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村上千佳(助産師)×コンゴ「豊穣な大地ゆえに人びとは血を流す」紛争地の仕事 #3前編

本連載では、「国境なき医師団」(MSF)看護師にして、『紛争地の看護師』著者である白川優子氏が、MSFの同僚たちをインタビューし、彼らの視点にたって、戦地の恐ろしさや働きぶりを綴っていきます。

全派遣18回

 彼女は取材場所に、着物姿で現れた。

 2024年7月上旬、国境なき医師団(MSF)のオフィス。村上千佳ちかは、クリーム色の生地に、繊細な糸が描く大柄のあおい花が散りばめられた着物をまとい、みどり紋紗もんしゃを羽織っていた。村上と初めて出会ったのは15年ほど前になる。対面で会うとなると、今日で5回目くらいだろうか。そのたびに村上の和服姿を目にしてきた。梅雨を清々すがすがしく表現しているような色合いに、思わず見惚みほれてしまった。

真夏のMSFオフィスに、
村上は着物姿で颯爽と現れた

 村上が1年のほとんどをMSFの現場で過ごす助産師であることを、この姿から誰が想像するだろう。2005年にMSFでの活動を始めて以来、現場に飛び続ける彼女は、つい先日18回目の派遣から帰国したばかりだった。きっとすぐまた現場に戻るだろう。その前に、どうしても彼女から聞いておきたい話があった。

 金、ダイヤモンド、スズ、銅、ウラン、石油など、豊富な鉱物資源が採掘できるコンゴ民主共和国(以下コンゴ)。アフリカ大陸で2番目に広い面積を持つこの国は自然も豊かで、壮大な熱帯雨林がどこまでも続く。世界自然遺産も多く、絶滅が危ぶまれているマウンテンゴリラを含む多様な生物が生息している。

 村上はこの国で助産師として過去3回、延べ3年以上活動をしてきた。直近では2023年に派遣されている。

 MSFは世界中で多様なプロジェクトを展開している。村上のような助産師は、主に妊産婦と新生児の医療(母子保健)の最前線で奮闘する。MSFにおける助産師の役割は妊婦健診、分娩介助、産後ケアが中心である。とはいえ、産婦人科医師が不在のケースや、妊婦健診が浸透していない地域も多い。現場では、多くのハイリスク分娩や異常分娩に直面し、日本では医師が行う判断や処置を任されることもある。課せられる責任は国内とは比べものにならない。MSFで助産師として働くためには、非常時に対応できる経験値、さらには自信も必要とされる。

 村上自身も、コートジボワール、イラク、南スーダン、ハイチなど、これまで18回の派遣で、母子保健プロジェクトに携わってきた。だが、村上が経験した3度のコンゴ派遣には、別の目的があった。それが性暴力被害者への対応である。

女性たちが声をあげられない理由

「コンゴは自然に恵まれた綺麗な国なんですよ。ジャングル、山、湖、国立公園、とにかく自然がどこまでも、ずーっと続きます。土壌が豊かで水も豊富にあり、農作物もよく育ちます」

 トウモロコシやインゲンなど、立派な実を収穫したと思えば、すぐに次なる実がなる。さらにその次も、という豊穣さを、村上は滞在中に何度も目にした。

 そこに性暴力が、どう結びつくというのだろうか。

「豊かだからなんですよ。ここは本当に自然と資源が豊かな国。だからこそ、とりわけ鉱物資源を巡る紛争が昔から絶えないんです」

自然と資源が豊かゆえに、争いが
起こる(2023年5月、南キブ州)
©Igor Barbero/MSF

 特に村上が活動をしてきたコンゴの東部には、豊富な鉱物資源が眠っている。その利権を巡り、あまの武装勢力が入り乱れているのだという。

 コンゴ情勢を理解するためには、16世紀に始まったヨーロッパ諸国による奴隷貿易から始めなければならない。ヨーロッパ諸国はアフリカの黒人を奴隷として売買し、アメリカなどに送った。その蛮行は、19世紀に入って、この地がベルギー国王の私領に、20世紀から同国の植民地となっても続いた。住民たちは、象牙やゴムの強制的な採集に従事させられた。ノルマを達成しないと手足の切断などが行われていたという。時は産業革命の時代、現在でも世界的企業であるダンロップがゴムタイヤを発明し、天然ゴムの価値が高まった。

 二度の世界大戦を経て、コンゴは1960年に独立を果たし、植民地支配から脱却した。しかし、現在でも、ゴムから天然鉱物へと対象を変え、武装勢力を含む一部の権力者による奴隷的搾取は続いている。

 武装勢力同士の間でひとたび衝突が起これば、住民たちも巻き込まれる。血が流れれば、暮らしも破壊されていく。衝突がなくても、大小100以上の武装勢力が常に存在している。治安は非常に悪く、インフラ開発も一向に進まない。山道は整備されておらず、雨が降ればたちまちぬかるみとなり、病院や学校を含む、社会へのアクセスはたちまち遮断しゃだんされる。そうした状況下にあって、女性の安全は常におびやかされている。

