鈴木成一と本をつくる【season2】「デザイナーの勇み足は、編集者からすると品がない」#2
私たちと地続きの監視社会
2025年も1ヶ月が過ぎようとしている。ドナルド・トランプの大統領再就任。ガザ地区の停戦合意とヨルダン川西岸への攻撃激化。終わりの見えないウクライナ戦争。ユン・ソンニョル大統領の戒厳令宣布をめぐる韓国の混乱……。“戦時下”の国際情勢に心を痛める日々は、まだ終わりそうにない。
そんな時代だからこそ、世界をより良くするために、たとえ微力でも私たちは自分ひとり分の力を行使したい。そのためにはまず、知ることが欠かせない。だから私たちは読書をする。SNSの即時的な情報のフローに抵抗して本を読む。著者が取材し、熟考し、書きあぐねた末に刻んだ文章を読む。そうして私たちは、知識と力を得る。
この文章は「鈴木成一 超実践 装丁の学校 第二期」のレポートだ。なぜこのような書き出しになったのかといえば、今回の「装丁の学校」で受講生たちが装丁に挑む作品が『一九八四+四〇 ウイグル潜入記』だからだ。ライターの西谷格が、小学館のWEBメディア「読書百景」で連載するこのルポルタージュは、中国当局による監視が最も厳しいといわれる新疆ウイグル地区に、西谷が“潜入”した記録だ。
隣国で起きている人権侵害は、それ自体が許しがたいことであると同時に、私たちの暮らしにおいても無縁ではない。誰もがスマートフォンを持ち、街中では監視カメラに見つめられる現代社会では、あらゆる個人情報が筒抜けだ。権力の思惑次第で、いともかんたんに市民は監視下に置かれうる。私たちはみな『一九八四+四〇』の射程にいるのだ。だから私たちはカナリアの鳴くほうへ目を向けよう。この本は、そんな警鐘を鳴らしてくれる。
しかし、そもそもこの本を手に取ってもらえなければ、書かれてある事実を知ってもらうことすらできない。『一九八四+四〇 ウイグル潜入記』をより多くのひとに届けるための装丁を生み出すことが、今期の「装丁の学校」の狙いだ。
前置きが長くなったが、約一ヶ月ぶりの「装丁の学校」である。年をまたぎ、また気を引き締めた受講生たちが、静かに開始の時刻を待っている。
前回のレポートでは「(第一期と比べて)今回はどこか和やかだ」と書いたが、雰囲気は一変した。受講生たちの表情はやや硬い。実際に各々装丁のラフ案を提出し、ブックデザイナー・鈴木成一の講評を受けるのだから無理もない。自分のラフ案への言葉を待つ受講生たちの心境や、いかばかりか。いよいよ第2回が始まる。
タイポグラフィを実演!
授業は、鈴木によるタイポグラフィのレクチャーから始まった。「装丁案を発表する緊張も忘れるほどに、この授業は刺激的でした」と受講者が語るほど、エキサイティングな時間だった。
「一冊の本が持つ主張と意志を、ノイズがないかたちで演出し、伝えるのが装丁の役割です」
そう語る鈴木のブックカバーデザインは研ぎ澄まされている。今回鈴木はパソコンを実際に操作しながら、タイポグラフィの制作を実践・実況してみせた。
ここではまず、『裸の大地 題二部 犬橇事始』(角幡唯介著、集英社)を見てみよう。このタイポグラフィの基礎になっているのはモリサワの「秀英にじみ角ゴシック」というフォントだそう。ここに「パスのマイナスオフセットをガンガンかけていく」。そうやって元のフォントをこそげることで、「北極という殺伐とした環境」を見事に演出してみせる。
「デジタルでの編集が容易になり、リリースされているフォントを調整するだけで、書籍が持つ主張を反映するタイポグラフィができるようになりました。装画との関係、書籍タイトルそのものの印象や長さといった条件に合わせて、ありもののフォントを太らせたり、減らしたり、ちょん切ったりする。そのひと手間だけが大事なんです」
SNSで「女子大生殺人犯」に仕立てられた男性サラリーマンを描いた小説『俺ではない炎上』(浅倉秋成著、双葉社)のタイポグラフィもまた、既存のフォントの操作で印象的に見せる。
