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今村剛朗(救急医)×パレスチナ・ヨルダン川西岸地区「医療妨害は本当に起きていた」紛争地の仕事 #2後編

本連載では、「国境なき医師団」(MSF)看護師にして、『紛争地の看護師』著者である白川優子氏が、MSFの同僚たちをインタビューし、彼らの視点にたって、戦地の恐ろしさや働きぶりを綴っていきます。
(前編はこちらから)

救えない命はある

 研究や公衆衛生を含め、医師として様々な顔を持つ今村だが、臨床においては救急の道を選ぶことに迷いはなかった。

「救急では専門科を問わず、多種多様な症例に対応します。例えば脳内出血や心筋梗塞の患者もいれば、感染症や小児患者も診ます。そこが医師としてのだいでもあります。原因が分からない、でも苦しんでいる。そんな患者の身体の中で何が起きているのかという、謎解きをしなくてはいけないこともあります。それが僕は好きなのだと思います」

 もともと物事の成り立ちを理解することが好きだった今村は、医学においても身体の構造や、病に至るメカニズムに関心をひかれた。

 様々な患者に対応するなかで、救急の現場ではどんなに手を尽くしても救えない命はある。今村はこれまで、心肺停止に陥る多くの患者を看取ってきた。医師として、時には割り切るすべを持たなくてはならない。だが、パレスチナにおいては、ある思いが今村の中にくすぶっていた。

「イスラエル軍の侵攻がなければ、患者たちはもっと早く病院にたどり着けて、医療側ももっと手を尽くすことができたかもしれない、そう思わせる患者がたくさんいました」

 ある日、初老の男性が障害を持つ20代の息子を抱え、歩いて救急室にやってきた。救急車を何度も呼んだが、「全然動けない」「向かえない」という返答ばかりだったという。父親からすぐさま息子を預かると、すでに心肺停止だった。数日前から具合が悪かったらしい。父親は今村たちの前で泣き崩れた。

 救急車を諦めた父親は、息子を抱えながら何キロの道のりを歩いてきたのだろうか。瀕死の息子と共に、病院の入口をブロックしているイスラエル軍の車両の横をすり抜けてきた。今村はその父親に息子の心肺停止の事実を告げなくてはならなかったのだ。

ひたすら家のなかで撤退を待つ

 侵攻は週に1、2回の頻度だった。平穏な日のジェニンの救急室は、50人ほどの患者を受け入れていた。だがジェニンに静けさが訪れる日には、イスラエル軍は別の地区に行っていることも分かっていた。つまりイスラエル軍は毎日のようにヨルダン川西岸地区のどこかに出没し、ドローンによる空爆を仕掛け、銃弾を放っている。

 ある日、内科的な治療を終えた老女を救急車で自宅へ移送する途中、その救急車がイスラエル軍に銃撃された。銃弾は彼女の目の下、頬骨を砕いていた。救急車はすぐに病院に引き返し、老女は救急室で手当をうけ、そのまま入院した。だが、この怪我が引き金となって老女は3日後に亡くなった。本来であれば家族の待つ家に帰っていたはずの患者だった。

老女が乗っていた救急車には銃弾の跡が残る (2023年12月13日)  MSF提供

――空襲警報が鳴り、イスラエル軍がやってくるときって街はどんな騒ぎになる?
「騒ぎなど起きません。叫び声があがるわけでもありません。つい先ほどまで賑わっていた街からサーっと人が消える、街がシーンとなる、それだけです。店も閉まり、みながひたすら家の中でイスラエル軍が撤退していくのを待っているんです」

――病院を封鎖するイスラエル軍の車両は、ただそこに居座っているだけ?「基本的にはそうですが、車両には催涙弾の発射装置が備え付けられています。パレスチナの、特に血気盛んな若い男性たちは病院を塞ぐ車両に対して抗議の声をあげるのですが、相手はその群衆に向かって催涙弾を発射してきます。だから病院の目の前の道路は催涙ガスまみれなんですよ」

