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鈴木成一と本をつくる#5前編 「みなさんの装丁をいろいろイジりたおしてきましたけど」

「超実践 装丁の学校」(本屋B&B)は、これまで1万冊超の書籍を装丁してきたブックデザイナー鈴木成一氏が、”ガチ”で後進を育てるために開講されたワークショップです。8月7日、ついに最終講義を迎えました。その模様を2回にわたってお届けします(前編)。

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ついに最終授業!

 30年以上にわたって1万冊超の本を装丁してきたブックデザイナー・鈴木成一による「超実践 装丁の学校」がついに最終授業を迎える。全5回の学び舎が始まったのは6月24日のことであった。

 15人の受講者たちは、小説家・横関大が今秋刊行する予定の小説『誘拐ジャパン』のゲラを読み、その装丁案を提出。鈴木の講評を受けて、ほぼ隔週で開かれる次回授業までにブラッシュアップするという過酷な講義だ。

 紙の本の未来が危ぶまれるなか、鈴木は危機感を持って、この試みをスタートさせた。電子書籍も定着し、読書バリアフリーの観点からは、朗読や点字など「紙の本」以外の読書ツールの充実と利便性の向上が訴えられてもいる。だからといって、紙の本の意義や魅力も失われることはない。紙と電子、どちらがより大事かではなく、共存していけばいい。だから、装丁=ブックデザインもまた、継承されていかなければならない。その意思の表れが、この「装丁の学校」である。

 教室となった本屋B&Bは、最寄り駅の下北沢から5分ほど。蒸し暑い今年の夏では、このわずかな道のりも、まるでミストサウナの中を歩くかのようだった。このレポートを書く私は毎回、会場に着くなりトイレを借りて、Tシャツを着替えていたほどだ。しかし、決まった仕事場を持たないフリーライターの私からすれば、隔週とはいえ、通う場所があるのは久しぶりのことで、この日々も終わると思うと感傷的にもなる。

 いや、こんなことを言えるのも、私が傍観者だからだろう。受講者からは、とんでもなく呑気な話だと叱られるかもしれない。なにせ、この日ついに最優秀賞が選ばれ、実際に出版される書籍の“顔”に決まるのだ。受講者たちのB&Bへの道のりと、私のそれはまったく異なる風景だったはずだ。彼らが向かっていたのは、学び舎であると同時に、戦いの場でもあったのだから。

「本として“ひとつの主張”がハッキリしている」

 B&Bに到着すると、会場中央の長机の上には、表紙に『誘拐ジャパン』と書かれた本がいくつも並んでいた。ひとつとして同じカバーはない。20種類以上もの装丁をあてがわれた本が、ぎっしりと並んでいる。

受講者の作品を長机に一挙に陳列

「こんなにも多くのカバーが巻かれたことは、はじめてです」と、作家・横関大も嬉しそうに語る。そう、課題本となる『誘拐ジャパン』の著者の横関も、今回初めて会場に訪れた。ただの見学者ではない。鈴木とともに、最優秀賞の選考に関わるのだ。

『誘拐ジャパン』は、「ルパンの娘」シリーズで知られる横関の新作だ。横関は江戸川乱歩賞を獲ってデビューし、その後もエンタメ小説の名手として知られる。本作は“シン・誘拐ミステリ”を謳っており、作者にとっても勝負の一作である。

 筋書きはこうだ。とある大物政治家の命を受けた3人の女性たちが、現職総理大臣の孫を白昼堂々誘拐。彼女たちの思いもよらぬ要求によって、日本全体が翻弄ほんろうされていく。犯人グループはもちろんのこと、総理周辺や刑事コンビ、マスコミ関係者など、多数の登場人物たちが生き生きと描かれる。現実の社会状況や政治をも彷彿ほうふつとさせるリアリティも兼ね備えた、上質なエンターテインメント小説だ。

 受講者たちは1ヶ月半にわたって、この小説を何度も読み返しながら、ふさわしいブックデザインを模索してきた。例外を除き、基本的には厳しい指摘ばかりであった。一方で、受講者もめげなかった。その結果が、鈴木の前にずらっと並んでいる。講義が始まるなり、鈴木はこの結果に満足そうに言った。