割れたスマホ画面をモチーフにしたイラストだが、これもストックフォトから探してきた画像だ。この割れ目の軌跡に沿って、「俺」の文字を分割し、片側をずらして傾ける。さらに実際のカバーでは、ヒビ割れの箇所以外にUV加工を施し、スマホ画面の質感を再現してみせた。SNSで殺人犯として名指しされた“無辜の市民”の極限の不安を、スマホという身近なアイテムとフォントの操作で、強烈に印象づける。
大野露井のロンドンの街を舞台にした短編集『塔のない街』(河出書房新社)では、イラストレーターの柳智之にこの小説から想起される街を描いてもらった。その白黒のイラストに交じるようにして、金の箔押しでタイトルを置いているが、どの文字も本来のフォントからは少しずつズレている。鈴木は「この小説は、見慣れた日常を分解して再構築している。その感覚をイラストとロゴで表現した」と語る。イワタの細明朝で書かれた『塔のない』という文字を、一画ごとに分解し、再構築。可読性を保ちつつ、不安定さを見事に演出したのだ。
「それぞれ思想があって厳格に統制されたうえで成り立っているのがフォントです。完成された活字の印象というのは強固なんですね。だからその完成された世界観を利用して、ひとつ工夫することで、本の個性に合わせていきます」
ありもののフォントを使うことは、仕事の効率化という点でも重要だ。年間数百冊を手がけるうえでの、必須スキルといえる。鈴木は「ゼロからロゴを作ることもありますけど本当に大変なんですね」と語る。第一期でも、ロゴを一から作った受講者を褒める場面があったが、あれはその苦労を知るからこその賛辞であったのだろう。不覚にも、筆者は当時、ロゴを制作することの困難に全く思い至っていなかった。
デザイナーのこだわりと勇み足
既存のフォントを使うだけでなく、タイトルロゴを実際に書いてもらうこともある。たとえば、身元不明となった女児をめぐる、女性たちの運命の交錯を描いた小説『熊はどこにいるの』(木村紅美 著、河出書房新社)では、鈴木成一デザイン室スタッフの小学校1年生の、娘に書いてもらったそうだ。
「担当編集が見つけてき静謐なイメージの絵に対して、それを壊してしまうような子どもの乱暴な字をぶつけることで、登場人物たちの内面の深さを演出しました。担当編集も最初は活字のほうがいい、と拒絶したんですよ。でも俺としては『どこにいる』だったら活字だけれど、『どこにいるの』ときたんで、これは子どもに書いてもらうのがいいだろうと」
また、又吉直樹の『人間』(毎日新聞出版)の題字は、連載中のイラストと本作の装画を担当したイラストレーター・村田善子に書いてもらった。
「この絵とロゴが織りなすビジュアル全体が、イラストレーターの手によるもの。私がやったのはレイアウトと印刷のことくらいですね。この主人公が抱える生きづらさとイノセントな側面を、カバー全体で表現することを目指しました」
さらに、町田康の新著『俺の文章修行』(幻冬舎)で鈴木が犯した“勇み足”にも話は及んだ。本作の装画には、鈴木が敬愛する岡崎乾二郎の作品を借りている。
「乱暴に言えば、絵の具を塗ったくっただけの作品なんだけど、私は非常に好きなんです。岡崎さんのこの絵の、乱暴でありながらちょっと繊細な佇まいは、町田さんの無頼にも共通するんですね」
はじめは岡崎の筆の勢いに加勢するようなかたちで、タイトルロゴをフォトショップで変形させた。「これはしめたものだ」と思った鈴木だが……担当編集に断られたのだそう。
「思いっきり拒否られました、元に戻せと(笑)。やりすぎましたね。デザイナーの勇み足は、編集者からすると品がないわけです。もうちょっとちゃんとタイトルを見せたいと。ここは堂々と折れました」
今年でブックデザイナーとして40周年を迎える鈴木のこのエピソードにこそ、彼のブックデザイナーとしての矜持が表れている。ブックデザインは、装丁家の芸術表現ではなく、あくまでも本の個性を引き出すための技術だと鈴木は何度も語ってきた。ときには自分のやってみたい表現に挑戦することもあるが、クライアントに「思いっきり拒否」されれば引っ込める。徹底的にこだわりながら、その執着を潔く捨てられるのが、鈴木成一の強みだろう。
鈴木のこのレクチャーだけでも、本講座は一見の価値がある。アーカイブ映像は今から申し込んでも視聴できるので、ぜひご覧いただきたい。
