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和波孝禧さん「聴く、触る、そして全身で見る」ルポ 読書百景 #1

 ヴァイオリニストのなみ孝禧たかよしさんは、日本を代表する音楽家の一人だ。幼少の頃にクラシック音楽と出会い、1962年には17歳で日本音楽コンクール1位・特賞を獲得。ソリストとして翌年にはプロとして演奏を始め、その後はパリのロン=ティボー国際音楽コンクールで上位入賞を果たすなど、国際的な舞台で活躍してきた。
 1945年に生まれた和波さんは、出生時から目が見えなかった。彼が全盲であることに母親が気づいたのは生後3か月の頃。そんななか、母は和波さんを「目が見えなくても全身でものを見ることはできる」という考えによって、育ててきたという。そんな彼にとって、「読書」とはどのような風景として、胸に刻まれているものなのだろうか——。(取材/文・稲泉連、撮影・黒石あみ)

自宅にてインタビュー。膝の上に置くのは「ブレイルメモ」(後述)である。  

マッチで点字を作ってくれた

 僕は生まれたときから目が見えなかったので、点字の練習も早くからしてきて、小学校に上がる頃には字が読めていました。なので、小学生の頃には子供向けの本を点字で読んだり、中身が理解できなくても点字新聞の「点字毎日」には親しんだりしていましたね。

 高学年になると、盲学校の図書室にもよく通ったものです。あれはいつのことだったか、『二十四の瞳』(壺井栄著)なんかを最後まできちっと読んだ覚えがあります。

 ただ、点字というのは、みなが触って読みますから、何十人、何百人が読んできた本になると、点字がすり減って判別できなくなっている本もありましてね。点字を読むときは必ず手を洗うわけですが、果物を触った手で本を読んでしまうような不心得な人もいました。図書館の本の中には、そんなふうに読むのに苦労したものもたくさんありました。

楽譜は指で読む。すべて暗譜するという。

 そのなかで、僕が今でも楽しく読んだ記憶として残っているのは、毎日新聞から出版された点字本『指に目がある』(中川童二著)という童話です。目の見えない少年が点字を読みながら、いろんなことを経験していく。テーマは「読書の勧め」ということだったと思いますが、非常に感動したのを覚えています。

 僕がそのように「本」と親しむようになったのは、やはり母の影響があったのではないかと思います。点字図書があると言っても、やはり目が見えないと読める本は限定されてしまいます。そのことを母は心配していたのだと思います。だから、母は僕にたくさんの本を読み聞かせしてくれました。

 月刊の子供向け雑誌や子供向けの小説を、寝る前にいろいろと読んでくれた。子供の頃の僕は野球が好きだったので、少年野球が出てくる物語などが好きでしたね。それから、僕がずっと覚えているのは、 セルマ・ラーゲルレーヴの童話『ニルスのふしぎな旅』。あとは『ノンちゃん雲に乗る』(石井桃子著)。

 昼間はヴァイオリンのレッスンで怒られることもあったけれど、夜になると母がそうした本を優しい声で淀みなく朗読してくれるわけです。それは僕にとって、とても楽しい「読書」の時間でした。

 僕が点字の練習を始めたのは、バイオリンを始めた4歳のときです。楽譜を点字で読まなくてはならなかったからです。最初の頃は母が箱に穴を開け、マッチの軸を立てて点字の形を作ってくれました。紙に書かれた点字は子供には小さすぎて、判読がなかなか難しいからです。そこで、母はマッチのふくらんだところを使って点字を作り、文字の形を分かりやすくしてくれたのですね。

 僕は目が見えないので、楽譜を見ながら演奏することができません。だから、曲を覚えるときは全て暗譜をするということになります。ワンフレーズ読んだら、それを弾いて音にしてみる。点字を触って読んでは弾いてみて、また触っては弾いてみる――という繰り返しです。なんというか、一つの曲を弾けるようになっていく過程は、トンネル工事のような感じがします。一つずつ音を頭に入れていくことを地道に続けて、ついに一曲が完成するわけですから。

 そんなわけで、僕は点字で本を読んできたのですが、一方で音声での読書にも親しんできました。昭和30年代に日本点字図書館の録音図書ライブラリーが始まって、オープンリールのテープを貸し出していたんですね。僕は小学校四年生の時のクリスマスに買ってもらったテープレコーダーを持っていたので、本を借りてきてよく聞いていました。それから今でもサピエ図書館(視覚障害者など、目で文字を読むことが困難な人に対して、点字や音声データを提供するネットワーク)をよく利用しています。

