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野口あや子「大好きなお母さんと愛しい彼女とビッチとギャルしか出てこねえ」天才歌人、ラップ沼で溺れ死ぬ #3

10代後半にして歌人デビューし、順調に短歌界でキャリアを築いていた筆者が、あろうことか30代後半にして、ラップに目覚め、フィメールラッパー歌人という荒野を拓いていく物語です。毎号、オリジナルの短歌とリリックを発表します!(#2はこちらから)


◆今月の一首

リズムキープリズムチェンジの鮮やかにフーディーのなか揺れるからだは


喧嘩とチンゲとクソにまみれた健気な奴ら

「はじめまして、〇〇です。02です」
「〇〇です。09です。中学生です」
「〇〇です。07です。高校生です」

 伏見サイファーのラインオープンチャットの参加者の数字を見て一瞬意味がわからなくなり、ややあって納得した。2002年生まれ、2009生まれ、2007年生まれだ。こんなところで1987年生まれなんて書いたら昭和の遺物みたいなものだろう。薄々感じてはいたけれど、とんでもなく若いメンバーのところに来たのかもしれない。そう思いながらそろそろと「あやこです。三十代です」とぼやかした年齢を表明する。

 ……まず一歩目を踏み出したようだ。でも不思議と緊張も後悔も恥ずかしさもない。その日布団の中で書いたリリックから始まったこの出来事を母に連絡したら、「え、そんなとこ行ったの?」と驚きを隠せないようだったけれど、元々性暴力を受ける前は行動力は人一倍、チャンスは一秒でも早くつかみたいたちだった。「そうだけど、なんで?」としか言えない。季節は三月のはじめ。もう怖くはなかった。

 三回目のサイファーの日、それは面白い体験だった。なんと言ってもストリートパフォーマンス。音の激しさやパフォーマンスしている位置、その日の街の状況によっては注意されることもある。その日メンバーでサイファーをしていると、いかつい警察官が近づいてきて、皆に注意し始めた。なんだろうと聞き耳を立てていると、どうやらさかえで有償の野外コンサートが行われており、野良の(?)パフォーマーの音が邪魔していると苦情が入ったらしい。と言ってもこのメンバーで成人してそうなのは私一人。なんか罰則になったらどうしよう。そう思って見ているが特にそれ以上のとがめはなく警察官は去っていき、ほっと胸を撫で下ろす。場所を変え、私が初めてオンラインサイファーをした白川公園にうつると、そこでマイクを持ってまたラップを始める。私と同じほぼ初心者のメンバーは韻を踏むのに集中するあまり、が空いてしまって混乱しているようだ。私は師匠のNさんがあまり韻を意識しないラッパーということもあり、むしろ度胸重視だったため、なんとか助け舟を込めて8ビートに乗る。

「何てバース蹴ればいいかわからないわからないときは『何言いたいかわかんねえ』ってことをバースにすればいいじゃない? 私も何が言いたいかはわからない、でも魅了されない?」
「俺だって特に言いたい事はねえ、でもマイクは握っていてえ」

 次のメンバーも続ける。そうしているうちにそこに興味を持ったのか女子高生が二人集まってくる。メンバーからしたら可愛い可愛い同世代だ。

「おっさん千人に見られるよりJKふたりに見てもらえる方が嬉しいわ!」

そうバースを蹴りながらインスタを交換しようとする彼らに、私は返す。

「JK二人も最高だけど、おっさん千人の方が金は儲かるんじゃない? パパ活? そんな歳でもないがおっさんあいつら金持ってるぞ」
「こんな子たちがパパ活するわけないだろ、え、てか俺いま口くさい? そんで意外にあなた意外に腹黒い?」

 そんなことをラップして笑っているうちに女子高生と二人のラッパーはインスタを交換し、去っていった。次に来たのはおそらく、小学生くらいの子供が何人かと、お母さん。

「2+2で4ビート、4×2で8ビート、4×4で16ビート、みんな習った? 学校で足し算掛け算。でもお金の計算さえできれば世の中全然大丈夫」

 メンバーの雰囲気か人徳か、ラップというといかつくて怖いものと思われているかと思いきや、小学生は楽しそうに聞いている。小学生も安心して聞いていられるラップ、というと逆にディスととられるかもしれない.
でもそんな和やかな時間の中、見る間に夜は更けてくる。伏見サイファーは中学生や高校生も受け入れているため、基本的には夜には解散だ。家に帰って後から「気をつけなよ、あの辺女子高生っぽい立ちんぼいるらしいから」「あの子たちはそんなんじゃない! ぜったい!」という平和なラインオープンチャットを読みながら、またくつくつと笑いが溢れる。

