アンナ・ツィマ「アフター読」 ニホンブンガクシ 日本文学私 #2
再読で〈読み返る〉
初読は二度と繰り返せない。それゆえ自分が好きな本をまだ読んでいない相手が羨ましい。今読んでいる本を終わらせたくないと感じたりもする。
初読は冒険的だ。一方で私は〈再読〉も魅力的だと思う。久しぶりに小説を読み返すとき、頭の中に浮かんでくるのは小説の登場人物やスト―リーの出来事ではなく、昔の自分に他ならない。初めて読んだ頃の気持ちやムードは勿論のこと、文学に全く無関係なこともよく浮かびあがる。当時住んでいた地の風景、学校や仕事への通い道。読んだ時期は秋だったか、春だったか。友だちの顔。そのすべてが蘇る。むしろ〈読み返る〉と書いた方が適切だろう。ある小説を〈読み返る〉と、昔の気持ちと今の気持ち、昔の自分と今の自分が重なり合い、〈内なる読者〉がどれほど成長してきたかを考えさせられる。
ところで、父には口癖があった。ふさわしい年齢になるまで読むべきではない小説がある、と。物語や登場人物、思想などにどれほど影響されるかは年齢によって大きく異なるから、と父が付け加える。サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』をよく挙げ、それを10代の後半の人たちに相応しい本だとも言った。同作は1951年に出版された青春小説である。主人公はどこかが未熟ながら賢い青年だ。周りの世界に対して違和感を抱き、社会を嘲笑いながら自分の弱さも意識し、様々なことに悩まされている。同作は10代の父に大きな影響を与えたのだろうが、私が高校時代、一番心を打たれたのは、村上春樹の『アフターダーク』だった(2004年に同作を出版する1年前、村上春樹が『ライ麦畑でつかまえて』を日本語に訳したことは、当時、父も私も知らなかったが、ここにもやはり縁があるだろう)。
16歳のある日のことだ。私は学校の帰り道で、暗く汚いプラハの地下鉄のエスカレーターを昇ったとき、『アフターダーク』チェコ語訳の出版を知らせる広告が偶然目に入った。小説の表紙は、キラキラするネオンの看板に溢れる新宿の夜景だった。そして、「Haruki Murakamiの新作!」という宣伝文句。私はドキドキした。内容も何も知らず、ただのポスターだったが、気づくと私はこの本に惚れていた。家に着くや貯金箱を割り、本屋に走った。そして、読んだ。私の予感は間違っていなかった。『アフターダーク』にすっかり魅力された。
翌日の放課後、私はコーヒーを買って喫茶店に座り「目の前にコーヒーがあるから、いわば役目としてそれを飲んでいるだけ」で「思い出したように煙草を口にくわえ、プラスチックのライターで火をつけ」、「ずいぶん熱心に本を読んでい」た。私はマリというと登場人物になりすました気持ちで『アフターダーク』の冒頭のシーンを再現しようとしていた。マリは寂しくカッコいい女の子だと思った。
16歳当時の私は、チェコに立往生しているような気がしていた。学校は朝8時に始まるので、毎朝5時45分に起き、1時間以上冷たい風が吹く冬のプラハの端から端まで通学し、やっと学校に到着してもほとんど友達がいなく、無視されるか、からかわれるかして、午後4時まで授業を受けて帰る。人生は単調で、冒険不足。たまには、何かの過ちで他人の人生を生きているような気分さえあった。あるいは、寝ているかのように思った。プラハの現実はつまらない夢に見え、私の本当の人生は実際には、違う世界である日本に送られているようだった。
様々なことを夢想していた。私がプラハで夢遊描写のような生活を送っているなら、東京で暮らしている「もう一人の私」がきっと絶えずに睡眠不足に悩まされているに違いない、と。日本の私は、プラハの私のことを認識していないので、どうして疲労感を覚えるかわからないだろう……。 言い換えれば、私はマリという『アフターダーク』の登場人物に共感できたと同時に、長い眠りから目覚められないマリの姉エリにも、強い興味を抱いていた。そして同作全体に漂う孤独感に親しみを抱き、私の世界と小説の世界が不思議なほどに近いものだと感じた。心に近く体に遠い異世界に憧れていた。
皮肉にも、同作の若い登場人物が皆、ある種の停滞感を抱えているように読み取れたことは、私を慰めてくれた。憂鬱な思春期を送っていた私に唯一の希望を与えてくれるのは、いつか日本へ行くという夢だった。しかし憧れていた日本にも苦しんでいる若者が存在していることは、妙な安心感をもたらした。私は一人ではない。マリとエリは、私と喋ってくれない同級生よりリアルに感じ、手を伸ばせば触れることさえできるような錯覚にとらわれた。『アフターダーク』を鞄に入れて持ち歩くことで、私は日本を鞄に入れて持ち歩いているように感じた。文学の力は実に素晴らしい。
渋谷のデニーズでサンドウィッチを
17歳になって、初めて観光客として来日した私は『アフターダーク』の雰囲気を味わいたく、夜の渋谷を散歩がてらデニーズに入ってサンドウィッチを頼んでみた。しかし、たいした感慨は得られなかった。逆に違和感を覚えた。東京のデニーズに座ったときよりも、プラハの喫茶店に座ったときの方が、私はマリとエリに近かったような気がした。帰りの飛行機で、現実の日本と文学の舞台である日本の関係をよく考え、文学にしか存在しない架空の日本をもっと調べようと決めた。
