野口あや子「春はあけぼの シーシャようやく白くなりゆく」天才歌人、ラップ沼で溺れ死ぬ #4
◆今月の一首
Bitchと言わずbad galsと言い換えるフィメールラッパーどこも煉獄
誰よりファミチキの美味しさを知った
「ていうか野口さん、フィメールラッパーになろうとしてますよね!?」
インタビュアーが声を上げたのは名古屋市のある文化施設。その日は名古屋市文化振興事業団が発行している「なごや文化情報」の「zoom up」という新鋭作家を紹介するコーナーのインタビューを受けていた。名古屋市のインタビューということもあって、ブラウスにテーラード姿で現れた私に、インタビュアーは「今日、着物じゃないんですか?」と不満そうに言う。というのも、着物でサイファーに行くようになってから、その着物姿をS N Sに上げていて、そこそこ反応も出てきていたから。何人かは、「着物姿、楽しみにしています」と言ってくれる人もいて、着物と帯がわりのベルトやコルセットは増えるばかりだった。「いやいや、あれはラップ用のコスチュームみたいなもので、名古屋市のインタビューには流石に着ていきませんよ……」と返しつつ、幼少期の創作との出会いや、受賞当時の思い出、そこからの今後の野望などについてなめらかにインタビューは進んでいく。受賞してからインタビューの機会にも恵まれ、ごめん、これはあのメディアで話したネタの繰り返しになっちゃうな、と思いながら「最近は海外への興味と、あと趣味としてラップが……」と言った途端これだ。
「野口さん、フィメールラッパーになろうとしてますよね!?」
「……」
「野口さん。フィメールラッパーになろうとしてません!?」
何度となく繰り返される質問への回答は控えた。「フィメールラッパーになる」はどういう意味だろうと考えがよぎったからだ。そもそも、私は何の資格もなく、短歌を書いているから「歌人」であるわけだし、ラップをしているということも、「女性」で「ラップ」をしているから、「フィメールラッパー」なわけで、なろうも何も聞かれるようなことではない。でもその質問は、何かフィメールラッパーとして一山当てよう的な意味が含まれているように私には聞こえた。そんなつもりは毛頭ない。私はなんだか調子に乗っているうちにラップ沼に落ちてしまっただけである。
「フィメールラッパーに……⁉︎」
ひたすら無言を貫く。
「……で、でも、野口さんの短歌って、H I P H O Pっぽいですよね」
ど、どのあたりが……? どっちかっていうと作品というよりキャラの方では? でもインタビュアーもH I P H O Pでいうところの「吐いた唾は飲み込めなかった」んだろう。最後まで私とH I P H O Pの親和性に腰を浮かせていた。
その週末の伏見サイファーももうだいぶ日も暮れてきた頃、いつものように高校生、中学生組が解散する中で、私もそろそろ、と腰を上げると、ハルさんが「あや子さん、いつまでいられます?」という。伏見サイファーがたびたび、かなり夜遅くまでサイファーをしているのは知っていた。でもそれは「テクい」人たちの集まりで、下積み組の私には関係ないと思っていた。が、試しに行ってみる。
「まあ、終電まで……」
「じゃあ、ここに残っていてください」
日は暮れ、夜に近づく。皆がスマホをいじったりゆるくラップしている中で、ハルさんは言った。
「みんな聞いて!」
皆の中にピリリとした緊張感が入る。
「俺は、伏見サイファーの噂は、あちこちで聞いてきた。ダサイとか、シャバいとか、言われてるのも聞いてきた。でも俺はそれはそれでいいと思うの。その中で、でも伏見サイファーのこの人かっこいいとか、この人イカしてるみたいな、そういう風になればいいと思うの。だから、来るときはみんな、なにか目標持ってきて欲しい。今日は韻踏み頑張りたいとか、声の出し方とか、フロウとか。基本は楽しいだけでいいの。でも、やっぱり楽しいだけにはしたくない」
そう言って、夜のサイファーがはじまる。ハルさんはマイクを持つと私の隣に座り、マイクの掴み方を教えた。
「マイクはもっと寄せて、ヘッドを手で包み込むように持つ。でもそのまま口がつくと不衛生だから、人差し指を立てて、そこに口を当てる。そうそう!」「あや子さん、言ってることいいから、聞こえないともったいないですよ」
そんなわけでマイクの正しい持ち方を覚え、夜のサイファーは白熱した。基本的にマイクを持って順番にやるのがスタイルだが、もっと自由なやり方がある。どんどん言いたい人が入るやり方だ。これはかなりの自発性と積極性が必要とされる。もちろん譲り合いも同時に。