 それから伏見サイファーにはたまに休んだりしながらも通い続けた。そんな中、思い出に残っている出来事がある。伏見サイファーが収益化を目指してTicTokの収録をはじめたことから、「ああいうのはしゃべえ(カッコ悪い)」と言う意見でサイファーで喧嘩が起こったのだ。と言っても殴り合いになったわけではない。あくまでラップでのディスり合い。ビートが終わると喧嘩も終わる。そのうちそのラップで喧嘩の仲裁に入ったメンバーも、ラップを楽しむどころかサイファー自体が「しゃべえ」そのものになりはじめ、その日は早めにお開きになった。

「なんか食べに行こうぜ」

 喧嘩した仲間が散ったあと、残ったメンバーたちで言い合う。でもこれと言った店も思い浮かばない。

「サイゼリアでもどうですか?」
 三十代の私は、ここではずっと丁寧語を続けていた。

「なしよりのなし」
「トリキ」
「いや」

 今日のサイファーには、はじめてきた中学生までいたのだ。

「じゃあ、マックいきましょう」
「マックかーー、まあ結局マックだわ」
「マックいくん」
「行こうぜ行こうぜ、ここにいるのもだれえし」
「じゃあ、私も行きます!」

 いつも、打ち上げには参加しないでいた。ラップだけがしたかったし、男同士の会話の邪魔はしたくなかった。それに、フロウとバースがその人の顔そのもので、名前と顔が一致しないメンバーも多い。

「おーし、いくぞ! あや子さんが来るなんてレアだぞ!」

 ふと顔がほころぶ。喧嘩のあととはいえ、いや、だからこそか、一人で帰るのは私も嫌だった。

「……つっても席ないじゃん」
「野外の席取りましょう」

 ついつい、お母さん気分になる。喧嘩の後の「しゃべえ」空気で「バイブス」が落ちまくっている平均年齢二十歳くらいの若い男子が七人。お姉さん、いやお母さんに任せとけ、という気分で、マックで山盛りポテトとナゲットのセットを買うと、彼らに差し入れる。一番食欲旺盛なのは初参加の中学生で、どんどん食べていいですよ、と言うと、バクバク食べはじめた。

「中学生、お前、なんて言うの」
「マサキです!」
「え、じゃあ語呂よくマセガキって呼んでいい?」
「おいお前!」
「いいっす! マセガキで」
「マセガキ、チンゲ生えてる?」
「ボーボーっす!」
「おー、え、お前いつから生えてた」
「俺? 生まれた時から」
「俺はそうだなあ」
「え、お前はいつ? チンゲはえたの」
「やめろよあや子さんいるのに」
「おいお前この食べかけ食う?」
「お前人にもらったもんの食べかけで恩売るなよ」
「俺食うっす」
「マサキいいのかよ」
「いいっす、食べたら全部クソになるんで」
「まあそうだよな、クソ」
「出るときはぜーんぶクソだもんな」
「クソっていえばさーー」
「それそこまで引っ張らなくていいわ!」

 クソばかばかしい。そしてクソ毛無げ。じゃねえ、クソけなだ。さっきまで喧嘩寸前だった雰囲気を皆でかき消そうとしている。マックのポテトは早々になくなり、マサキのスマホに「お母さん」から「帰ってきなさい」と電話がかかってきたらしい。「親なんて反抗してナンボだ」組と「まっすぐ帰った方が無難なんじゃ」組に分かれる。

「また来たいなら、お母さんとの約束は守った方がいいよ、禁止されたら二度と来られないでしょ。私、ほどよい駅まで送ってもいいよ」
「でもマセガキ、知らない人にはついていくなともいわれるよな」

 マザファッキン! いや、今はお母さん気分だからこういう時どう言えばいいのか。とりあえず、皆と別れるとマサキとともに栄の改札まで向かう。喧嘩とチンゲとクソにまみれた、健気な奴らに強い強い希望を託しながら。