純文学とノンフィクション
いよいよここから、受講生たちのラフデザインを見ていこう。今回提出されたデザインプランは二通りに分けられる。カバーにイラストを使うか、写真を使うか、だ。
まずはイラストを使った装丁案だ。大島永和子は、ふたつの案を提出し、二案とも好感触を得た。どちらも自らイラストのラフを描いている。A案は、二頭身のかわいらしいバックパッカーを描き、ウイグル潜入記の物々しさを軽減すると同時に、著者である西谷のチャーミングな人柄を表現している。鈴木はイラストレーターで旅行作家の蔵前仁一を引き合いに出して、この方向性を評価した。タイポグラフィも「今っぽくて著者のイメージとズレがない」という。
さらに注目したいのがB案だ。両手をじっと見つめているような怪しげなシルエット。ペールグリーンの色遣いも鈴木は褒める。「ノンフィクションというよりは純文っぽい」と難色を示しつつも、このオリジナリティは捨てがたいようだ。
「純文学というのは、人間の内面を表現してみせるものです。それに対して今回のノンフィクションというジャンルは、社会という外部を映し出すもの。だから方向性としては真逆になっている。でも、表現としては非常に面白いので、ぜひブラッシュアップしてみてください」
現代アート的なオブジェのイラストを使ってきたのは、水澤アルトだ。ウイグルで使用されている拷問器具や絞首刑のイメージを描きながらも、恐怖感を和らげてほしいとイラストレーターにリクエストして描いてもらったそうだ。さまざまなコンセプトを孕んだ異形の絵だ。
イラストの存在感を肯定しつつ、鈴木は絵に囲まれ、細く華奢なタイボグラフィで、四角い枠の中に収まったタイトルのあり方を評価する。「文字をさらにドーンと大きくして、イラストに被せちゃっていいと思う」と、具体的なアドバイスを行った。この不思議なイラストを今後、どう生かしてくるのか楽しみだ。
イラストとは異なるが、得意のフェルトで作った拷問器具「タイガーチェア」の写真を使ったはちみつちひろの装丁案も目を引く。フェルトを使ったのは、ウイグル人の信仰するイスラム教が、羊と関係が深いからだそう。
さらに、『ウイグル潜入記》の「ウ」の文字だけフェルトで作られている。はちみつは「最終的にはすべてフェルトで作りたい」と語ったが、鈴木は「むしろ『一九八四+四〇』だけでいい」と指摘。たしかに、もこもこしたフェルトで漢字を作ると、可読性がかなり落ちる。しかし漢数字だけなら十分読めるだろう。ウイグルの過酷な状況を、あえて柔らかいイメージで構築するというギャップが、今後どう昇華されるだろうか。
この3人の思い切った表現は、筆者としては若干『一九八四+四〇』という書籍の印象からはズレているような気がしていた。しかし鈴木はこのチャレンジングな姿勢と、自分では思いつかないアイデアに可能性を見出しているようだ。考えてみると、3人とも「ウイグル」という言葉に対する「おっかない」というイメージを、ひっくり返そうとしている。それがうまくハマれば、読者を広げることもできそうだ。鈴木のアドバイスを受けて、次回以降どう洗練させていくのか、注目したい。
相反する要素を共存させるには
イラスト組が挑戦的だったのに比べると、写真組は手堅い印象だ。ちなみに今回使用されている写真はすべて、著者の西谷が現地で撮ってきたものだった。
明石すみれの装丁案に鈴木は「いいっすねぇ」と一言。百貨店のような建物を写した写真を使いつつ、破れたえんじ色の紙をところどころ貼り付け、そこにタイトルや著者名を白ヌキのタイポグラフィで見せる。鈴木は、赤字で手書きした『ウイグル潜入記』のどこか投げやりな、でも愛らしい雰囲気を評価する。そのうえで、タイポグラフィの『一九八四+四〇』と著者名も、手書きに揃えるといいとアドバイスする。そして「もっとおっかなくなったほうがいい」とも語った。監視社会の不穏さと、著者の飄々としたキャラクターを同時に演出することができれば、かなり面白い装丁になりそうだ。
