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女性鍼灸師の施術室より:いつもイライラ怒り心頭の「べきねば」人間のあなたへ【黒い感情と不安沼】#4

不安。それはときに呪いや妬みといった黒い感情を引き寄せる、やっかいな感情。病気ではないので明確な治療法はないし、周囲の理解や共感も得にくいから沼にハマると苦しくなります。やがて心は疲弊し、血流は悪化、体調は最悪に。心と体は一体だからです。女性鍼灸師のやまざきあつこさんの元には、そんな患者さんがたくさん訪れます。この連載では、8万人におよぶセッションを通じて彼女が導きだした、薬や医療に頼らないで這い出る方法のヒントを伝えます。
☆第1話はこちら、第2話はこちら、第3話はこちらから。

更年期世代の不調は制御できないからやっかい

 ある日、施術中の菊乃さん(48歳)が苛立ちを抑えきれないといった様子で語り出しました。
 
「礼儀知らずが多過ぎです!」
 
 聞けば、ここ最近、立て続けに挨拶を無視される出来事が重なったそうです。
 仕事先の後輩に挨拶を返さない人がいるらしく、その人を見るだけでイライラが募るといいます。他にも、通い出したヨガ教室のロッカールームでも挨拶をしない人に遭遇したとかで、「あり得ない!」と怒り心頭のご様子です。
 
 菊乃さんの症状は肩こり・頭痛・火照り・むくみ・冷え・生理トラブルなど多岐にわたっているのですが、中でも「イライラする」というのが主訴。常に、自分を苛立たせる何かを持て余しながら、同時に全身に倦怠感もお持ちでした。
 
 菊乃さんは更年期世代。閉経前後の10年間(人によってはもっと長い場合もあります)はホルモンバランスが乱れるので、次々と出現する不快な症状に悩まされやすいのです。まさにこの時期は「不調のデパート」なのですが、「イライラ」もそのひとつ。
 本人もわかってはいるものの、自分では止められない状態に追い込まれがちです。
 
 もちろん、イライラするからといって、生死に関わる大問題にはなりませんが、生活の質を低下させるには十分な症状。憤(いきどお)りはエネルギーを使うので、疲れちゃうんですよね。
 
 イライラ・ムカムカ・カッカしているときは、自分の要望が満たされず、心の落ち着きを失くしている状態です。
 特に、自分が「べき・ねば」と思っていることが、そのとおりに進まない場合に出現しやすいです。
 
 例えば、電車の遅延。電車は定刻で運行するのが当然だという思いがあれば、腹立たしい気持ちが湧いてくるでしょう。

自分が信じている正しい行為が常に正義であるとは限らない

 菊乃さんのケースで考えるならば、「挨拶を返すのは人としての常識」という思いが強すぎるということになります。
 自分が良いと信じて行った行為を無視されたことにより、自分の常識が否定され、大袈裟に言うならば、自分自身の尊厳を傷付けられたような気持ちに陥ったのだと思われます。
 
 もちろん、挨拶はしたほうがいいです。挨拶は、「私はあなたに敵意を持っていない」ということを伝える所作だという説があるように、人間関係の潤滑油。ちょっとした笑顔のコミュニケーションは、その空間を打ちとけたものにしてくれるでしょう。それゆえ、菊乃さんの行為は間違っておらず、むしろ良い行いだと思います。
 
 しかし、ここから先が問題なんです。
 
 言うまでもなく、「こんにちは」と声をかけた行為の主体は菊乃さんにあります。母親に促された幼子ではないのですから、菊乃さんは、誰に強制されたわけでもなく、自分の意志で挨拶をしました。
 一方で、声をかけられた側が挨拶を返すかどうかの主導権は、その人に移ります。挨拶するのも無視するのも、その人の選択です。
 
 しかしそこで、挨拶が返らないという、菊乃さんから見たら「あり得ない事態」が発生したわけです。
 
 そのときにすかさず「は? ちょっと、挨拶くらい返しなさいよ!(なんなら、後輩のアンタからするべきでしょ!)」と声を上げ、「自身の常識」を強制できる人は、そもそも菊乃さんのような不調には見舞われにくい傾向があります。他人に挨拶の返事を強要できるならば別ですが、菊乃さんは言えなかったので、結果的に、その場の苛立ちをお腹に溜め込むことになりました。 
 
 しかし、言うまでもなく、どんな人にも歴史があります。年齢、育ってきた環境・・・・・・、人生の背景が丸ごと違うのですから、それぞれが身につけた常識は違って当たり前。80億の人間の中で、思考がすべてにおいて同じという人はいないのですから、逆に言えば、あなたの常識は誰かの非常識という可能性も否定できません。自分が信じている正しい行為が常に正義であるとは限らないのです。
 