その時期、チェコでは(近年は状況が大分変わってきたようだが)、日本文学の新しい翻訳が少なかった。本屋に並ぶ日本の作品はアメリカで売れているものを優先している出版社、あるいは個人の好みを優先する翻訳家の選択によるものだった。時には探偵小説、時には村上龍、時には源氏物語、とチェコの日本文学世界はバラエティ豊かというよりも、無秩序だった。
図書館に行くと、社会主義の時代に訳され、現在、絶版になっている翻訳書もあるのだが、それもかなり限られている。私の日本文学の知識は、長い間、このセレクションに影響された。私は翻訳書を集めたり、読んでみたりしていたが、まるで泳げない人が水に投げ込まれたようだった。ジャンルも統一されておらず、正直に言うと「この作品の一体どこがいいの?」とさっぱりわからない場合が多かった。源氏物語の人間関係が平安時代に不勉強な17歳の女の子に理解しにくかったことは言うまでもない。同様に、私は谷崎潤一郎の『蓼喰う虫』を読んだときも「は?」と大きな疑問しか覚えられなかった。
一方で金原ひとみの『蛇にピアス』は興味深く、太宰治の『斜陽』や『人間失格』ではなく、なぜか「思ひ出」の方に惹かれ、「むかし林檎の大木が五六本あつたやうで、どんよりと曇つた日、それらの木に女の子が多人數で昇つて行つた有樣」と言った描写が今でもはっきり心に残る。
私の日本文学の選択は本当に奇妙で恣意的だった。読んでいた作品が時代的にどれだけ離れているか、前書きや解説に翻訳家か専門家が書いてくれているにもかかわらず、あまり気にしていなかったようで、すべてが「日本」の一環として混ざり合っていた気がする。芥川龍之介の「河童」と『アフターダーク』も本棚で隣り合って並んでいると、お互いに近い存在だと感じた。
あまりにも近く、あまりにも遠い「日本」
大学院生の頃『シブヤで目覚めて』という小説を書いた。その主人公、17歳の高校生のヤナがシブヤを彷徨う「魂」となり、シブヤを離れられなく帰国できない。久しぶりに「河童」を再読したら、その語り手も「だんだんこの国にゐることも憂鬱になつて来ましたから、どうか我々人間の国へ帰ることにしたいと思ひました。しかしいくら探して歩いても、僕の落ちた穴は見つかりません」ということに悩んでいる。その部分に至ると「こんなにも同じなんだ」と正直に驚いた。
私も日本にいるうちにチェコが恋しくなるのだが、様々な事情があり中々帰ることができない。だが、やっと家族のもとを訪れると、しばらくのあいだ強い違和感に襲われ「人間の皮膚の匂に閉口」するというより、行儀の悪いチェコ人を恥じたり、バスやお店に入るとどうしても軽くお辞儀するので友達にからかわれたりする。そして、よく日本「の言葉を口に出してしまふこと」だ。しかも「河童」の主人公が「河童の国へ帰りたいと思ひ出しました。さうです。『行きたい』のではありません。『帰りたい』と思ひ出したのです。河童の国は当時の僕には故郷のやうに感ぜられましたから」と思うように、私は日本に帰りたくなる。
14歳の私は、まだ無邪気な若々しいエネルギーによって動かされていたので、芥川が人生をどのように展開させていくのかについてのヒントを与えてくれていたことに気づかなかった。「河童」を読んだ頃、目の前のページに仕掛けられた罠に気づいていなかったと思う。だが、知らないうちに、河童の語り手と同じような罠に落ちた。まず河童に掴まれ、頭を打たれ、湖の水の中に引きずられた。そこで私は『アフターダーク』という、私にあまりにも近く、あまりにも遠い「日本」を発見し、私の現実と小説の世界は溶け合ってしまった。日本の小説を読めば読むほど、無数の「日本」の間で泳ぐことになった。
居場所を失ったのか。居場所が二つあるのか。文学は唯一の安心できる居場所になったのか。いや、どれでもない。私はどこにいても「河童」の語り手と同じような違和感を抱く。どこへ行っても、ただ「ゲスト」役を演じ、チェコと日本の間の大きな隙間にある、大きな蓋付きのティーカップを思わせる場所に閉じ込まれるようになった。
しかし、勘違いしないでください。これは私の夢です。私は魂のティーカップとなった夢をとても大事にし、絶対に壊れないように守っているのです。
ただし、ときには蓋を開けて頭を出すのも悪くないことだ。そのときだけ見回し「こんなにも同じなんだ、こんなにも違うんだ」といった違いを感じることができる。14歳から日本文学に関心を抱いたので、この文章を書いている2023年も終わろうとしている現在までに18年が経っている。そのあいだに大人になった〈内なる読者〉が、子供の頃から養ってくれていた日本文学を思い起こし、考えることができる。これこそ、このエッセイの醍醐味の一つにちがいない。
◎筆者プロフィール
1991年、プラハ生まれ。カレル大学哲学部日本学専攻を卒業後、日本に留学。『シブヤで目覚めて』(Probudím se na Šibuji)で2018年にデビューし、チェコ最大の文学賞であるマグネジア・リテラ新人賞、イジー・オルテン賞、「チェコの本」文学賞を受賞。