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頭木弘樹さん「誰一人取りこぼさないことこそ文学の本質」ルポ 読書百景 #9

100人いれば100通りあるはずの読書のかたち——この連載は、ノンフィクション作家・稲泉連氏が、インタビューによってそれを描き出す試みです。
◆目指せインタビュー100人! 本稿で、9/100達成!

文学は命綱のようなレベルで必要とされ得る

『絶望名人カフカの人生論』の編訳や『食べることと出すこと』などの著者で、「文学紹介者」としてエッセイを執筆してきたかしら弘樹さん。彼は大学三年生のときに潰瘍性大腸炎という難病となり、以後、13年間にわたる闘病生活を送った。

撮影 八雲いつか

 大腸に激しい炎症が生じるこの難病は、症状がひどくなるとベッドから動くことができない。当時、20歳だった頭木さんは病院の医師から、「これからは両親に面倒を見てもらうしかない」とさえ告げられたという。

 そのなかで出会ったのが、カフカの『変身』だった。

「文学と出会うことによって、当時の僕は確かに救われたんです」

 だが、こう語る頭木さんにとって、「本を読む」という行為は体に大きな負担がかかることでもあった。それでも文学書をベッドで読み漁ってきた彼に、「読書」のスタイルをどのように工夫してきたのかを聞いた。


 病気になる前の僕は高校まで理系でした。「本」を読むことはほとんどなく、ときどき講談社の「ブルーバックス」などをちょっと手に取るくらい。文学作品ともなれば、ほとんど触れることはありませんでしたね。

 だから、僕が文学を読むようになったのは、病気がきっかけだったわけです。突然難病と宣告され、ベッドの上から動けなくなり、医者から「親に面倒を見てもらうしかない」と言われた。それまではサッカーもやっていましたし、大学では体操トレーニングを体育の授業で取っていて、身体にはけっこう自信がある方でした。胃腸も丈夫だったのですが、あるときから何か月も下痢が続くようになり、大腸の病気にいきなりなってしまったわけです。

 入院したときは、下痢のせいで体重が26キロくらい減りました。痛みも強くて意識も朦朧もうろうとしていました。難病なんてテレビの中の世界だと思っていたのに、全く思いがけず大学にも通えなくなり、この身体の状態では就職も難しいということになって……。 当時はバブルの前くらいの時期ですから、就職なんていくらでも選べるという雰囲気でした。そうした選択肢が一気にゼロになってしまったのですから、本当にショックでした。

 そんなとき、手に取ったのが新潮文庫から出ているカフカの『変身』という小説でした。中学生の時の読書感想文で読んだことがあったのを、ふと思い出したんです。

 病室のベッドでこの『変身』を読んだときの衝撃は一言では言い表せません。面白いというよりも、感動ですよね。ある朝、主人公のグレゴール・ザムザが目を覚ますと虫になっている。それでもなんとか普段通りの生活をしようとする彼の姿は、まさに僕の身に起きたことそのもののように感じました。中学生の時には「不思議な小説だな」と思ったくらいだったけれど、このときは「この本はドキュメンタリーじゃないか」とすら感じたんです。

 例えば、小説の始まりのところで、ザムザはいつも通り会社に行こうとします。もう虫になってしまっているのに、会社に遅刻すると焦っているわけです。 僕も難病になって人生が真っ暗の状態なのに、最初の頃は大学のレポートの期限を気にしていたりしました。もうレールから外れて脱線してしまっているのに、これまで乗っていたレールの先のことばかり考えてしまうんです。それで、「ああ、もうそのことは考える必要ないんだ」とハッとする。そういう心情が小説にはそのまま描かれていて、本当に心に沁みるものがありました。

 それから、僕は難病になって体が変わってしまったため、なかなかベッドから出られないわけです。『変身』はザムザがベッドから出るだけの描写が、何ページも続くんですよ。それこそ中学生の頃は「さっさと出ろよ」という感じだったけれど、自分の体にある朝、突然異変が起きるということを実際に経験すると、身体をどう動かしたら痛いのか、 どんなふうに動かしたら大丈夫なのかを、いちいち確かめないと動けないんです。

 僕はそうした描写を読みながら、「文学というのはこういうものだったのか」という驚きを感じました。心理描写や風景描写ではなく、身体描写のすごさと言えばいいでしょうか。これを読まなくてもいいと思っていたとは、なんてもったいないことをしていたんだろう、と思いましたよね。特に自分がピンチに陥ったとき、文学は命綱のようなレベルで必要とされ得るんだ、と。

 以来、僕はベッドでカフカのあらゆる作品、手紙、日記を読むようになりました。カフカの暗い内面世界は当時の僕の心にぴったりと寄り添うもので、病気になった自分の孤独と不安と共鳴したんです。


本の全てが突然、紙屑のように

 病院のベッドでカフカに出会った頭木さんは、以来、多くの文学作品を熱中して読むようになった。ところが、闘病生活を続けてかなりの時間がたった頃、彼は自身の「読書」のスタイルを変える必要に迫られる事態に直面する。長年の薬の副作用で視力に問題が出てしまい、文字が歪んで見えるようになって紙の本が全く読めなくなってしまったのである。

 僕は病院で本を読み始めたわけですが、本というのは当然ながら手で持たなければならない。でも、当時の僕は26キロも体重が減ってしまい、電話の受話器すら思うように持っていられないほど力が弱っていました。だから、本を持つことは、それこそ鉄アレイを持っているような感覚です。全集などはとても読めませんでした。自分が本そのものを「持てなくなる」という経験をしたことで、「紙の本」を読んだり好んだりすることは、ある種の特権的な営みでもあるのだと実感しました。