「そんなことくらいわかってます! 私はただ、無礼者にムカついているんです!」と、もっとイライラされるかもしれませんが、私は人間関係のこじれの多くは、ここを理解できていないことから始まると見ているのです。
 
 要するに、自分と他人の境界線をはっきりと分けて考えるのが大事だということ。不躾(ぶしつけ)な人は確かに存在します。そういう人に遭遇すれば気分を害するのは無理からぬことですが、それを引きずると自分の体に「百害あって一利なし」、不調の波が押し寄せます。目を向けるべきは他人の無礼よりも、我が身のダメージのほうです。

なにを「華麗に流す」のか、なにを「心に記す」のか?

「こう動いたら、相手はこう動くだろう」という予定調和が乱れると苛立ちを感じやすいですが、そういうときの呼吸は必ず浅く、酸素不足になっていますので自律神経が乱れます。結果、血の巡りも悪くなり、心身共に余裕がない状態に追い込まれていくのです。
 
 この状態も、短時間ならば問題ありませんが、菊乃さんのように、会う人会う人の不作法が気になり出すと、それに振り回される日常になりますので、身心共に心地よいという状態に戻るには相当な時間が必要になるんですね。
 自分の正義を押し付けるがごとくに、他人の言動を細かくチェックする暮らしは体調を崩す遠因になりますから、人生から見ると、とてももったいない時間の使い方になるように思います。
 
 では、「どうすればいいのか?」ですが、私が考える解決法は「スルー力(りょく)」を高めること。菊乃さんのケースで言えば、「ああ、挨拶しないタイプなのね」とだけ思って、そこで終了です。自分の思考の中に、それ以上は問題として立ち入らせないように気を付けるだけです。
 
 暮らしの中で起こる様々な出来事をインプットするか、しないかは自分の裁量次第です。その出来事が自分自身の成長にならないと思えば、華麗に流す。逆に見習いたい、勉強になると思う人や出来事に出会ったならば、心に記すと。
 
 嫌な人に遭遇したとしても「うんうん、色んな人がいるよね!」という具合に、大らかに捉えられたら、心身の不調はそれに比例するかのように、ちょっとずつ治まっていくでしょう。
 
 やがて、菊乃さんは「先生に『恋焦がれている人でもないのに、その不作法な人のことをずっと思い続けてるの、時間がもったいなくない?』って言われて、腹落ちしたんです。そんなヤツのために体の調子を崩すことになっていたのかと思ったら、バカらしくなってきました。私、そんな人に振り回されるの、やめます!」と卒業宣言をされました。
 
 菊乃さんはそれ以降もしばらくは、知人が! 同僚が! 店員が! 芸能人が!……「あり得ない!」と吠え続けていましたが、宣言どおり、徐々にそういう会話は減っていき、カチコチだった体も随分と緩んできました。鍼灸院の卒業も間もなくかもしれません。
 
 私たちの気持ちは社会の中で、毎日激しくアップダウンしています。他人の言動が気になることも多いでしょう。けれども、そういうときこそ、他人の世話よりも自分の世話が優先です。不快にさせる人のことは、自分自身を喜ばせることを思い浮かべるなどの方法で、一刻も早く脳内から追い出しましょう。
 自分自身の思考の持ち方次第で、体のこわばりはほどけていきます。
 
●やまざきあつこ

1963年生まれ。鍼灸師。藤沢市辻堂にある鍼灸院『鍼灸師 やまざきあつこ』院長。開業以来30年間、8万人の治療実績を持つ。1997年から2000年までテニスFedカップ日本代表チームトレーナー。プロテニスプレーヤー細木祐子選手、沢松奈生子選手、吉田友佳選手、杉山愛選手などのオフィシャルトレーナーとして海外遠征に同行。プロライフセーバー佐藤文机子選手、プロボディボーダー小池葵選手、S級競輪選手などの治療にも関わる。自律神経失調症の施術に定評がある。著書に『女はいつも、どっかが痛い』(小学館)。

●鳥居りんこ(とりい りんこ)
1962年生まれ。作家、教育&介護アドバイザー。2003年、『偏差値30からの中学受験合格記』(学研プラス)がベストセラーとなり注目を集める。執筆・講演活動を軸に、現在は介護や不調に悩む大人の女性たちを応援している。近著に、構成・取材・執筆を担当した『1日誰とも話さなくても大丈夫 精神科医がやっている猫みたいに楽に生きる5つのステップ』(鹿目将至著、双葉社)など。鍼灸師やまざきあつこ氏との共著に『女はいつも、どっかが痛い』(小学館)。