なぜ、ここには女性がいないか

 そんなサイファーも、成人が集まると大人同士でもう少し遅くまでサイファーをすることがある。そんな時は中高生とは違い、ちょっと大人な議論が繰り広げられる時もある。

「マイナスからプラス 言うなればそれがHIPHOPのスタンス だから駆け上る、成り上がる 金を手に入れる」

 私のターンだ。私はそろそろ、ラップで歌人の野口あや子さんではなく、あや子というラッパーとして自己開示をするようになっていた。

「マイナスからプラスなら私はずっと不登校 摂食障害 そこから短歌の賞をもらってA Oでギリギリ大学に入学 いまはフリーランス歌人 手に入れたフリーダムな生活」

 何人かがハンドサインでグッジョブ! と笑う。そう、ここではマイナスからプラスの生涯が箔になる世界。苦しかった不登校も、中学生の時散々悩まされた摂食障害も、通信制高校での生活も、H I P H O Pではジャンプ台になるむしろプラスの要素だ。さらには勉強嫌いでラップ好きなやつらが多く、短歌の世界ではマイノリティーだった経歴がマジョリティーになっていた。しかも、今こうしてフリーランスで生きているという実績があれば、決して暗い経験ではなく、むしろストロングでクールな経歴だ。

「でもいわせてもらえば成り上がる、って言葉は下品だから、それでは成り上がれねえ!」

 不登校からのし上がった側だけが言えるパンチライン。私にはこの視点がある、とにんまりする。

 メンバーのまいぷらがテンション上がりすぎて、コンビニで酒を買い込んではまた戻ってくる。チューハイとストゼロが詰め込まれたコンビニ袋を見て、「ワインしか飲めないんですけど……」と言うと「そんなやつ聞いたことねえよー」と爆笑される。バイブスぶち上がりだ。

 それでも気になっていたこともあった。このサイファー、人が集まるのに、女性は今のところ私一人しかいない。今、十代の中で H I P H O Pは大人気だし、特に最近のAwichの印象から入った私は、H I P H O Pは女性がカッコよく輝けるジャンルくらいに勘違いしていた。けれど実際音源やバトルライブを聴くようになって、「ビッチに中出し」「ビッチがケツ振る」「お掃除フェラチオ」とか「潮吹き」とか、まるで女性を性的対象物としてしか見ていないようなラッパーも少なくなく、改めて男性社会だということに気が付いていたところだ。サイファーで「お前らのバースには大好きなお母さんと愛しい彼女とビッチとギャルしか出てこねえ、どうなってんだ I don’t know」とバースをかましても「そうだよ女性は偉大だ 俺らは女の股から生まれてきたんだ」という筋違いすぎる返事があるのがせいぜいだった。じゃあ何だ? お前? お前の母ちゃんは中出しされまくったビッチで、それでお前が生まれたことになるけど大丈夫? とかましたくなったが流石さすがにやめる。マイナスからプラス、といい、社会的に弱い立場からからどんどん成り上がっていく、社会からの痛みについては短歌よりずっと理解があるはずの HIPHOPなのに、短歌の世界ではずいぶん意識されていたハラスメントや性差別、そういったものがたくさん残っている。むしろコンプラなんて糞食らえ、言いたいこと言いまくってなんぼでそれがクールと言わんばかりのH I P H O P。何だかその感覚だけがざらりと残っていた。