繰り返しているうちにバースにうまく食い込んで入る術を覚える。もちろんまだ韻は踏めない。でも言いたいことが通る声で言えるだけでいい気分だった。そのうち、一人の男性がサイファーの前で立ち止まる。お客だと思ったハルさんがいろいろ話しているうちに、どんどん興味が湧いてくるのか、その男性はしばらく聞き入っていた。そして彼は急に一万円札を取り出し、メンバーに渡した。投げ銭にしては高額と思いながらもありがたくいただく。
「ちょっと俺たち、あの人からもらった一万円でコンビニでなんか買ってくるから! ここでサイファーしていてください」
おー! と皆バイブスが上がる。お金のためでないが、素直に嬉しい。そのうちファミチキとおにぎりが運ばれてくる。さらには余ったお金で自動販売機でそれぞれ飲み物を買いまくる。それでも余るほどの額だ。
「じゃあみんな好きなもの買ってー」
「わーまじ感謝」
「ありがとうございますー!」
「俺の金じゃないから、さっきのあの人の顔思い浮かべながらいただいて!!」
そうしてファミチキを食べながらも、ライブ動画は回される。皆ファミチキとおにぎりにかぶりつきながら、ひたすらラップを続けた。それでもようやく皆、時間が限界になって、皆バイブスブチ上がりの中で解散する。その日もまた、夜道を丸の内の自宅まで帰る。私たちのパフォーマンスに一万円の価値を感じてもらったこと。その日のファミチキがどんなご馳走より美味しかったこと。おそらくサイファーのメンバーの中では自由度が高くて恵まれた暮らしをしているということは自覚していたし、それをバースにしてもいた。でも、あの夜、誰よりもファミチキの美味しさを知ったのはおそらく私だと思っている。
女は画面に入って欲しくないらしい
腹が立つ思い出ももちろんある。
その日はいつものと違う場所でサイファーが行われる日だった。公園の場所をGoogle マップで四苦八苦して探し、サイファーの場所についたら、イツメンでいつも黄色いTシャツを着ているインフルエンサーのつる兄と主宰のハルさんが崩れ落ちるように笑う。「あや子さん、きちゃったかー」そう、今日は酷暑中の酷暑日。さすがに着物は脱ぎ捨て、ユニクロのU Vカットウエアに身を包み、鍔広帽で向かった中、二人は少し申し訳なさそうだった。どうしたんだろう、と見ると、いつもの大きいアンプとマイクは、あるラッパーのユーチューブ撮影か何かのために占拠されている。
「なんか撮りたいらしいです」
「あ、じゃあ観客として行こうかな」
そう足を踏み入れたところ、スマホを回していたラッパーが私を見つけ、こう言った。
「あ、女は入らないで!」
その時の怒りと落胆を、どう表現すればいいだろう。私はすぐに踵を返していた。ここで喧嘩をしてもいい。でもそうすれば撮影は遅れ、サイファーの空気は悪くなり、いいことは何もない。ここでちゃんと喧嘩するのがH I P H O Pだろ、とどこかでと思いながら、悪いが私は平和主義者らしかった。気分を切り替えてスマホをいじり、「枕草子 春はあけぼの」でサーチすると、その画面をじっと見つめる。
「どうかしましたか」
一人で階段でスマホをいじり、音楽とともにぶつぶつつぶやく私に、ハルさんが聞く。
「女は画面に入って欲しくないらしいです」
諦めとも怒りともつかない息が漏れる。
「あ!……だからちょっと、枕草子ラップ風にしてみようかと思って! こないだそんなライブイベントに参加したんです」
それはほんとうのことだ。その週末のイベントに朗読をするパフォーマーの歌人として呼ばれ、私は即興でジャズ風の「春はあけぼの」を披露した。今日は、その熱も覚めやらぬサイファーの日だった。それなのにこれだ。
「え! ポエトリーリーディングってことですか? そういうのも好きですよ」
そういうとハルさんはミニアンプを持ってきて「使ってください」という。Bluetoothの扱いに冷や冷やしながらも、自分のスマホに繋ぐと、ポロン、と音がして接続される。タイプビートの中から重低音の激しいビートを選んだのはさっきの怒りからだったか。私は気づけば内容にそぐわない荒々しい「枕草子」を朗読していた。
「春はっあけぼの! やうやう、白くなりゆく、山ぎは、すーこしあかりて、紫だちたる! 雲の・ほ・そく・たなびきたる!
夏はっ夜。月のころはさらなり! やみも・な・ほ、蛍の多く飛びちーがひたる。また!
ただ一つっ二つっなど・ほのかに・うち光りて・行くも・を・か・し。雨など降るもをかし!
秋は・夕暮れ! 夕日の・さして・山の端・いと近―うなりたるに、烏の寝どころへ行くとて、三つ! 四つ! 二つー三つ! など、飛びいそぐさへあはれ!なり。まいて‼︎ 雁などのつらねたるが! いと・小さく見ゆるは・いとをかし! 日入り・は・てて! 風の音・虫の音など・はた・いふべきに・あらず!