 さらに抗議が病院の敷地内から向けられると、催涙弾は容赦なく病院にも撃ち込まれた。救急室は病院の入口付近にあるため、催涙ガスは室内に流れ込んでくる。

 催涙ガスは目や鼻、口、気道の粘膜を刺激することで、相手の戦闘能力を失わせる。それだけでは殺傷能力はない。ただ喘息ぜんそくを患う人には命取りだ。実際に病院の受付スタッフの1人がガスを吸ってしまい、発作を引き起こして入院する事態となってしまった。

 救急チーム内での情報共有はグループチャットで行われていた。夜勤のスタッフから、ある動画がグループ内に共有されたことがある。映っていたのは、今村たちが働いている病院の受付フロアだ。暗闇のなか、緑色に光る小さな点がうす気味悪くネズミのようにちょこまかと動いている。これはライフルのレーザー照射で、病院の入口を封鎖している軍用車から放たれていた。

 通常は狙撃する標的に狙いを定めるものだ。患者の命を守る救急の現場を侮辱したこの行為は、長い夜の軍用車内での暇つぶしだったのだろうか、それとも「いつでも狙撃できるぞ」という警告なのか。

 侵攻が続く3日目の昼。とうとう病院内に銃弾が飛んできた。パーーンと、すごい発砲音だった。

「ん? 近いよね?」

 周りのスタッフ達と顔を見合わせた。すると、誰かの肩にしなだれかかり、頭を垂らした少年が引きずられながら病院の入口に現れた。そして床にドーンと倒れた。病院の敷地内、建物の入口の目の前で17歳の少年が狙撃された。彼が患者だったのか、それとも誰かの見舞いを目的としてやってきたのかは分からない。

「静脈血が混じっていたのか、どす黒い血が少年の身体から噴き出ていました。まずハサミでバーッと服を切ると背中に狙撃による射入口がありました。そこを押さえながら——いや、もう押さえてもどうしようもないんですけど——救急外来にみんなで運びました。気道確保のために挿管をして、両側胸腔ドレーンを入れました。心肺停止でした。心臓マッサージを始め、骨髄針を入れ、そこからアドレナリンを投与して……。だけどその時点で瞳孔が散瞳さんどうしていました。そこまでやって、オペ室に担ぎ込み、あとは外科医に任せました」

 これは今村がジェニンに到着した翌週に起きたことだ。手術室ではただちに少年の胸が切り開かれた。心臓の右心房に穴が開いており、修復しようにも手遅れだった。手術台の上でパレスチナの17歳の少年の命が尽きた。

 今村が働く病院は、大きな難民キャンプに隣接している。そこには保健センターがあり、今村も足を運ぶことがある。少年の殺害からしばらくして、物資の点検のためチームメンバーとともにこの建物を訪れた時、今村ははっとした。もしかしたら、先日の少年はこの建物から撃たれたのかもしれない。

 ジェニンの難民キャンプには2万4000人ほどのパレスチナ難民が住んでおり、学校や保健センターもある。イスラエル側は難民キャンプがテロリストの拠点になっていると主張する。そのためキャンプは特に軍事行動のターゲットになっている。装甲車やブルドーザーで破壊されたがれきが目立つ。保健センターは荒らされており、食事の食い散らかしが残され、止血帯などの物資が消えていた。イスラエル兵士によるこのような略奪行為は今に始まったことではない。

 なぜ少年は撃たれたのだろうか。当日、病院の入口付近で、イスラエル兵とパレスチナ人の衝突はなかった。今村は、その保健センターの窓から、少年が撃たれた場所を覗いてみた。ライフルの射程範囲内で、角度も合致する。他にそのような場所はなかった。射撃した人物を誰も目撃していない。ただ、少年がいきなり撃たれたのは間違いない。たとえ、イスラエル兵との間でいざこざがあったとしても、病院の敷地内にいる丸腰の市民を理由もなく撃つ行動は、彼の理解をはるかに超えるものだった。

