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馬場千枝さん「アクセシブルブック、つぎのいっぽ」読書バリアフリーと私 #3

本連載は、「読書バリアフリー」の実践をライフワークとする人びとによるリレー・エッセイです。この分野に関心を持つにいたった出来事、これまでの実践や今後の課題について書き下ろしていただきます。第3回は、前回の宮田和樹さんに続いて、読書バリアフリーの入門書『アクセシブルブック はじめのいっぽ』(ボイジャー)共著者の一人である、馬場千枝さんによる寄稿です。

・宮田和樹さん「本では書ききれなかったダイアログ・イン・ザ・ダークのこと」はこちらから

「モノ」を越えたところへ

「一緒にアクセシブルブックについての本を作りませんか」と共同執筆者の宮田和樹さんに声をかけてもらい、銀座のカフェで最初のミーティングをしたのが2023年1月。実際に取材を始めたのが同年3月。東京・高田馬場駅の近くにある日本点字図書館の見学が、まさに私にとっての「はじめのいっぽ」でした。

読書バリアフリーの入門書
『アクセシブルブック はじめのいっぽ』

 昔から馴染みのあるこの町に、点字の図書館があることを初めて知り、さらに中に入れば驚くことばかり。ダダダダとリズミカルな音を立てながら、猛烈なスピードで白い紙を吐きだしていく点字プリンターを見ながら、さて、これから先、どうやって原稿を進めたらいいだろうかと思案に暮れたのでした。

 取材を重ねながら原稿を書くというのは、小さな旅を続けるようなイメージです。とくに長い原稿を書くときは、いつも脳裏にうっそうとした竹林や森林が浮かびます。歩いても歩いても、なかなか出口が見えてこないのです。

 とはいえ、今回は目的地のない旅をするわけではありません。アクセシブルブックに関する本を作るのだという目標があるので、大まかな地図はすでに用意されていました。「聴覚を活用する本」「触覚を活用する本」「読みやすい形にした本」「内容をわかりやすくした本」「文字を見やすくした本」といった形です。それが本書の1章の1から6の項目に繋がっています。

 ただ、アクセシブルブックにあまり触れたことのない人だと、どの項目もなんだかピンとこないかもしれません。「『触覚を活用する本』なら、きっと点字が出てくるのかな」と予想し、実際に点字の話も出てきますが、「モノ」だけを追求しても、アクセシブルブックとしての本当の手触りが抜け落ちてしまいます。

 私自身も雲を掴むような心地だったので、各項目でそれぞれのアクセシブルブック体験を積み重ねている人たちに話を聞きました。皆さんの言葉はどれも印象深く、私の中に新しい場を開いてくれました。

友達と一緒に本を読むこと

 1章-3「読めないから、読める形に──マルチメディアDAISY」では、南雲明彦さんを取材しました。知的発達に問題がなく、視覚聴覚にも異常がないのに、読み書き能力に著しい困難がある学習障害、ディスレクシア当事者です。

 社会生活を送る上で文字の読み書きが不自由だというのは大変な障害です。読書量が不足しているから語彙が少なく、自分の思いが言葉にできなくて悩みを抱えてしまう。クラスで流行している本をみんなで読み合って、「あそこが面白かったね」と友達同士で自然な会話ができない。思春期にそういう経験がすぽっと抜けてしまうのは心の成長の妨げになる。南雲さんは、そんな話をしてくれました。

 それで、ふと自分の中学時代を思い出しました。まさにクラスの友達数人と流行の小説を競って読んで、ああだこうだと言い合っていた。話した内容はすっかり忘れているけれど、楽しかった感覚は残っています。

 ディスレクシアの人は文章を合成音声で読み上げれば理解が進みますし、文字表示と合成音声による読み上げ機能がセットになっているマルチメディアDAISYという便利な道具もあります。こういった技術が手軽に活用できれば、クラスメートが面白がっている本を、無理なく一緒に読めるのです。南雲さんが中高生時代に実現できなかったことが今は解決しているかというと、まだまだそうではありません。アクセシブルブックの普及を加速させなければなりません。

点字の重さについて

 130年の歴史がある日本語の点字にしても、その重要性に十分、思いが至らなかったことに気がついた瞬間がありました。日本点字図書館の立花明彦館長と話していて、耳で聞く受動的読書と、点字での能動的読書はまったく違うという話題になった時です。

 私は今回の取材をきっかけにオーディオブックにはまり、「audiobook.jp」の月額会員になって、毎月1冊程度は耳で読了しています。思いがけず耳というのは暇な時間帯があって、料理や掃除の時間、歯みがき(毎回15分くらいやっています)中が、私のオーディオブックタイムです。実際に自分で「聞く読書」を実践すると、受動的読書と能動的読書の感覚がすぐに理解できます。