「これまでみなさんの装丁をいろいろイジりたおしてきましたけど、反応が非常にビビッドで、こちらとしても手応えを感じていました。最終回に並んだ装丁は、どれもうまくまとまっており、本として“ひとつの主張”がハッキリしている。この装丁の学校が、みなさんのこれからの活動のいしずえにもなるのかなと自負しているところです」

 これまで4回にわたってレポートを書いてきたが、そこでは速報性を重視して、全受講者の装丁を取り上げることはしなかった。しかし今回はラストだから、すべての講評を取り上げたい(ただし、構成上の都合により、当日の発表順とは異なる)。 

描いた絵か、描かされた絵か

 まずは開講当初は、4案を提出していた北尾崇から。複数プランは意欲のあかしでもあるが、一方で迷いを感じさせた。鈴木も「小説の要素を意味的に構成しているだけで、有機的につながっていない」とコメントしていた。しかし最終的に北尾は2案に絞り、しっかり間に合わせてきた。

 登場人物たちの姿や表情、視線をマンガのコマ割りのようなイメージで、三角形のコマで切り取ることによって、『誘拐ジャパン』の持つシャープで明快なメッセージや、物語のスピード感を演出している。この絵は、小説のゲラを読んだイラストレーターに任せた結果だそう。ただし少々ポップに寄りすぎたため、「小説の持つ社会派な一面を切り取るという点でズレがある」とも鈴木は言う。

物語のスピード感が滲み出る北尾案

 もう一案については、「イラストレーターが、デザイナーに言われた通りに描かされた感がある」と見破られ、北尾もお手上げ。「イラストレーターは、繊細で影響されやすい。装丁家としては依頼した時点で信用して、任せることが大事です」と実感を込めて言う。

 この言葉は、北尾自身が身にしみてわかっていることだろう。実践的に学んだからこそ、教訓が刻まれる。

この日の鈴木はビールも飲まず
終始、立ちっぱなしで熱血講義

 ラフ案が高評価だった本間はるかについては、「俺がガタガタ言ったことで、保守的になっちゃったな」と鈴木は話す。本間の案は、ジャパンになぞらえて、赤と白のオセロを描き、その駒で登場人物の顔を見え隠れさせるというものだった。鈴木も初回で「非常に新しい印象を受けます」と期待していたのだが………。

「今回から黒地になったよね? このデザインの肝は、オセロの駒と背景の離し方だと思っていたけど、黒にすることで奥行きが失われて、フラットになっちゃった。これはもったいないね。ジャパンというからには赤白だし、最初の感じでブラッシュアップしてもよかったんじゃないか」

 本間のもう一案に対しても、「絵はいいんだけど、デザインが必死にぶら下がっている印象です。デザインが遠慮してしまっている」とちょくげんする。しかし本間はめげない。「結果はどうあれ、ポートフォリオに載せられるようにブラッシュアップしたい」と前向きに答える。「装丁の学校」はこの夜で終わるが、装丁家としてのキャリアはこれから。本間の姿勢からは今後も鈴木成一の教えを胸に、ブックデザイナーとして成長していく予感がした。

小説を俯瞰したからこそ生まれた世界

 鈴木を降参させてしまったのは、佐々木信博だ。

「前回よりもエッジが立ってきたというか。表4(裏)の作中モチーフもうまい具合にシンボルになっているんじゃないでしょうか……以上」

 鈴木がそう一言でまとめると会場は笑いに包まれた。「言うことないんだよね」と鈴木も苦笑いで応じる。

 アールデコ風の幾何学模様で構築されたカバー。縦長の八角形を表紙中央にドンと置き、その真ん中にタイトルを置いた。タイポグラフィもシャープかつ重厚で、目を引く。タイトルの上には、国旗を奪った4人組が国会議事堂の前を横切るイラストがシルエットのみで描かれている。さりげなく書かれた“SAVE JAPAN”の文字も、憎いあしらいだ。

