今村剛朗(救急医)×パレスチナ・ヨルダン川西岸地区「医療妨害は本当に起きていた」紛争地の仕事 #2前編
水を打ったような静けさ
2024年4月26日、大阪市中央公会堂の大会議室は満席だった。救急医や外科医など、医療現場で外傷症例を扱う医師たちが全国から集まる学会に、「国境なき医師団」(MSF)医師の今村剛朗は登壇していた。
「紛争地における外傷治療」をテーマに、スクリーンには写真や動画が映し出される。会場に響き渡る今村の声に、固唾を飲む聴講者たちがいた。それは最後方の私の席にも伝わってきた。
今村は、数ヶ月前にパレスチナ自治区・ヨルダン川西岸地区から帰国してきた。彼が働いていた救急室、そこは入口が軍用車両で封鎖され、催涙ガスにまみれ、銃口を向けられるという現場だった。
通常、医師が集う学会や学術集会は、医師に対して治療法や診断法、新たな知見に役立つ情報発信を目的としている。企業展示も行われ、医療メーカーが最新機器をアピールする場でもある。私も、MSFの海外派遣スタッフ採用担当という立場でブースを出展していた。
今村はそんな場で、外科症例やその治療法だけではなく、彼が目の当たりにしてきたイスラエル軍による民間人への「医療妨害」の実態を発表した。異例の発表が終わると、会場は水を打ったような静けさが広がった。日本の医療者たちには少々遠い話だっただろうか。そう思った次の瞬間、手をあげ質問をする聴講者たちが相次いだ。
講演が終わり、会場の外に出た今村を見失わないようにあとを追った。最後に会ったのはいつだっただろうか。今村の姿を確認すると、もっと話を聞きたいと思われる人々に囲まれていた。会場内で見せていた厳しい表情はすでに緩み、私が記憶する笑顔を見せていた。
どこにピントをあわせるか
2023年10月7日、イスラム組織ハマスがイスラエルに越境攻撃を仕掛けた。続いてイスラエル軍のガザ地区への大規模攻撃が始まる。ガザ地区の情勢を巡って、国内外の報道は激しさを増した。
MSFでも、関係各所が目まぐるしく動いていた。戦争が起これば医療ニーズが発生する。現場運営を行うオペレーションセンターでは、パレスチナ自治区内とその周辺国の、どの場所に、どんなプロジェクトを展開させ、どんな人材をどのくらい配置するかなどを日々検討していた。世界に点在するMSFの各事務局も、オペレーションセンターからの通知を受けながら一斉に人材確保にのりだしていた。
報道機関は、当然のようにガザ地区にフォーカスしていた。同じパレスチナ自治区でありながら、ヨルダン川西岸地区の話はほとんど出てこない。同地区でも活動していたMSFは、つぶさに医療状況を確認していた。
今村は2019年12月から2020年3月にアフガニスタンに1度派遣されており、今回は4年ぶり2度目の派遣だった。
「機会があればまた行きたいとずっと思っていました。ただ新型コロナウイルス感染症(COVID-19)のパンデミックで忙しくなってしまって……」
今村は2020年に設置された厚生労働省新型コロナウイルス感染症クラスター対策班のメンバーとして、第一線で活躍していた研究者の一人だ。普段は大学で疫学研究や公衆衛生に携わりながら、週末は救急医として臨床もこなす。
はじめ、それらの点を一つの線に結べなかった。そんな私に、彼が説明してくれたのは、基礎研究も臨床も公衆衛生も共通する目的は人の健康を守ることであり、すべては繋がっているということだった。
「医療者として、どこにピントを合わせるのか、なんですよ」
まずは、対象が人ひとりであれば、病院で目の前の患者に対応する臨床医の目線となる。もう少しミクロな世界にフォーカスを絞れば、病原体や細胞内で何が起きているのかを究明するという話になる。それは大学などの研究室でやるような基礎研究だ。逆に患者の状況を俯瞰し、集団の中で誰がこういう病気になりやすいか、などという視点に立てば、疫学研究や公衆衛生となる。