中ノ瀬祐馬の装丁案は、水色と赤の鮮やかな色遣いがおしゃれだ。表紙の真ん中には住宅街に向かって歩く男の後ろ姿を捉えた写真を置きつつ、表紙全体は鮮やかな水色の下地に、赤色のウイグル文字で書いたタイトルを全面に配する。鈴木は「水色に赤は、ハレーションを起こしていて目立っていいですね」と褒めながらも「カッコいいんだけどさ、デザインと写真が折り合ってない。著者がウイグルの街で途方に暮れている感じを表現してほしい」とした。
オンライン参加の伊藤優里は前回、ウイグルにあるタクラマカン砂漠のイメージを表現してみたいと語った通り、カバー全体に粒子のグラデーションを作ってきた。その質感に鈴木も「すごいね」とニヤリ。また、ど真ん中に『一九八四+四〇』というタイトルをそっけなく置いた手つきにも「この潔さは好きですね」と評価した。ただ、レンガ造りの建造物を仰角で撮った写真のセレクトについては、「歴史ものに見える」と難色を示した。
この日、最も好感触だったのは、鎌内文のデザイン案ではなかったか。スクーターに乗った女性が、大通りを軽やかに走行する姿をななめ後方から捉えつつ、その奥にはフードコートも写る。一見、ごくふつうの風景なのだが、スクーターの向かう先には、中国当局の装甲車が見える。何気ない日常と、物々しい雰囲気が交差する写真の選択が見事だが、何よりもすっとぼけた印象のかわいらしいタイトルロゴが素晴らしい。自ら作ったというこの『一九八四+四〇』という漢数字を、縦ではなく横に読ませる工夫も冴えている。
「『ウイグル潜入記』と『一九八四+四〇』の重ね方もちょっと強引で、中国っぽい力強さがあっていいですね。B級感もあるし、非常にいいんじゃないでしょうか」
著者名のフォントに関しては「気に食わないな」と苦笑した鈴木だが、逆に言えば全体の印象についてはほとんどツッコミが入らなかった。全作品の評価を見ると、鎌内が一歩リードしているように筆者には感じたが、現段階でのリードは最終結果にさしたる影響がないことは第一期で実証ずみだ。
「厳しい監視社会と著者の飄々としたキャラクター」や、「何気ない日常と、物々しい雰囲気」といった、相反するふたつの要素をどうひとつの装丁の中で見せるか。ここが今回の課題の肝と言えよう。
鈴木成一の初仕事
白熱した講義は、予定時刻を30分以上過ぎて終わった。鈴木は「新しい表現も見えてきて、非常に期待しております」と総評し、「いろいろ言いましたけれども、基本的には楽しんで、喜んでワクワクやるのが大事だと思います。自由に発想してください」とエールを送った。
終了後も、鈴木のもとに受講生たちが列をつくり、一人ずつアドバイスをもらっていく。この機会を逃してはなるまい、という受講生たちの気迫から鈴木が解放されたのは開始から3時間が経った、午後10時過ぎだった。
しゃべり続けた鈴木を居酒屋に誘い出し、いつものごとく冷えた芋焼酎でクールダウンしてもらう。今年40周年を迎える鈴木に、思い出話を聞いてしまう。彼のブックデザイナーとしてのデビュー作は、劇作家・演出家の鴻上尚史による戯曲集だったという。
当時大学4年生で筑波に住んでいた鈴木は、常磐線に乗って、西日暮里に通い、作業に励んだ。写植も自分で打ち、版下を作り、付属のシールのシルクスクリーンも自ら手がけたという。まだ何者でもなかった若き日の鈴木が、徹底的な手作業でデザインする姿を思い浮かべる。その刹那、先ほどまでパソコンを駆使して後輩たちにタイポグラフィをレクチャーしていた40年後の鈴木の姿がオーバーラップした。ブックデザイナーとして成長することをやめなかった鈴木成一への尊敬の念が、いや増すのだった。
さて、次回は装丁家の水戸部功をゲストに迎え、鈴木とともに指導を行う。とことんタイポグラフィにこだわる水戸部。彼の装丁術はきっと、タイポグラフィが重要となるノンフィクション作品に挑む受講生たちに、大きな示唆を与えるはずだ。
(文中敬称略)
取材・文/安里和哲
◎筆者プロフィール
あさと・かずあき/フリーライター、インタビュアー。1990年、沖縄県生まれ。ポップカルチャーを中心に取材執筆を行う。ブログ『ひとつ恋でもしてみようか』。Xアカウント@massarassa