冬はつ・と・め・て! 雪の! 降り・たる・は・いふべきにもあらず! 霜のいと白きも、また! さらでもいと寒きに! 火など・急ぎ・おこして! 炭もて渡るもいとつきづきし! 昼になりて、ぬるくゆるびーもていけば、火桶の火も・白き灰・がちに・なりてわろし‼︎」
つる兄やハルさんは撮影の気配を気にしながら、なんとなく時間を潰していた。ようやくいつものアンプが戻ると、一目散にサイファーの準備が始まる。あまりの勢いに出そびれているとハルさんが「あや子!」と叫んだ。急いで飛び込む。
もう夜も深まった中、交わされるサイファーのバース。私はそこに「春はあけぼの、夏は夜、秋は夕暮れ、冬はつとめて」というバースを何度も蹴った。特に、「夏は夜」というところに強い強い感情を込めながら。
「さっき言われた『女は映るな』。だから一人で練習していたこのバース、まあそんなことどうだっていいが」
どうだっていいことはない。でもサイファーはウェルカムが基本の文化。それにさっきまでミニアンプを借りていた身としたら、ここで恨み辛みを言うのは情けない。そうしているうちに皆のバイブスも上がり、メンバーがInstagramのストーリー用に動画を撮り始める。前だったら怖くて映れなかったストーリーももう怖くない。「女は映らないで」そう言われた直後だからだろうか。もうこうなったら見せて失敗してナンボ、さらには失敗と見せないのがナンボだ。
あとになって、見慣れない大人の顔だがどこかで見覚えのあるメンツが、サイファーの中に混ざっているのに気がつく。聞いてみると、新橋サイファーの主催者で、今回東海地方のサイファー行脚をしているらしい。新橋サイファーと言えばかなりウェルカムなサイファーで、メディア露出も多く、私はN H Kの「阿佐ヶ谷アパートメント」に短歌の講師として出演したとき、予習で見たのが「新橋サイファー」の回だったのだ。「あの、阿佐ヶ谷アパートメント出てましたよね」と話しかける。「ああ、そうっす」「私あれの別の回に出演してて……えっと、あの、ああ、いろいろめんどくさいや、まあその、東京出張の機会も多いのでお邪魔させてください!」「ぜひぜひ!」「新橋サイファーは、女性もいるんですよね⁉︎」そう聞く、初めてきた参加者。「あ、まあ、そだね……」その返事に、やはり多くはないんだろうと感じずにはいられない。でも、これで少し道が開けた。東京に行っても歌人の顔を脱ぎ捨てて「あや子」でいられる場所がある。
ごめんあそばせ 早くそこどけ
短いサイファー時間を終えるとまたふつふつと怒りが沸き、行きつけのシーシャカフェに行き、ため息がわりにシーシャを深く吸う。心の底からイライラしていた。このことをXに書くのは躊躇われた。何より、今までお世話になった伏見サイファーの悪評が広がるのは困る。そう思うと、指は「GRAVITY」の「つぶやく」に向かっていた。「サイファーの現場の動画撮影で女は映らないでと言われて、結構ガチで怒っている」「ムカつくから仲間からミニアンプ借りて一人でラップやり込んでやったわ、マセガキめ、スキル上げてボッコボコにしてやんよ」「そして何がなんでも私らしいフィメールらしさは貫く。男に迎合してアウトフィットもインサイドも変えてたら何のためにラップしてるのかわからん」
そこまで書き込んで、またシーシャを大きく吸い込む。ちょっとだけシーシャカフェの店員さんに愚痴りながら、それでも笑顔を保つ。こんなところで怒り狂ったり、泣いたりしたら私の負けだ。スキル上げてボコボコにしてやる、それが正道だろう。
女であるからと差別されることの怒り。でもどこかにある自分が女性だからという甘えと諦め。少なくとも今度のバトルはチャンピオンまで勝ち切れるはずもなく、いい語り草と言ってしまったこと。それを乗り越えるのは、やっぱりスキルを上げるしかないだろう。そして自分を磨き続けること。そう思うともう十分というほどシーシャを吸い上げ、シーシャカフェをあとにする。シーシャの値段も店によってこの一年で随分上がった。このたった一回のシーシャで、サイファーに来ている中学生のお小遣いの額くらいは使ってしまったかもしれない。そう思うと改めてメンバーとの年齢差を感じるとともに「マセガキ」の配慮のなさも、また年齢ゆえかもしれないと諦めようとし、でも怒りが残る。吐き残したシーシャの煙のようなもやもやした気分を胸に残しながら、大須観音のシーシャカフェをあとにした。
#5に続く(1月中旬に更新予定です)
◎プロフィール
のぐち・あやこ/1987年岐阜県生まれ、名古屋市在住。2006年、「カシスドロップ」にて短歌研究新人賞受賞。2010年、第一歌集『くびすじの欠片』にて現代歌人協会賞を最年少受賞。ほか歌集『夏にふれる』『かなしき玩具譚』『眠れる海』。岐阜新聞にて月一エッセイ「身にあまるものたちへ」連載中。