受診を避ける人びと

 イスラエルの侵攻がない日は、今村たち海外派遣スタッフもジェニンの街を外出できた。その中で人なつこいパレスチナ市民たちと触れ合う機会もたくさんあった。マーケットでは屋台のキウイフルーツ屋の店主がおまけをしてくれた。アボガド屋の店主も、今村たちの顔を見るといつも声をかけてくれた。近くのトレーニングジムでは、頑として使用料を受け取らないオーナーにもてなされ、週に2回ほど汗を流しに通った。そのたびにジムを利用するパレスチナ人たちが話しかけてくれる。人が集まっては珈琲タイムが始まり、陽気な笑顔で差し出される珈琲を1日に何度も口にした。

 現地の人びととの交流や会話を重ねていると、いかに怒りと恨みが根深く蓄積されているかが垣間見えてくる。ある会話の中で、「もし私が男に生まれていたら、銃を取って戦うかもしれない」という女性の声を聞いた。

 抑圧され続けてきた市民たちのくすぶる思いは、2023年10月7日以降の紛争のエスカレーションによってますます増大している。この感情のうねりはどこに向かうのか。

 イスラエル軍に対するパレスチナの人びとの恨みや怒りに加え、恐れもやはり根強かった。イスラエル軍絡みの紛争によって負傷した人々は、病院に記録が残るのを嫌がった。

 記録されてしまうと、イスラエル軍からテロリストだと疑われる、ブラックリストに載ってしまうといった話を、人びとは信じていた。事実かどうかは定かではない。少しくらいの傷であれば人々は受診を拒否していた。そのようなパレスチナの人びとの恐れや、イスラエル軍による病院の封鎖など、医療に対する直接的な妨害行為のため、軍事行動による負傷者の統計は実態に即していない。

 現場にいるからこそ知ることができるものがある。あがってくる数字だけで判断してしまうと真実を見逃してしまうーーその証左がここにあった。

妨害への対策

 イスラエル軍の妨害が日常化している救急室で、今村は考えていた。この状況下で医療者ができることは何だろう。まずは対策ガイドラインの作成が頭に浮かんだ。催涙ガスが流れ込む救急室では、最低でも眼を守るためにゴーグルは用意しなくてはいけない。また、ガスで汚染された患者を入院させる場合、除染は必須だ。

「催涙ガスは、化学兵器ですから対応には特殊な手順を要します。私たち診療に携わるスタッフの防護、救急室内にいる患者の避難方法や入院が必要な患者の搬送経路の確立、さらに病院内の他スタッフや患者への二次被害を防ぐための除染手順など、きちんとした対策が必要だなと。そのあたりは催涙ガスを何度も噴射される中で、問題点として見えてきました」

 また侵攻中に患者が病院にたどり着けないのであれば、患者の対応ができる場所を一時的に各所に作るというプランがMSFのプロジェクトの一つとして進んでいた。根本治療まではできずとも、せめて状態を安定させるための処置を施せる場所が必要と考えた。

 最大の問題は、一旦イスラエル軍に発見されれば、破壊されることだった。イスラエル軍は、医療機関は負傷したテロリストが受診しているものだと断定し、それを攻撃の大義名分としていた。

「僕が到着する前からそのような場所は作っていたのですが、ことごとく略奪や破壊行為を受けていました。巨大なブルドーザーで壊される場合もありましたし、物資を荒らされ、必要なものは持っていかれたと聞いています」

「場所」を作るだけでは不十分だ。そこでさらに考えた。「人」を作ろうと。難民キャンプ内で働く医療ボランティアたちに携帯用の外傷キットを渡し、それを彼らが効果的に使用できるようトレーニングを重ねた。

 例えばドローン空爆で腕が吹き飛んだときに、正しく止血帯を巻けば、出血死は防げるかもしれない。状況に応じて新しい方策を考えて展開していった。

イスラエル軍によりブルドーザーで破壊されたジェニン難民キャンプ (2023年12月17日) 
MSF提供

アドボカシーと証言活動

 なぜ現場に向かうのか?