 タートルネックセーターに、ロングスカート、その上にじゅばんも着ずに梅と紅葉の柄がちりばめられた着物を着て、ラフに帯を結ぶ。足元はナイキのエアマックス。そこに財布といろはすとスマホの入ったボディーバッグを肩からかけ、そろそろとアパートを出る。すれ違う人がなんだろうという顔でこちらを見る。それはそうだろう。ようせっちゅうと言ってもやっぱりやりすぎだ。そう思って恥ずかしくもなるが、出かけてしまったらしょうがない。丸の内駅に向かい、栄までの乗り継ぎを待っていると、「スミマセン」とたどたどしい日本語で声をかけられた。
「ナゴヤエキ、イキタイ、ドウヤッテイクトイイデスカ」
 中国人の家族連れ観光客だろう。五人それぞれ大きな荷物を抱えている。
「ええっと、名古屋駅に行くには、一番楽なのは、東山線に伏見駅で乗り換えて、一駅」
「ノリカエ、ドコデ?」
「伏見。この次、ネクスト」
「マッスグイケナイ?」
 どうやら乗り継ぎ確認をした上で聞いてきたらしい。あー、と思う。丸の内駅は鶴舞線と桜通線がかなりかなり遠い位置で交差している。そしてここは鶴舞線だ。
「あ……ああ」
 こちらの日本語までたどたどしくなる。
「この赤の、レッドのマークに沿って歩いていくと、ナゴヤ駅までまっすぐ。乗り換えない。ストレート。でも……スゴークアルク、スゴーク」
「オオ、ソレにノリマス」
「デモ、スゴクアルク。スーゴクアルキマス」
「モンダイナイデス。アリガトウゴザイマス」
「イエイエ」
 ふと、緊張が解けて自分の格好を見つめる。めちゃくちゃとはいえ、日本の伝統的な民族衣装。これで、ちゃんとした(?)身分の人に見えたのかもしれない。
「え、あや子さんどうしたんですか」
 無事サイファーに着くと、皆が色めき立つ。しめしめだ。
「え、これ普段着。歌人なので」
「はあ、あ、ああ」
 そう、H I P H O Pの世界はカマしたもん勝ち。それが短歌の世界と違うところかもしれない。テクニックはまだまだとはいえ、まずはカマす度胸を持つこと。ビギナーといって謙遜したり引っ込み思案になったり、めそめそしないこと。それが私がラップで学んだ一つの姿勢と言える。そんなわけで、まずは着物でカマしたわけだ。
 それにH I P H O Pはまだまだ男社会の文化だ。参加者も私以外すべて男性だったし、今までB-B O Yの真似をしてB-G I R Lの服装をしていたけれど、B-G I R Lの服装をトレースしてもそれは結局B―B O Yの物差しで測られることを肯定してしまうことになる。個人差はあるとはいえ、バースに「マザファッキン」と「ビッチに中出し」「お掃除フェラチオ」と言うかと思えば「愛する彼女」をバースにするにもかかわらず、ストリートの露出度の高いギャルたちを見て「ビッチ!」と大騒ぎする彼らには、女は「彼女」「ビッチ」「お母さん」と、部外者である「フィメールラッパー」しかいなかった。安易にそのどれにもなりたくない。そう思ったら、私は異形いぎょうになるしかない。そう思った結果、私「お母さん」「ビッチ」「彼女」さらには「フィメールラッパー」にも見えない着物を選んでいた。
 その日のサイファーは自然と気合が入った。どんな舞台であれ、舞台がストリートとはいえ、服装は大切。それは着道楽の私にとっては身に染みていたことだった。確かに、ファッションはただのファッション。でも皆がお気に入りのスニーカーに勇気をもらっているように、私は着物に勇気をもらっていた。そんなことを言ってる間にビートが始まる。
「マザファッカーじゃない もうすぐ愛する嫁に子供が生まれるからマザーアンドファーザー!」
 そうバースを蹴るのはもりせん。このメンバーの中で数少ない既婚者で、もうすぐ子供が生まれるお父さんだ。そこから次のターンで「マザーアンドファーザー」から韻を踏んで「アブラカダブラ」が引き出される。次は私のターンだ。
「マザーアンドファーザー、アブラカダブラ、でも結婚して気になるのはサラダアブラの値段! でも結婚してもう一度独身に戻った私にはなんもいえねえ」
 もりせんがサラダアブラにそれな! とハンドサインを見せる。
「え、結婚してもう一度独身、それうちの母さんと同じだ」 
 あるメンバーがバースを受け取る。こういうところで痛みは響き合う。ストリート文化だからこそ、短歌よりもっと露骨に、個人の痛みや声が響く。なのに。

合法的ミセス・メリー・ジェーン

胸に腰に声に舌 セックスの対象になるのは飽きた
望まれてもいねえし 望んでもいねえな
覗き見していた伏見 なら今では生身隠して抜身をさら

愛するお母さん? 愛する彼女? 
あとは全部ビッチ? あとは端っこにいるフィメール?

そんなこといったい誰が決める?
韻は踏めないし相変わらず踏んだり蹴ったりだ
けどフィメールとしてこしぎんちゃくになるのはゴメンだ

つけていくスキル 学ぶためのリスク 話題に出るクスリ

「私知ってるよ、キマる葉っぱなら随分知ってる、大葉とネギだ、さらにキマるのはパクチー」

キッチンで刃物を持つほうがH I P H O P 
包丁なら合法だから女なりの合法的な刺し方を心得て生きる
肉も魚も野菜も統治してraping
白いまな板の厨 白い粉に憧れるクソが

「天上天下唯我独尊」
って言いたいだけのメンタル中坊

いつかルブタンで踏むお前と韻、
待っとれベビーパウダーくさいワックM C

 着物が制服になりつつあったある時、いつも通りラップをしていたら黒人のカメラマンが通った。その日はゲストのラッパー、ミステリオがサイファーに来た日で、いつもより人が溢れていたからだろうか。

