関心を惹いた。サングラスをかけた誘拐グループの3人組と、小さな日本国旗を咥えた犬のキングが悠々と歩くさまを俯瞰で描いたイラストは、たしかにカッコいい。こちらはタイポグラフィもいい塩梅で配置され、さまになっている。このイラストは鍋田自ら描いたといい、鈴木も「すごいね!」と舌を巻いた。
ただしひとつ鈴木から思いがけぬ指摘が。どうやらカバーに使った緑色が気になるようだ。
「緑色の表紙は売れないと言われているんですよ。まぁデザインには関係ないといえばそうなんだけど」
出版業界でまことしやかに噂される「緑は売れない」説に、どうする鍋田?
ラフの時点で高いデザイン力を見せていた木下悠は、一案に絞って勝負をかけた。鈴木曰く「ちょっと手塚治虫っぽい昭和レトロな感じ」のタッチで描かれた少年が、椅子に縛り付けられたイラストをカバー中央に配置。背表紙には誘拐犯たちと監視カメラがある。袖にちょこんと座る犬もかわいらしい。
さらに全受講生の中で最もオビにもこだわりが見えた。右上がりで斜めに入っているオビは、タイポグラフィの鋭角的な線とあいまって勢いがある。
鈴木も「カッコいいよね。キャッチーで、ポップで、スタイリッシュ」と評価するが・・・・・・。一方で、「完成度は高いけど、読者が本の性格を見誤るよ。誘拐というヤバい事態が起こっているのにカバーデザインが楽しげなんだよな。ある種のネガティブさが足りてない」とも述べた。
鈴木が「おしゃれなカフェになっちゃってるんだよな」とこぼすと、『誘拐ジャパン』の担当編集である柏原も「この小説はいい意味でB級グルメ感があるんですよ。濃い味の焼きそばみたいな感じがほしいです」と注文をつけた。
この段階から、はみ出していくのは難しいだろうことは私にもわかる。“B級”なデザインに思い切って舵を切れるかどうか。ここで木下の真価が問われるかもしれない。
「文句のつけようがないパッケージです」
この日、最後にデザインを発表したのは佐々木だ。「ラフ講評」ではタイポグラフィと造形力が評価されたものの「説明不足」を指摘された。そのうえで「タイポをメインにしながら、登場人物の描写を控えめにしてもいい」というアドバイスがあった。
今回、佐々木が持ってきたのは、前回から一新したデザインだった。鈴木は、「アール・デコ調というか、ロシア・アヴァンギャルドというか。文句のつけようがないパッケージです」と、これ以上はない褒め言葉を口にする。
佐々木は前回の助言をしっかり咀嚼し、持ち前の構成力で、格調高くもどこかポップに、書店でも目を惹きそうなブックデザインに仕上げてきた。革命や戦争をイメージさせ、大戦中のヨーロッパの街中に掲示されたポスターのような趣も面白い。
鈴木がこうも絶賛するのは珍しい。一方で、時にもの言いたげな表情を浮かべていたのが気になった。結局、鈴木は「ものとしての落ち着きに満ちているが、どこかに挑発があってもいいのかな」と言うに留めた。
これで全発表が終わった。現時点で佐々木が一歩リードというところだろう。佐々木には前回案を一新して、評価を逆転させたという経緯がある。次回で、別の受講生が予想外の飛躍を果たしたとしても驚かない。傍目にはとても面白い展開だが、運命の日は近い。すべては8月7日に決まる。
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さて、恒例となった講義後の打ち上げである。数人のスタッフたちとともに鈴木を囲むなか、今回、指摘の目立った文字フォントの不統一について話題が及んだ。「文字っていうのは声なんだよ」と鈴木は切り出す。
「千差万別の人の声のように、文字にも無数の声音がある。この本はテノールだな、ソプラノだなって感じたら、その声を信じて形にしなくちゃいけない」
ということは、フォントが織りなすハーモニーもあるのだろうか。と思ったが、芋焼酎のおかわりが来て話が変わってしまい、それは聞けずじまいだった。
続いて、佐々木案に対する、慎重なリアクションについて真意を尋ねた。デザイン性はずば抜けているものの、『誘拐ジャパン』の個性のど真ん中を射抜いているようには見えなかったーーということだと私は推測したが、どうだろう。「本当にツッコミどころがない、いいデザインなんですよ」と、半ばお手上げといった表情で語りだした。
「パッケージとして完成されていますよ。たしかに安里さん(筆者)が言う通り、『誘拐ジャパン』という小説の個性をガッチリ摑んでいるかといえば物足りない部分はある。でも書店に並ぶ本としては大したクオリティです。佐々木さんは、僕のようにひとつひとつの本にあわせて正解を探るタイプとは違って、自らの世界観を既に持ったアーティスト・タイプなんですよね」
自らとは真逆のアプローチでありながら、魅力的なカバーに到達した。それを鈴木なりに尊重したリアクションだったということだろう。毎日新聞で毎週連載する装丁批評「Cover Design」でもそうだが、鈴木は自らの発想からは出てこないようなデザインに評価軸を置いている気がする。
この夜もいつもと同じように芋焼酎ロックをダブルで飲みまくっていた鈴木は、おかわりを頼んだあとで、ブックデザインへの思いを語り始めた。
「ブックデザインを始めて来年で40周年を迎えるんですよ。そういう節目だからこそ『自分にとってブックデザインとはなんぞや?』ってことを考える機会が多いんだけど、やっぱり俺はね、装丁“家”じゃなくて、その都度デザインしているだけだよな、と思うわけです。装丁家って名乗るほど、どーんと構えてない。だからうちはいつもクレジットでも『ブックデザイン』と書いてもらってる。装丁家って、字面もどこか大げさでしょ? そういうんじゃないんだよなぁ」
自分にとってブックデザインとはなんぞやーー鈴木は受講生たちにも、それぞれのアプローチを求めているように感じる。けっして鈴木と同じ思考を強いているわけではない。だからこそ、厳しくはあっても彼らのことを否定はしない。
一気に語ったところで、店員が誤って持ってきた芋焼酎のソーダ割りを「量が多くていいね。太っ腹だな」と、ご満悦でちびちび飲んでいる。酒にはさほど、こだわりがないようだ。
次回で講義も終わりだというのに、ここへ来て「装丁」という言葉への決まりの悪さまで吐露し始めた。実に鈴木らしいが、その逡巡の言葉は、酔いの深まりとともに下北沢の賑やかな夜に溶けていく。この日も鈴木は飲み会終了とともに、颯爽とタクシーに乗り込み帰っていった。明くる日、鈴木はきっと早朝に起床し、次なるブックデザインのためにゲラ読みに励むのだろう。
(文中敬称略)
取材・文/安里和哲
写真/平林美咲(鈴木デザイン室)
◎筆者プロフィール
あさと・かずあき/フリーライター、インタビュアー。1990年、沖縄県生まれ。ポップカルチャーを中心に取材執筆を行う。ブログ『ひとつ恋でもしてみようか』。Xアカウント @massarassa