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アンナ・ツィマ「迷い姫」 ニホンブンガクシ 日本文学私 #3

本連載は、欧州で反響を呼んだ『シブヤで目覚めて』を上梓したチェコ人作家にして、東京在住の日本文学研究者でもあるアンナ・ツィマ氏が、”日本語”で綴ったエッセイです。
(#2「アフター読」は
こちらから)

ベルリンの朗読会

 私のデビュー作、『シブヤで目覚めて』の最初の翻訳はドイツ語版だった。2019年にそれが出版された際、私は夫と2人でベルリンに赴くことになった。出版社のオーナーに誘われたのだ。同社はけっして大手ではない。数人の文学愛好家が夜も寝ずに必死に小説を訳したり、編集したりしているような印象が強かった。東ドイツ生まれのオーナーは社会主義時代にチェコスロバキアを何回も訪れ、禁断のライブに参加したり、お酒を飲んだりしていたらしい。とにかくチェコに強い関心を持ち、ベルリンの壁崩壊の後に出版社を設立し、運動家の精神で様々な社会問題などを題材にする本を出し続けた。歴史の重いテーマを扱うチェコ文学作品のドイツ語訳を出版したこともある。

 なぜこのような人が『シブヤで目覚めて』に興味を抱き、それを出すことに決めたのか、不思議でならなかった。にもかかわらず、ドイツ語訳が出たことを嬉しく思い、出版社が主催してくれた著者の朗読会に参加するため、日本からベルリンへと旅に出た。ちなみに、今回の「著者の朗読会」は、私が読者の前で自著の抜粋を母語で読んでから、出版社がこの日のためにオファーした女優がドイツ語訳の同じ箇所を読み、最後に私と翻訳家がともに読者の質問に答えるという趣旨のイベントだった。

 ドイツ語のできない私と夫は、ベルリンのクロイツベルク地区でバスから降りるとすぐ迷子になり、1時間ほどあちらこちら歩き回った。GPSの通信もとどこおりがちで、やっとお目当ての住所を見つけたら、それはたくさんの落書きやおかしなシールに覆われた怪しげな細長い建物だった。朗読イベントの会場は、かつて不法占拠されていたという建物だった。うす暗い階段を昇りながら、この先で殺されるのではないか、と心配していたが、やっと会場の3階にたどり着くと、オーナーと翻訳家と朗読の女優さんにとても友好的に歓迎されて、安心した。

置き去りにされた子犬のような夫

 会場の中は古い工場を思わせた。大きな窓の下に椅子と小さなテーブルが置かれ、テーブルの上に『シブヤで目覚めて』のドイツ語版が飾られていた。テーブルの真正面に並ぶ多くの椅子は、今か今かと読者たちを待っていた。まだ誰も来ていなかったが、ドキドキしてきた。同作がチェコで出版され賞をもらった2018年には日本に移住していたので、読者に会う機会は一度もなかった。そのためすごく興奮し、「ああ、これこそ作家の人生だ! これはキャリアの大事なステップだ!」といった思いが頭の中に渦巻き、読者との対面にワクワクしていた。

 朗読会は午後7時に始まる予定だった。しかし、10分、15分が過ぎても一人も現れなかった。用意された30脚の椅子の真ん中にポツンと座る夫は、置き去りにされた子犬のようだった。7時20分になると、ようやくドアが開き、友人のS君が会場の中を覗き込んだ。

 彼は私の好きな、浜松で活動するサイケバンドのフロントマンで、その頃ベルリンに引っ越したばかりだった。ドイツ語もチェコ語も一言も喋れない。朗読会に来てくれた理由は『シブヤで目覚めて』のためではなく、ベルリンに友だちが一人もいなくて、寂しかったからだろう。

 夫とS君は読者のために用意された椅子に座っていた。まるでバスでも待っているかのように。そして、S君の他にもう誰も来なかったので、7時30分にイベントはキャンセルされた。みんなでパブに行き、美味しいビールをたくさん飲みながら雑談し、最終的にとても楽しい一夜となった。ただ、ホテルに戻ってベッドで寝ようとしたときに、会場の空席の真ん中で苦笑している2人の《読者》を思い出し、作家というキャリアを選んだことに深い疑問を抱かざるをえなかった。 

 ベルリンには3日泊まり、街を散歩したり、美味しい料理を食べたり、多くの美術館を訪れたりしたので、楽しい旅行だった。結局後悔として残ったのは、森鷗外ミュージアムがベルリンにあることを知らなかったため、見学の機会を逸してしまったことだった。

もじゃもじゃと汚い雪の景色

 19世紀末のベルリンとプラハの風景は私のなかではすごく近いイメージなので、『舞姫』を読むとき(ブランデンブルク門はさておき)ごく自然に故郷のプラハを想像してしまう。あの赤い屋根。あの汚い教会の壁。暗くて寒い冬の憂鬱の数ヶ月。冬でも晴れた日が続くことがよくある日本からヨーロッパの地獄に留学しにきた主人公の豊太郎がどれほどショックを受けたのか、よくわかる。あのもじゃもじゃと汚い雪の景色は、失恋物語に完璧な舞台ではないか。

 豊太郎は、外国で学問を楽しみながら恋人と暮らしつづけるか、それとも日本に帰って国のために働くか、という二者択一に迫られる。そして結局自分のパッションより義務、つまり日本でのキャリアを選んでしまう。私も高校4年生のとき(そんなに悲劇的ではなかったにもかかわらず、極めて大きい)選択に直面していた。