 黒人のカメラマンはスマホではなく本格的なカメラ機材で、次々にみんなの姿をカメラに収めていく。集合写真を撮ってあげよう、という身振り手振りに、皆広場に固まる。いつの間に起きた異文化交流に、皆テンションが上がっている中、いい写真が撮れた! というようにカメラマンはグーサインを送ってきた。すぐさま、何人かがインスタグラムを交換する。その中で元々GRAVITYの英会話ルームで英語を鍛えていた私は、とりあえず英語で話しかけ、「あとで写真を送ってください」と英語で言う。「Have a nice dey!」「You too!」

 それにしても着物スタイルも板についてきていた。最近は帯ではイマイチだなと気がつき、海外の通販サイトのシーインでボンテージ風ベルトをいくつも買い求めていた。コルセット風ベルトやヒップホップ風のギラギラのベルトを色違いで買い、着物も古着ショップでいくつも買い求めた。あまりみやびやかな感じではなく! オー! Japanese! という感じの派手な着物ばかり。サイファーをしているのが国籍が入り乱れる栄のど真ん中ということもあり、せっかくなのでパフォーマンス的にキモノ! という感じの模様の着物を選びだしているのもあったのだ。

 そのあとその黒人カメラマンとは英語でやりとりし、サイファーの写真を送ってもらった。そしておそらく黒人同士のカメラマンの仲間も、伏見サイファーに、さらにはキモノを着たジャパニーズウーマンに「!?」と興味津々になったらしい。もう一度、アヤコと写真のセッションがしたいとメッセージが入った。ぜひとも、と言うと、彼は、僕の友人のメイクアップアーティストからメイクの準備のメッセージが行くはずです、と言う。そうしてしばらくしてインスタグラムのメッセージが送られてきたが、正直インスタグラムの写真を見る限り、このくらいなら自分でできるというメイク、そして何より驚いたのは、そのメイクは彼女の自宅で、有料ということだった。

 まさか、この写真セッション自体、お金が発生するものなのだろうか? 不安に思い、カメラマンに連絡する。すると彼もそんなことは聞いていないと言う。話の端々を聞いてまとめると、どうやら、友人のメイクアップアーティストが、カメラマンに内緒で有料でメイクをしてお小遣い稼ぎしていたらしい。
 そしてここまでのやりとりは全て英語。どっと疲れる。

——ごめんなさい。お詫びとお知らせです。今回のメイクのやりとりでとても疲れて、これから忙しくなりそうなので、今回はお断りさせていただきます(英語)
「ああ、残念だ。とても残念(英語)」

 彼からの返事はそれだけ。やはり、日本人と違って謝らない文化、なのか? それにしても、お体お大事に、くらい言ってもいい気がする。そんなわけで、キモノを着たジャパニーズラッパーは、気遣いのないインターナショナルな感じに疲れながら、どんどん増えていくラップ用のキモノを畳んでその夜を過ごした。

端っこにいるフィメール

「あの、あや子さん、テレビ局から連絡来ました?」
 いつものサイファーのはじめ、ハルさんは少し眠そうに言った。
「え? 来てないです? 歌人名義でテレビの仕事はしたことはあるけど……。今んところは……」
「いや、違います」
「え?」
「ラッパーとしてです」
「はあ!?」

 全く訳がわからない。ラップも一生懸命やっているけれど上手うまくも何ともない。むしろ下積み組と自覚しているくらいだった。ただ……心当たりがあるならこの格好。着物を着てラップをしているラッパーは名古屋でも私くらいだろうという希少性はわかっている。でも、それって、平成に名古屋で流行はやった「セーラー服おじさん」くらい、キワキワのラインなんではなかろうか。

——Oさん、ちょっと気を落ち着かせるためにご連絡しますが、サイファー主催者にテレビ局から私のラッパーとしての活動の問い合わせが来たそうです……?
「W W W W W」
 最初にリアルサイファーに行けと言ってくれた、Oさんに連絡する。実はOさんも相当なHIPHOPマニアであり、私がサイファーにハマっていると知ってからは、応援のように次々ラップの参考音源を送ってくれていた。
——笑うしかない
「狙い通りすぎて笑いますね」
——おかげさまです。Oさんに言われなかったらサイファー行ってませんから
「いやー、早かったな」
——まだ私に直接連絡が来たわけじゃないのでぬか喜びになるかもしれませんが、着物効果も多分かなりあったかと
「取材される前に実力磨きたいですね!」
——まじそこです

