横田増生さん「自分の原稿を何度も”読み上げ機能”に通すことで、ようやく編集者に渡すことができる」ルポ 読書百景 #8
「立花は」と「立花な」を混同
ジャーナリストの横田増生さんは、「潜入取材」によって企業や組織の内部に入り込み、その実態を内側から描き出す作品で高く評価されてきた。例えば、謎に包まれていたアマゾンの物流倉庫に潜入し、課せられるノルマや徹底した業務管理の現場をルポした『潜入ルポ アマゾン・ドット・コムの光と影』、ユニクロの店舗に潜入して現場の実態を描いた『ユニクロ潜入一年』。他にも2020年のアメリカ大統領選挙でトランプ陣営の選挙ボランティアとして活動し、当時のトランプ現象を描いた『「トランプ信者」潜入一年』も大きな話題となった作品だ。
ジャーナリストという職業は、言うまでもなく資料を読み込み、綿密な取材を行うことで作品を書く仕事だ。横田さんは20代の時にアメリカの大学でジャーナリズムについて学び、日本への帰国後は流通業界の業界紙の編集長も務め、1999年にフリーのジャーナリストとして独立した。「読むこと」と「書くこと」は、彼のキャリアの中心にある営みだったことになる。
だが、そんな横田さんは「読み書き」に対する困難を抱えてきたという。
僕が「自分はディスレクシアなんじゃないだろうか」と思ったのは、2002年に子供が生まれたときのことでした。子育てをテーマにしたムック『新・0歳からの教育』という「ニューズウィーク」の別冊を読んでいた時、ディスレクシアの症状を紹介したページが目に留まりました。それを読んで、「自分にも当てはまるな」と思ったんです。
僕は1965年生まれですから、子供時代には「ディスレクシア」とか「読み書き障害」という概念はほとんど知られていませんでした。だから、これは今から振り返ると確かにそうだったな、という話になるわけですが、子供の頃からずっと「ひらがな」が苦手だったんですよ。例えば、小学校の教室に「よてい こんだて」と給食の献立表が貼られていたのですが、毎朝、何度も見ても「よい こんだて」に見えてしまったり……。他にも平仮名の並びがひっくり返って見えることも多かった。そうした平仮名を読むことの不具合がたくさんあったので、子育て中も子供に絵本の読み聞かせをするときは、いつも何だか力が入って、最初は冷や汗をかいていたものでした。
ディスレクシアには字が本当に歪んで見えたりする人もいるそうですから、僕の症状はとても軽いものだとは思います。でも、そんなふうに平仮名がすんなりと読めないので、小学生の頃は教科書を読む速度がとても遅く、学校の成績も思わしくありませんでしたね。本もほとんど読むことはなく、覚えているのは学級文庫で手に取った『エルマーの冒険』を読み始めて、平仮名ばかりなので読めずに挫折したことくらいです。
ただ、中学校に進むと漢字を覚え、教科書や本の文章がだいぶ読みやすくなっていきました。特に熱中したのは「怪盗ルパン」シリーズ。それから本が面白くなって、夏目漱石や太宰治を読んでみたりし始めました。同じ文章でも漢字がしっかり入るようになったことで、本を読めるようになったんですね。
そのうちノンフィクションも読むようになるのですが、この頃には「読むのが遅い」という自覚もなかったです。他の人に比べればゆっくり読んでいるわけですが、自分の読書は自分のペースで読むだけですから。まあ、自分なりの速度で読んでいるという感じだったと思います。
ただ、社会に出てジャーナリストになってからは、この「本を読む速さ」についてあらためて意識するようになりました。ジャーナリストという職業柄、膨大な資料を読む必要があり、読む遅さがますますプレッシャーになっていったからです。
それに、飲み会で同業者の話を聞いていると、「あの本を読んだ」「この本を読んだ」という話で盛り上がることがありますよね。彼らが新刊のノンフィクションを短時間で読み終えているのを知って、僕の読書速度はその何倍も遅いだろうな、といつも感じます。それこそジャーナリストの故・立花隆さんの本などを読むと、彼は一度本を読んだだけで「どこに何が書いてあるか」がほとんど分かる、とか。僕の場合は仕事、例えば書評を頼まれて本を読むときなんかは、ノートを用意して書かれている内容を付箋でどんどん張り付け、最後には一つの不思議な資料が出来上がっているような読書になる。あとはkindleのハイライト機能やメモ機能を使ったりもしています。
そして、平仮名の問題で困るのは、自分の原稿がきちんと読めないことです。というのも、自分の書いた原稿を読むときは、平仮名を間違えていてもほとんど意識されない。例えば、原稿で「立花は」という文章が「立花な」となっていても、僕はほとんど気づくことができないんですよ。自分の頭の中に正しい文章が入っているため、目に見える間違いが見えないという感覚です。
だから、原稿を読み上げてみて、初めて「違うじゃん」と気づくんですね。おそらく、業界紙にいたときは校正の人が直してくれていたのだと思いますが、フリーになって本を書くようになると、それが大きなストレスになりました。