 最近ではオーディオブックもありますし、点字で読む以外にも「読書」の形を自分に合ったものに作り上げていくことができるようになってきました。だから、僕は点字とオーディオブックの両方を、時と場合によって使い分けて本を読んでいます。

 自分の好みとしては、やっぱりきちんと読みたい本は、点字で読むのがいい。音声で聞くのは楽しんで読む分にはいいのですが、教科書や理論書は点字の方が理解も深まりますから。


 インタビューのあいだ、和波さんは手元に「ブレイルメモ」(点字ディスプレイ)という端末を持っていた。テキストデータを入れると、自動点訳されて表示されるディスプレイだ。表示されるのは32マス分の点字で、テキストデータさえあればメールやインターネットの文章、本、音符などを表示させることができる。取材冒頭、何かを確かめるように指で端末に触れていたが、事前にこちらが送った質問案を読み返していたという。


インタビュー中、ブレイルメモで確認していたのは、編集部が事前に送った質問案だった。  

 旅先ではこのブレイルメモを使って読書をすると、ぐっと気分を変えることができます。

 それでも長い本を読むときは、紙に印刷した点字が好ましいですね。残りのページ数が触れば分かるし、ページの全体をなぞって本の大枠を把握することもできるからです。

 また、音声で読む場合は、感情がそれほど込められていない自然な声と読み方である方が、僕は自分の想像力を働かせながら読めるので好きです。

 だから小説などは、最初は音声で読み始めて、じっくりと読みたくなったら点字に切り替える、ということもあります。逆に結末を早く知りたいと思わせる物語の場合、点字で読んでいたものを途中から音声で聞くこともあるんですよ。

 僕は目が見えないことを、大変だと感じたことはないんです。その理由は、母が僕を「視力がなくても、全身で見ることができる」という考え方で育てたからだと思います。

「見えないからできない」と母は決して言わず、僕が興味を持つものには必ず触らせようとしてくれました。

 例えば、動くもの、電車なんかに興味を持ったら、母は電車が高架を走るガードの下に僕を連れて行ってくれました。電車が通るときの振動が、壁に手を当てると伝わってくる。その様子を言葉と一緒に教えてくれるわけです。

 自分が見たもの、感じたものについて、母はなるべく話すようにしてくれていましたし、触れるものは触らせてくれた。そうやって一緒に世界の物事を感じ取るように育てられたので、僕にとっては「見える・見えない」というのはあまり関係ないんです。

「きれいなお月様」

 こんなこともありました。5歳の頃、家族みんなでお月見をしていたときのことです。僕は窓のところから顔を出して、「きれいなお月様」と言ったんです。そうしたら、傍にいたお手伝いさんが、「この坊ちゃん、本当に見えていないんですか」と驚いていましたよね。

 ただ、こうした様子を学校で作文なんかに書くと、問題になってしまうんですよ。

 小学校6年生の夏休み、天竜川の旅館に旅行に行ったことがありました。朝、母が部屋で荷造りをしている間に、僕は父と弟の三人で川沿いを散歩していました。父に「ここからは泊まっていた旅館が見えるんだよ」と言われ、僕らが見ると母が旅館の部屋から手を振ってくれたんです。

 その様子を作文で「手を振っているのが見えました」と書いたら、先生から「それはおかしい」とコメントがついていました。でも、僕からすれば、見えたのは事実なんです。だって、実際に見える人には見えているわけですから。

 子供の頃からそうやって育てられてきた僕にとって、「見えないから関係ない」というものはこの世界にはない、というふうに思っていますね。

和波さん提供

わなみ・たかよし/1945年、東京都生まれ。62年、第31回日本音楽コンクール第1位、特賞。その後、パリのロン=ティボーおよびロンドンのカール・フレッシュ国際コンクール上位入賞。他に文化庁芸術祭優秀賞、サントリー音楽賞などを受賞。2005年、紫綬褒章、15年、旭日小綬賞受賞。


◎筆者プロフィール
いないずみ・れん/1979年、東京都生まれ。早稲田大学第二文学部卒業。2005年に『ぼくもいくさに征くのだけれど 竹内浩三の詩と死』で第36回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。主な著書に『復興の書店』『「本をつくる」という仕事』『アナザー1964』『サーカスの子』など。

撮影 藤岡雅樹

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