デザインが細部にまで及ぶ佐々木案

「前回から言っているように、アールデコとロシア・アバンギャルドを彷彿とさせるようなパッケージのノリですよね。この方法論をエンタメ小説に持ってくるのが新しいんですよ。小説を愚直に読むだけでは、この発想は出てこない。小説をかんで見られている証拠ですね。ブックデザイナーとして、この小説の読み方は新しい。言い出したらキリがないんだけど、『ジャパン』の(半)濁点を虫眼鏡にあしらうあたり、この野郎っ! と悔しくなるくらい見事な処理ですよ」

 表紙だけでなく、裏表紙やオビまでひとつの主張が一貫して強く打ち出されたこのカバーに対して、鈴木の口から出てくるのは、絶賛の言葉だけであった。新たな才能の誕生である。はたしてこれを上回る作品がこのあと出てくるのだろうか。

イラストレーター選びの難点

「イラストレーターの選択の時点で、デザインの限界がある程度決まってくる」

 初回講義で鈴木は「エンタメ小説なので、表紙にはイラストを使うことになるんじゃないでしょうか」と言った。受講者たちのなかにも課題を受け取った時点で、イラストにしようと決めていた者も、たしかに多かった。しかし今になってみると、自分の“趣味”や“憧れ”、既存の人脈を基準にイラストレーターを選んだ者は、やや苦戦した印象だ。

 藤原和枝は大物イラストレーターの快諾を得た。鈴木も「これはっけもんだね。交渉含めて藤原さんの人徳ですよ」と評価した。しかしその作風を『誘拐ジャパン』にマッチさせるのは、至難の業であった。2週間前の講義でも鈴木は「絵をなずける」という表現を使い、強烈な個性を持った絵をコントロールする心構えを説いた。しかしこの短期間で、才能あふれる絵を制することは容易ではない。

「このかた(イラストレーター)の作風は郷愁や記憶に訴えかけるものがあるでしょう。それを、国中を巻き込む誘拐劇に合わせるには、一種の曲芸、アクロバットが必要だった。なかなか難しいですよ」

 酷なようだが、これがブックデザインの難しさである。誘拐犯グループが疾走するさまを勢いよく描いたイラストを用いた行川雅代の装丁に対しても、「このイラストは小説に対して爽やかで健康的すぎるかな」と指摘した。

 百目鬼多恵にも同じ趣旨の発言をした。国会議事堂を背景に、オープンカーに乗った誘拐犯たちと少年、そして作中に登場する土佐犬を軽妙に描いたイラストやレイアウトを褒め、「全体の世界観はまとまっていて、ひとつの主張は達成されている」と評価しつつも、「読者対象を考えると、ちょっと軽い。お気楽なロードムービー的な軽さに終始してしまった」と続けた。

作中にはないオープンカーをあえて使用し、
ポジティブな世界観を形作った(百目鬼案)

 行川と百目鬼の共通点は、エンタメに比重がかたより、ある種のシリアスさをみ取りきれなかったことだろうか。

「この小説は、用意周到な計画で日本を転覆させるリアリティがあって、ジャーナリスティックな挑発も含んでいるんですよ。ポップなイラストだと、そこがおざなりになってしまう。イラストレーターである程度決まってしまうので止むを得ない部分はある。けれどもデザイナーがいかにして小説に寄せていくかが大事でした」

 両義性を持った小説を、一枚のイラストで表現するのは極めて難しい。そこをデザインの力で手懐けてみせる。それが装丁家の腕の見せどころだ。その点、李生美は見事だった。当初は、誘拐された少年に仮面を被せたイラストが「京劇の仮面みたいでミステリアスすぎる」と指摘された。次回の仮面を脱がせたバージョンも「表情が超能力少年みたいでイメージと違う」と言われた。

 新たなイラストを発注する時間もないなか、李はひらめいた。事件現場に張り巡らされる黄色の規制線を、少年の顔にあてがうことにしたのだ。しかもそのキープアウトの線は半透明で、少年の瞳もうっすら視認できる。仮面の怪しさをワンアイデアで薄めつつ、ミステリアスな雰囲気は保った。少年の「超能力者っぽさ」を打ち消すことに成功している。

鈴木の指摘をクリアした李生美案

 松山千尋も、軌道修正を果たした一人だ。

 最初のデザイン案の時点で、表紙の大部分を支配するタイトルにほどこしたタイポグラフィが評価されていた。今回の松山のブックデザインも、「ロゴの勢いとか、絵の雰囲気はぴったりです」と語る。誘拐ジャパンの文字を角ばらせつつもポップに仕上げ、その文字の周りに、登場人物たちがちりばめられたあしらいは、見ていて楽しい。