ウォークマンがなかったらパニックになる
僕にとってその救世主となったのが、東芝のノートパソコンである「dynabook」に搭載されていた「LaLa Voice」という読み上げソフトでした。2002年に初めての本を書いたときは、このソフトを使っていなかったので、平仮名の誤植だらけの本が出来上がりました。2005年に二作目を書いて以降は、文章をこのソフトで読み上げて校正をしました。そうすることで視覚的な誤読が減り、自分の書いた文章の間違いを効率よく見つけることができるようになったんですね。
僕の感覚としては、音声による読み上げと同時に文章を読んでいくと、「立花は」と見えていた箇所が「立花な」と初めて見えてくるんです。以来、読み上げソフトは仕事のなかで欠かせないものとなっています。
現在では、Wordの読み上げ機能を活用しています。 原稿の締め切りまでに必ず余裕を持って文章を書き上げ、締め切り日の当日は2~3回、文章を繰り返し読み上げ機能を使って聞いています。雑誌の5000字くらいの原稿なら半日。1万字を超えるような長いものだと、1日、2日は自動読み上げで原稿を聞くことに時間を費やしています。僕の場合はこのプロセスを経ることで、ようやく誤字や脱字がないことを確認でき、編集者に原稿を渡すことができるんですよ。
そのように仕事における「書くこと」「読むこと」において、読み上げ機能を活用している横田さん。普段の娯楽としての読書の際にも、「聞く読書」を長く続けてきたという。
「いつも寝るときにはこれが欠かせないんです」
インタビューをした日、そう言って横田さんはソニーのウォークマンを取り出し、さらにファイルにしてある本の朗読CDの束を見せてくれた。主に聞いているのは新潮社から出ている朗読CDで、中島敦の『山月記』、夏目漱石の『坊っちゃん』、永井荷風の『濹東綺譚』や樋口一葉の『にごりえ たけくらべ』といった近代文学の名作が並ぶ。アメリカにいた頃は新約聖書やディケンズの『二都物語』などを英語で聞いていたそうだ。現在ではこれらのCDのデータをいったんパソコンに取り込んで、ウォークマンの端末にアップロードし、就寝の際に必ず聞いているという。
音での読書と言えばオーディオブックも思い浮かべるが、横田さんがCDを集め始めたのは、配信サービスがまだなかった2000年代初頭のこと。すでに200枚近くのコレクションがあり、オーディオブックを利用する機会はないという。
僕が朗読CDを聞くようになったのは、まだフリーになる前の2000年頃のことでした。業界紙の仕事でストレスを抱え、これまでも悩んできた不眠がさらに悪化し始めたんです。
そのなかで、何か眠る際の手助けになるものを探していて手に取ったのが、新潮社がCDで出しているオーディオブックのシリーズでした。特に気に入っているのが中島敦の『山月記』で、CDデッキで聞いていた時はそれこそ擦り切れるくらい聞きました。
これらはプロの俳優が一言一句、正確に朗読しているわけですが、どういうわけか僕の場合、こういう古典の名作を聞いているとリラックスできるんです。
寝る時に朗読CDを聞くことの良いところは、同じ本を何度でも繰り返し読めることですね。普通、本はだいたい一度読んだらおしまいですが、俳優さんの声のリズムを聞いていると、一文一文がしみじみと感じられるし、寝る時の暇な時間だから同じ本を何度聞いてもいいわけです。それで何回も何回も『山月記』なんかは聞いて、今では細部まで頭に入っています。
今も僕は不眠の症状に苦しんでいるので、とにかくソニーのウォークマンと充電器は出張中であっても絶対に手放せないものです。夜、寝ている途中で目が覚めて、ウォークマンがなかったらちょっとパニックになってしまうくらい。いつも枕元に置いて、目が覚めたらすぐに聞けるようにしているんですよ。
*プロフィール
横田 増生(よこた・ますお)
1965年福岡県生まれ。関西学院大学を卒業後、予備校講師を経て、アメリカ・アイオワ大学ジャーナリズム学部で修士号を取得。93年に帰国後、物流業界紙『輸送経済』の記者、編集長を務める。99年よりフリーランスとして活躍。『潜入ルポamazon帝国』で新潮ドキュメント賞、「潜入ルポ アマゾン絶望倉庫」で編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム賞(作品賞)、『「トランプ信者」潜入一年』で山本美香記念国際ジャーナリスト賞を受賞。他の著書に、『潜入ルポ アマゾン・ドット・コムの光と影』『仁義なき宅配 ヤマトvs佐川vs日本郵便vsアマゾン』『ユニクロ潜入一年』など。
◎筆者プロフィール
いないずみ・れん/1979年、東京都生まれ。早稲田大学第二文学部卒業。2005年に『ぼくもいくさに征くのだけれど 竹内浩三の詩と死』で第36回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。主な著書に『復興の書店』『「本をつくる」という仕事』『サーカスの子』など。最新作に『パラリンピックと日本人』。