 いったいどんな状況で女性は暴行されてしまうのか。

「何しろ土地は広大で、水をみに行ったり、農作業をしていると人目に付きにくい。そういう隙を武装勢力に狙われることが一般的です」

 コンゴでは社会的に女性がよく働く。畑での農作業や、水汲み、何十キロもの薪を山から運ぶのもやはり女性たちだ。生活を成り立たせるために徒歩で広大な森林の奥地まで入り、中には1ヵ月籠もりきりになることもあるらしい。そして人目に触れない場所で、武装勢力の兵士たちに襲われてしまう。

 MSFは26あるコンゴの州のうち、17州で活動をしている。なかでも村上が活動をしてきた鉱山資源の産地であり、紛争や性暴力の多発地域でもあるコンゴ東部の北キブ州では10ヶ所あまりのプロジェクトを展開している。村上は性暴力対応チームのマネージャーとして州都のゴマを拠点に、5つの地域のプロジェクトを回っていた。

 ここまで大規模にプロジェクトを展開しても、性被害の全てを把握するのはやはり難しい。被害に遭った女性らは声をあげにくいのだ。

「女性たちが声をあげないのをわかっているから、相手は平気で暴行を行う。全ての暴力に言えることかもしれませんが、ふるう側というのは自分より弱い者しか対象にしないんです」

 冷静に語っていた村上の声が、少し感情的になったように感じた。

 被害に遭った女性たちが声をあげない、あげることができない理由。それは社会的非難に対する恐れがあるからだ。村上は実際に、性暴力の被害が発覚してしまったがゆえに「家族の恥」として家や村を追い出された女性たちを何度も見てきた。そのなかには10代の独身の被害者もいた。女性たちは、被害時の恐怖や傷、痛みを体の奥底に押し込め、性被害を受けた事実を露呈させまいとする。

 コンゴのMSFプロジェクトで対応している性暴力の被害者数を聞いて驚いた。あくまで発覚した限りではあるが、彼女が回っていたプロジェクトのひとつである、田舎の小さな場所で1日に4~5人、州都のゴマでは1日に50人の報告があったという。それでも村上は繰り返す。これは氷山の一角だ、被害者はもっともっといるはずだ、と。

「あれ? あの人3回目じゃない?」

 性暴力を受けたら、すぐに診察を受けて欲しいと村上は強調する。

 MSFで被害者を受け入れたらまずは全身の検査を行う。話をゆっくり聞くことは必須だが、まずは優先して行うべきことがある。怪我をしている場合、まずはその手当てから始める。診察、検査とともに、72時間以内に服用を開始すべきエイズの予防の薬や、緊急の避妊用ピルの処方を行う。そして性行為感染症の予防薬の処方、さらに破傷風とB型肝炎の予防接種をする。

 ちなみにエイズの予防薬は、継続して1ヵ月服用する必要があるという。さらに3ヵ月後に採血をしてHIVウイルスの感染の確認をする

「被害者一人に対して、身体への対処としてここまでします。犯人らはなんのためらいもなく、暴行を働く。でも、その女性たちの健康を守るためのケアは、慎重に、そして多様に行わなければなりません」

 MSFでは身体的な検査や治療のほか、被害者の心のケアサポートもしている。そのためにカウンセリングのプロである心理士がチーム内に配置されている。カウンセリングは3ヵ月を1クールの目途においているが、さらなる継続が必要な場合もある。

 チームではさらにヘルスプロモーターが、助産師や心理士とともに奮闘していた。ヘルスプロモーターは、医療援助活動をサポートするために現地住民へのコミュニケーション全般を担う。発覚を恐れ、被害に遭っても沈黙を貫く住民女性たちに、「安心してできるだけ早く来て欲しい」というメッセージを届けるため、ラジオをはじめ様々な方法で発信しているのだという。

——MSFに駆け込む被害女性たちはどんな様子?
「人それぞれです。興奮しながら状況を詳細に語る人もいれば、何も話さず診察が終わればそっと去ってしまう人もいます」

——犯人が捕まることは?
「捕まりなどしませんよ。たとえ捕まったとしてもお金さえ払えば釈放されるでしょう。司法や警察は機能していませんし期待できません」

——相手は武器を持っているのですよね。
「そうです。だから襲われてしまったら絶対に抵抗しない、それが一番だと現地の女性たちは思っているんです。抵抗したら殺されますから。女性用コンドームを携行しているという女性もいました。なかには、あれ? あの人3回目じゃない? という方も。何度も農作業中に被害に遭ったようです。ただ、畑に行くなとも言えない。彼女たちの生活を支える手段を奪うような指示も、簡単にできないのです」

——男性が代わりに、畑に行って農作業をすればいいのでは?
「男性は殺されるか誘拐されてしまいます。実際に男性が行方不明になってしまったという話は何度も聞きました」

 これだけでも信じられない内容だが、このあとの村上の話にさらに驚愕することになる。

現地では、さまざまな役割のスタッフと連携する
©︎MSF

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◎筆者プロフィール
しらかわ・ゆうこ/日本やオーストラリアで看護師としての経験を積んだのち、2010年に国境なき医師団に参加。シリア、イラク、パレスチナ、イエメン、南スーダン、アフガニスタンなど紛争地を中心に活動している。主な著書に『紛争地の看護師』『紛争地のポートレート』など。2018年10月より、国境なき医師団日本事務局で海外派遣スタッフの採用を担当。