 受動的読書はパソコンで疲れ果てた目を休ませることができるし、プロの声優やナレーターが読んでいますから実によどみがなく、心地よく耳に入ってきます。小説などは役柄ごとに違う声優が演じてくれるし、効果音まで入っているので、まさしくラジオドラマさながらです。読了までの時間も短いと思います。

 ただ音を聞いただけでは、その漢字が頭に浮かばないことがあります。ちょっと聞き逃しても、「まあ、いいか」と思って、そのまま流してしまう。紙の本なら付箋を貼って、あとで読み返そうなどという行動を取るのですが、聞く読書だとそれもしません(一応、ブックマーク機能はあるのですが……)。何冊が聞いているうちに、オーディオブックに適した本と、そうでない本があるなとも思えてきます。

 しかし目が見えなくて、点字も読めなかったら、人生には受動的読書しかありません。文字というものがまったくない、音だけの世界です。それを想像して、私は怖くなりました。文字がない世界に生きるなんて。頭の中が真っ白になった気がしました。

 中途失明の方は少し条件が違いますが、立花館長のように小学生から点字を使っている人にとって、文字とは点字です。私にとっての文字のように立花館長にとっての点字は、ずっしりと重いのです。

 点字といえば、駅の構内に貼りつけてあったり、缶飲料などにある記号みたいなものかな、とユルく思っていた自分は、なにもわかっていなかったのです。

文字の上に文字を重ねる

 本書の取材中、この他にもたくさんの発見があって、LLブック (知的障害のある人、ディスレクシアなど、一般書籍を読むのが難しい人に向けて、分かりやすく内容を伝えて読書の楽しさを味わってもらう本)も面白かったし、布絵本(コットンやフェルトなどで手作りされた絵本。ボタンやファスナーなどがついていて、遊具のようにも楽しめる)のアート性に感動したこともありました。詳細はぜひ本書をご覧いただくとして、冒頭のタイトルにある「はじめのいっぽ」のその後のいっぽを、少しお話ししようと思います。

 私は趣味で切手を集めたり、友達と文通をして楽しんでいます。イマドキ、びっくりなアナログ趣味ですが、意外と同好の士はいるものです。週2日くらいは自宅のポストに誰からともなくお便りが届き、気分が上がります。

 こういう仲間たちは、私を含めて「紙モノ」が大好きです。ついつい便せんや封筒、はがき類を買い占めてしまうタイプ。そんな人種である私が目を付けたのが、点字の本です。日本点字図書館は貸し出し用に点字の本を多数所蔵しています。しかしスペースの問題もあり、一定期間を経た本は除架して、資源ゴミに出すそうですが、この紙がとても立派なのです。表裏の両面に点字を打ち出すので、ぺらぺらな紙ではダメなのでしょう。真っ白な厚手の紙でサイズはB5。これをただ処分してしまうなんて、もったいなさすぎます。

 そこで立花館長にお願いして、段ボール1箱分の不要になった点字本を譲ってもらいました。表面の凸凹を定規でさっとならし、封筒と便せんを作ります。そして万年筆でおたよりを書くのです。私には読めませんが、紙にはすでに点字で言葉が打ち込まれています。その上に私の書く文字が乗る。2つの言語が重なり合って、なんだか豊かな気分になってきます。ささやかな「いっぽ」ですが、小さいなりに異なる生活文化の融合だと思いますし、少なくとも立花館長が喜んでくれたのでよかったです。

 自分には関係ないと思って、素通りしていたアクセシブルブックにちょっと関わってみると、自分の意識が日常の暮らしに埋没していたことに気がつくと思います。ぜひ読者の皆さんも、本書を小さなきっかけに、新しい世界の探訪へと出発していただければ幸いです。

筆者から編集部に届いたお手紙

◎筆者プロフィール
ばば・ちえ/東京都生まれ。東京都立大学人文学部史学科卒。1991年よりフリーライターとして仕事を始める。長期投資・CSR関連、子育て、健康、歴史、生き方、料理、芸能、インタビューなどの雑誌記事・書籍の執筆及び制作協力多数。全盲で日本ブラインドサッカー協会初代理事長の釜本美佐子さんの著書の制作に協力し、高齢になってから視覚を失った人の生活のあり方、読書の困難さを知り、アクセシブルブックの重要性を再認識したという。

左から宮田和樹さん、筆者、萬谷ひとみさん