 当時、私は同い年の彼氏と既に4年ほど付き合っていた。彼とは16歳の頃に出会い(エリスが豊太郎に出会ったのも16歳だったろう)、深く恋に落ち、彼のすべてを心から尊敬し、言われる通り振舞っていた。初恋に酔い、これこそ本当の愛と思い込み、この人といつか結婚すると強く信じていた。そして、交際してから約1年を経たある時、私は初めて日本へ旅行に行く機会を得て、1ヶ月ほど東京で夏休みを過ごした。彼はプラハにひとり残された。

 出発はウィーン空港だったので、私の旅はプラハからウィーンまでの夜行バスで始まった。見送りに来てくれた彼の手を振る光景がもの悲しく、バスがプラハから離れるにつれ、私の心もどんどん重くなってゆき、痛かった。まるで私と彼の心が透明な糸で結ばれており、その糸が遠くへ行けば行くほど張り詰めるかのようだった。そう考えるだけで、本当に苦しかった。

 豊太郎もドイツの初恋体験に悩まされたまま船に乗って日本に行き、他の乗客を離れ、心を苦しめながら日記にこう書いた。

「げに東に還る今の我は、西に航せし昔の我ならず、学問こそ猶心に飽き足らぬところも多かれ、浮世のうきふしをも知りたり、人の心の頼みがたきは言ふも更なり、われとわが心さへ変り易きをも悟り得たり」

 好きな人から離れるにつれて、彼の心が乱れる。そして致命的な決断をした現実から背を向け、ひたすら自らの正しさを念じることで心を慰めた。エリスとの一件は首尾よく済ませたと思い込もうとする。だが、心の奥には疑問が残り、「彼を憎むこゝろ今日までも残れりけり」と認めざるを得ない。このように、恋人を繋ぐ糸が切れようとしていた。エリスはどれほど苦しかっただろう。もっとも、その糸を切った彼自身も苦しかっただろう。それを我慢するため、友人の相沢について「嗚呼、相沢謙吉が如き良友は世にまた得がたかるべし」と豊太郎は書くが、自分を騙していたに違いない。

目から離れれば、心からも離れる

 私が来日した2008年には携帯電話はもちろんあった。彼に毎日電話をかけると約束したが、携帯が古かったためインターネットの繋がりが悪く、約束は守れなかった。久しぶりに一人になった。そして、「目から離れれば、心からも離れる」というチェコ語のことわざどおり(日本語では「去るものは日々にうとし」と言うだろうが)、私は真新しい世界に完全に囚われて夢中になった。時折、マンガ喫茶でメールを書く機会があっても彼に「寂しい」とか「会いたい」ではなく、「日本は最高だよ」「私は日本に留学したい」としか書けなかった。

 彼はしかし、私の興奮をまったくシェアできなかった。日本に強く嫉妬し、自分がどれほど寂しいかを訴え、一日5通もメールを送ったり、返事を促したりしていた。私はまず彼を慰め、次のように約束した。日本でお酒を飲まない。知らない人と話さない。浮気なんて、絶対しない。だが、彼の喚きが止まらなかった。私は怒った。何も悪いことしていないのに、どうして信じてくれないの? どうしてサポートしてくれないの? 私の喜びに共感を示さないの?

 確たる答えが返ってくることもなく、彼はできるだけ早く私を日本から引き離そうとしていたのだろう。夢を諦めさせようと努めていた。それに気づいた17歳の私は、また新たな痛みに打たれた。将来、本気で日本で暮らしたいなら、こんな彼と付き合って、結婚していいのかしら? 様々な疑問が初めて浮かびあがった。

 日本から帰ってから3年ほど彼と付き合っていたが、私たちの心を結ぶ糸のもつれは元通りになることはなく、結局のところ私は夢と愛のどちらかを選ばなければならなかった。そして選んだのは、夢だった。豊太郎は帰国して義務を選んだが、選んだ道がちがうにもかかわらず、衝撃が同じく重い。私にとってあの選択は、大人への第一歩に違いなかった。

 話はもちろん、ここで終わらない。日本文学の好きな男と結婚し、2人で来日し、日本で暮らし始めた。そしてそれとともに、また新しい選択に揺れることになる。今度は愛と夢(日本に残るか)それとも愛と義務(国に帰るか)、難しい選択が目の前に現れた。子供が生まれたら、このような大きな決意に伴う責任感はまた増す。

 人生は難しい選択が多い。そして何かの道を選択するたびに、人生の木から何本もの枝が切られ、将来の可能性が紡がれる。重要なのは、自分の選んだ道を貫き通すことができるかどうか、ということだろう。豊太郎の場合は、エリスを捨てたことを死ぬまで心底後悔するのではないか、とときどき思う。幸いにして私はまだ後悔せず、自分の道を歩んでいる。

(次回は8月19日の公開を予定しています)

◎筆者プロフィール
1991年、プラハ生まれ。カレル大学哲学部日本学専攻を卒業後、日本に留学。『シブヤで目覚めて』(Probudím se na Šibuji)で2018年にデビューし、チェコ最大の文学賞であるマグネジア・リテラ新人賞、イジー・オルテン賞、「チェコの本」文学賞を受賞。