 私を含め、彼はこれまでに何度も尋ねられてきたという。救急医として今村をMSFに採用したときに私は、最終的には彼は、自らのキャリアを研究や公衆衛生の方向に絞っていくと思っていた。しかし、「道を絞る」という考えが彼にはなかった。

 誰かからもたらされた情報を読む。聞く。分析する。彼はそこで終わらない。いや、終わらせたくない。最終的には自分の五感を使ってより正確に事実を確かめたい。この気持ちが今村を現場へと動かす。医療を必要とする人々のニーズに応えるのはもちろん、医療という窓を通じ紛争地で何が起こっているのかを自らの目で見て理解したい、ここに今村がMSFを続ける動機があった。

「実はこの思いをきちんと言葉で説明できるようになったのは最近なんですよ。あまりにもみんなが聞いてくるから(笑)。僕にしたら普通だと思っていたのですが、世の中的にはそうではないみたいで……」

 心の中に自然に宿っている思いを言語化するのは難しい。ただし、今回の取材に際して言葉に落とし込んでみたことで、今村自身が自分の行動理由をより明確に把握することができたようだった。

 改めて、今回のパレスチナ派遣で何を得てきたのかを聞いてみた。

「医療への妨害なんて本当に起きているのか、と初めは思っていました。実際に現場に行ってみると堂々と行われていたどころか、パレスチナでは日常化していました。救急の現場で個々が一生懸命に頑張り、繋ぎ止めようとしている命は、医療への組織的な妨害行為によって一瞬にして消えてしまう。それを、僕はこの目で見てきました」

 パレスチナの人びとは、社会的に弱い立場におかれている。国際人道法などあたかも存在しないようだ。医療妨害が常態化していることなど、世界の誰も知らない。いや関心がないのか。

「このような社会の構造、国際社会の意識が多くの命を奪っていることを実感したのです」


目で見てきたものを伝えたい、と今村氏


 彼はそうした現状を自らのレベルに落とし込んだときに、何ができるだろうかと考えた。そしてアドボカシーや証言活動の役割を意識し始めた。私たちが行っているアドボカシーとは現場で直面する問題を解決するために、さまざまな関係者に働きかけを行うことだ。そして、政治や経済、社会制度などの変容を促す。

 また、MSFが医療援助と並ぶ活動の柱としている証言活動とは、現地で目の当たりにした非人道的な実態と、弱い立場の人たちの言葉を国際社会に伝え、問題解決を訴えかけることをいう。

 病院の前で撃たれた17歳の少年は、今村の手の中で血を流し、意識を、体温を、声を失っていった。証言活動にはリスクも伴う。この世界には都合の悪い真実を埋もれたままにしたい為政者もいる。だけど、それにひるんでしまえば、また次の少年が病院の前で撃たれるのだ。

 大阪で開かれた4月26日の学会で、自らと同じように患者の命を預かる医療者に向かい、今村はパレスチナの医療妨害の実態を伝えた。与えられた25分。理路整然と話す今村の声とともに、パレスチナ人たちの叫びが私にはたしかに聞こえた。

#3 村上千佳(助産師)×コンゴ「豊穣な大地ゆえに人びとは血を流す」へ

◎筆者プロフィール
しらかわ・ゆうこ/日本やオーストラリアで看護師としての経験を積んだのち、2010年に国境なき医師団に参加。シリア、イラク、パレスチナ、イエメン、南スーダン、アフガニスタンなど紛争地を中心に活動している。主な著書に『紛争地の看護師』『紛争地のポートレート』など。2018年10月より、国境なき医師団日本事務局で海外派遣スタッフの採用を担当。