 視界が歪むようになった頃にはかなりの読書家になっていて、家は本で溢れていました。それらの本の全てが突然、紙屑のようになってしまった瞬間は愕然がくぜんとしましたよ。本に支えられて生きてきたのに、それをいっときに失ってしまったのですから。

 そんなときにネット上で見つけたのが、一般の方がアップしている朗読でした。高齢の女性が夏目漱石の『吾輩は猫である』を朗読している音声を聴いたんです。それが本当に良かった。まるでおばあさんが昔話を語ってくれるような温かさがあって、紙の本で読んだとき以上に味わい深く感じられました。夏目漱石の作品には落語の語りのような要素が含まれているんですね。『吾輩は猫である』のような作品は、語りで聴く方が味わい深いのだと実感しました。

 それから、電子書籍も僕の「読書」を支えました。当時の僕は紙の本の装丁や手触りを好んでいて、電子書籍を味気ないものだと思っていました。でも、視力が悪化してみると、もうそんなことも言っていられません。電子書籍は文字サイズを拡大できるので、読みやすさが格段に違います。

 紙の本、電子書籍、オーディオブック。それぞれに違った魅力がありますよね。朗読に適した作品もあれば、文字で読んで初めて理解できるような作品もある。谷崎潤一郎や太宰治のような作家は、朗読で聴くことで新たな発見がありました。江戸川乱歩の文章などもどろどろしていて難しいかと思いきや、意外にも耳で聴くとわかりやすいんです。これも語りの芸があった時代の作家だからなのでしょう。

 僕は目を悪くしたことで、そうした新しい読書の世界に出会うことになったんですね。


宮古島にて、思う

 現在、頭木さんは宮古島在住である。潰瘍性大腸炎は完治こそしないものの、33歳の時に手術を受けて日常生活は行えるようになった。それまでは薬を処方する大学病院の近くで暮らしてきたが、東日本大震災を機に「これまで病気で死ぬことばかり恐れていたけれど、いつどのように人は死んでしまうか分からない。それなら、もう行きたいところに行こう」と思った、と彼は振り返る。宮古島には口承で伝えられてきた魅力的な民話や昔話の世界があり、心が惹きつけられたそうだ。以来、病院には飛行機で通ってきたという。


 目の方は無事に見えるようになりました。ただ、今でも紙の本、電子書籍、オーディオブックを毎日、使い分けて読書をしています。座って読めるときは紙の本、寝ころんで休むときには電子書籍、家事の合間や移動中、お風呂に入っている時には朗読を聴きます。そうやって一日中、何らかの形で本に触れる生活をしています。目を悪くしたからこそ、こうした読書スタイルにたどり着いたことを思うと、本を読む方法は一つではなく、それぞれの形態が持つ魅力を活かすことで、より深く文学を味わえるのだと実感しています。

 そんなふうにいろんな読書をしてきたので、僕は読書バリアフリーという概念についても関心を持っています。まだ視力に問題を抱えていなかった頃は、やっぱり紙の本の装丁や美しさに惹かれていました。さっきも話したように、電子書籍についてはどこか味気ないものだと思っていたけれど、自分自身が文字を読めなくなったとき、その考えを反省せざるを得ませんでした。

 というのも、読めなくなったらどうしようもないんですよね。紙の手触りや装丁の美しさがどうだとか、そんなことを気にしている余裕はなくなってしまう。目が悪くなり、部屋中にある本がすべて紙屑になったように思えたときの衝撃は、今でも忘れられませんから。

 この社会には様々な人がいて、読めない本は読めないし、持てない本は持てない。開けない本は開けないんです。だから、読書バリアフリーは議論の余地なく、いろんな形で広がっていくべきだと強く思っています。

 それに、読書バリアフリーは障害のある人だけのためではありません。たとえば、入院する人が紙の本を何十冊も持っていくのは現実的ではありません。電子書籍なら軽くて端末一台で済むし、入院中の読書がぐっと便利になります。こうした利便性は、誰にとっても役立つものだと思うんです。

 そして、もう一つ僕が思うのは、「文学」には特にこの読書バリアフリーの姿勢が必要なのではないか、ということです。文学というのは、少数者の心に響くものです。誰の中にもある少数者的な部分——孤独や不安、自己の内面と向き合う部分に触れるものが文学です。だからこそ、少数者を取りこぼさない形で、多様な方法で文学は届けられる必要があるのではないかでしょうか。いろいろな形で本が読める環境が広がっていくことは、「誰一人取りこぼさないこと」という文学の一つの本質にも繋がっていると思うんですよ。

かしらぎ/ひろき
文学紹介者。筑波大学卒。大学3年の20 歳のときに難病になり、13 年間の闘病生活を送る。そのときにカフカの言葉が救いとなった経験から、2011 年『絶望名人カフカの人生論』を編訳。著書・編著に『ひきこもり図書館』『うんこ文学』『食べることと出すこと』『自分疲れ』『口の立つやつが勝つってことでいいのか』ほか多数。

◎筆者プロフィール

撮影 藤岡雅樹

いないずみ・れん/1979年、東京都生まれ。早稲田大学第二文学部卒業。2005年に『ぼくもいくさに征くのだけれど 竹内浩三の詩と死』で第36回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。主な著書に『復興の書店』『「本をつくる」という仕事』『サーカスの子』など。最新作に『パラリンピックと日本人』。