 そこからOさんは取材された場合の完璧な返しを計画してくれた。

 確かに短歌とラップは近いところがある。57577とビートという定型ということ、また歌合とバトルライブとは同じく競技性があるということ。

 逆に違いは、短歌はしっとりと情緒があって自己を小さくまとめがちだが、ラップは怒りや衝動をスパークさせて、自分を大きく見せるところだ。そこが一番楽しい。

 まだ連絡も来ていないのに、Oさんと完璧な台本が出来上がる。

「楽しくなってきましたね!」

 でも連絡は待てど暮らせどこなかった。そこでテレビ制作会社で働いている、以前私のドキュメンタリーを制作してくれた大学の同期、おかんに電話で話すと、「あーーー」と彼女はわかりやすいほどのため息を漏らした。

「多分ねえー、それ、番組の趣旨と野口のプロフィールが合ってなかったんだと思うよ」

——どういうこと?
「だから、こう言うと申し訳ないけど、多分名も無い街の面白い人枠で野口がヒットしたんじゃないかな? それが、野口の情報見たらWikipediaまであるわけでしょう? これは違うってなったんじゃない? まあ、あくまで私の推察だけど」
——えー、そんなのいいじゃん、ラップではただの名も無い人だよ
「あのさー、野口、これ私も驚きなんだけど、普通野口ぐらいになったらラップに挑戦なんてしないよ。短歌では成果もあげてるし、結社も入っているし、歌人コースとしてはまあ、良好なわけじゃん。それに私らの歳で、そんな新しいことはじめませんて」
——え、だって楽しいじゃん。ラップ始めたら2キロ痩せたし、友達も増えたし、ジムよりお金かかんないし、めちゃめちゃいいスポーツだよ
「それなら普通はジム行くわ! どこから湧いてくるんだその挑戦心と行動力」
——どこからだろうねえ
「野口の衝動がどっから来てるかわからんということは、ドキュメンタリー作った身としてはわかる」
——それより集合写真見る? みんなめっちゃさわやかだよ
「え、ああ」

 ポン、とライン画面に画像を送る。

「え、何これ、爽やかって言うか、あの、ゴメン、若いっていうか、ええ、こんな幼いの?」
——うん、中学生とかいる
「そんな中でやってるの!?」
——うん
「え、なんかHIPHOPてもっとこう、ガチムチっていうか、マッチョっていうか、怖いイメージ持ってたけど、この子たち、全然若いじゃん」
——ていうか半分くらい未成年だしね
「え、ゴメン、私まで興味湧いてきた。これ、私も見てみたい!」
——え? おかんが?
「いや、これはぜひ見てみたい。まだやっぱこういうの私、職業病だわ、めっちゃ楽しそう! 面白いことあると飛び込んで実際見たくなるんだよね。……なんか、これ、どこかで見られたりしない?」
——ああ、今度ライブハウスで伏見サイファー祭あるよ。バトルライブあるし
「バトルって、なんかこう、ほらあの、向かい合ってひっどい悪口言い合うやつ?」
——必ずしもそうじゃないけど、そうそう、セッションっていうかディスり合うやつ。まあ勝てないだろうけどね
「え、ちょっと待って! 出るの?」
——うん
「え、何で?」
——だってエントリーも入場料も同じ値段だもん。だったら出たほうが得じゃん
「え、そんな理由? 負けたらとか考えないの?」
——負けたら負けたでいい経験になるじゃん、フィメールで出場するの多分私くらいだし、いい語り草でしょ
「ちょ、おま」

 電話の向こうでおかんは絶句しているらしい。

「……とりあえず、行くわ。その辺りなら東京からでも、休み取れると思うし」
——え、わざわざ来てくれるの? わーい、よろしくーー

 そう言いながら、私は自分の中にほんのわずかな違和感を感じていた。「フィメールで出場するのって多分私くらいだし」「いい語り草」。……「端っこにいるフィメール」。それに違和感を覚えながら、フィメールラッパーである自分を何かの添え物のように見ている感覚が、そこにはあった。でも、そんなこと今深掘りしても仕方ない。とりあえず、スキルを磨かなくては。

#4に続く(1月初旬に更新予定です)

◎プロフィール

撮影 三品鐘

のぐち・あやこ/1987年岐阜県生まれ、名古屋市在住。2006年、「カシスドロップ」にて短歌研究新人賞受賞。2010年、第一歌集『くびすじの欠片』にて現代歌人協会賞を最年少受賞。ほか歌集『夏にふれる』『かなしき玩具譚』『眠れる海』。岐阜新聞にて月一エッセイ「身にあまるものたちへ」連載中。