「前回はイラストが大きくて、全体的にゴチャゴチャしているのが難点だと指導しましたが、今回はイラストを小さくして、タイトルを立たせるのに成功している。イラストレーターにしてみれば『せっかく描いたのに、なんでこんなに小っちゃいんだ』と思うかもしれないけど、ブックデザインとしてはバランスが取れている。オビの扱い方もカバーとあいまって、ひとつの主張を織りなしている。このソツのなさは上手いね」

 かなり評価が高いが、当初から鈴木に指摘されていた「群像劇のように見える」というポイントに関してはどうか。

「この物語は、誘拐という事件をきっかけに国のあり方が変わっていく。その事件の関係者としてキャラクターがいるわけだけれど、この絵の感じだと、個々人が自分自身を主張しすぎて見える」

 物語の軽妙な語り口と、個性的なキャラクターに気を取られ、「誘拐」や「世直し」といった深刻な大テーマがおざなりになっているということだろう。とはいえ、タイポグラフィという武器はより一層磨かれている。この切れ味はトップをも狙えるか。

もともとの強みであるタイポグラフィを活かし切った(松山案)

 鈴木は、木下悠にも一目置いている。

「木下さんは突けば突くほど無限にアイデアが出てきそうですね」と切り出した。レトロポップなイラストと、赤と青が鮮烈なデザインは最初から注目されていた。しかし楽しげなイラストであるがゆえに「読者が本の性格を見誤るよ」とも指摘されていた。松山と同じく、深刻なテーマと絵のズレが課題としてあったのだ。

 木下はこの課題を、デザインの力でクリアした。「絵を手懐ける」ことに成功したのだ。当初は2案持っていた木下だが、それぞれで使っていたイラストをひとつのカバーに統合。各素材をマンガのコマ割りのように並べることで、絵のインパクトを巧みに利用しつつ、事態の緊迫感を演出している。

要素は多いが、統一感は失われていない(木下案)

「こんなに要素がグチャグチャとあるのに、しっかり伝わってくる。色使いや造形のうまさに尽きるよね。少なくともこういう装丁は見たことがないです。文字の使い方も、タイトルの入れ方も文句ない。すべてが過不足なく、明快な主張とともに表現されている」

 しかし、である。鈴木は、最後の最後で首をかしげた。

「やっぱりこのイラストだと、どうしても読者を限定しちゃうのかな。たとえば中高年の方は、これは違う文化圏の作品だと感じ、手に取らないんじゃないか」

 ここでもイラストレーターのセレクトに、疑問が投げかけられた。このイラストレーターの力量は、これまでの授業で鈴木は高く評価していた。それでも、作品の方向性とのかいはどうしても気になるのだろう。

 木下からは、「依頼後に軌道修正するとして、鈴木さんならどうディレクションしますか?」と問われると、鈴木は「その前に依頼しないな」という原則論で返した。

「エンタメ小説の場合は、やっぱりイラストで決まっちゃうんですよね。装丁家はデザインによって、イラストの力を失速させず、可能であれば増幅させるという立場。だからイラストレーターに『ああしろ、こうしろ』とは言いません。こちらは信じて頼んだわけなので、その人の絵を描いてもらうしかない。描かせた絵はやっぱり面白くないんですよ」

 鈴木は編集者との打ち合わせで、複数のイラストレーター候補を出すことも少なくない。日頃から才能を見つけてストックしておけば、どんな本が来ても対応できる。木下にそのストックはなかった。ただし本の個性とテイストの異なるイラストを作品の本質に近づけていった木下のトライ&エラーが、彼のキャリアにおいて大きな経験となったことは間違いない。

#5後編に続く 

(文中敬称略)

取材・文/安里和哲
写真/平林美咲(鈴木デザイン室)

◎筆者プロフィール
あさと・かずあき/フリーライター、インタビュアー。1990年、沖縄県生まれ。ポップカルチャーを中心に取材執筆を行う。ブログ『ひとつ恋でもしてみようか』。Xアカウント @massarassa