今村は基礎研究、臨床、公衆衛生のそれぞれの場所に携わってきたことで、自分の見たい対象にフォーカスを切り替えることができるという。例えば新型コロナウイルス感染症のパンデミックのときには、クラスター対策班の中で疫学情報を集めながら、同時に救急の現場にも出た。入ってくる情報と現場の状況に整合性はあるか、それとも現場感覚と解離しているのか。後者だとしたら、何かまだ見えてないものがあるのではないか、など思考が広がった。
研究や公衆衛生、臨床を行き来することで見えるものがある。これが今村の医師としての信条だった。
街を行き交う人びと
今村に今回のパレスチナ自治区への派遣の話が来たのは、2023年11月上旬のことだった。世間では、イスラエル軍のガザ地区への攻撃の報道が過熱していた。今村の派遣地が、そのホットスポットであるガザ地区なのか否か、詳細はまだ分からなかった。
「場所がどこであれ、医療が必要な場所に行かせてもらうということが大事だと思っています」という今村は、派遣地を確認できないままオファーを受けいれた。
その派遣先がヨルダン川西岸地区のジェニンに決まり、12月6日に日本を出発した。ジェニンは、ヨルダン川西岸地区にある11の行政区の一つで区内の北部に位置する。
パレスチナ自治区のヨルダン川西岸地区に入るには、イスラエルが管理する検問所を通過する必要があり、今村がまず向かったのはイスラエルだった。検問所までの道中、西エルサレムをはじめ綺麗で近代的なイスラエルの街を目にした。トラムも通常通りに走っていたという。ハマスの奇襲から2ヶ月以上が経過し、イスラエルでは日常を取り戻していたようにも見えた。
私は2015年から2016年にかけて4ヶ月間ガザ地区に派遣された経験がある。その時も同じようにイスラエルを経由した。今村の見たという光景は、当時の私の記憶となんら変わらない。ただ今村はこう付け加えた。
「唯一、異様な光景がありました。街を歩いている一般市民がライフルを普通に肩からかけて携帯していたんですよ、男女問わずです」
イスラエル政府は、戦時に準じた体制ということで市民に銃器の携帯を許可していた。国民皆兵を採用しているイスラエルでは、国民の誰もが戦闘員になりえる。
パレスチナ自治区に通じる検問所を通過した際、イスラエル軍に車から降ろされ「戦争をしていると分かって来ているのか」などと尋問を受けた。当然その心づもりはあった。ところがいざパレスチナ現地に到着してみると、戦争の影はなく、むしろ市民の日常が広がっていた。
イスラエルと比べるともちろん景色は変わった。道路にはところどころ穴が開き、舗装がされていない。並ぶ建物も一様に古び、時に貧しさも顔を覗かせる。一方で、人や車が行き交っていた。ジェニンに到着すると、買い物をする人々で市場も賑わっている。案外、平穏なのか……と思う今村の見えぬところで、ジェニンの現実は影を潜めていた。
それは確実に来る
それはいつ来るのかは分からない。だけど確実に来る。ジェニンの街に突然響き渡るけたたましい空襲警報。たちまちドローンによる空爆が始まり、隊列を組んだイスラエルの地上部隊が街にやってくる。そして銃弾を放つ。
こうしたイスラエル軍の侵攻は今に始まったことではない。ジェニンを含むヨルダン川西岸地区全体に、以前から起きていることだった。ただ、2023年の10月7日以降、頻度が増え、今村が到着した翌週にはこの侵攻が3日間続いた。
派遣先はパレスチナ自治政府が運営する公立病院であり、MSFが人材や物資面で支援を一部していた。200床ほどの規模で、手術室やCT、透析室を備える。今村の仕事場は救急室だ。彼より先に派遣されていたMSFの海外派遣スタッフの救急医師と救急看護師、そしてもともとこの救急室を担当していた現地スタッフたちと一緒に働いた。
「イスラエル軍の侵攻があると、救急室には外傷患者が増えると思いますよね?」
今村が私に問いかける。確かに空爆、銃撃、そのような言葉を聞くと、次には血を流す人々の姿が自然に思い浮かぶ。私も過去の紛争地での活動で何度も経験してきたことだ。
「ところが、逆に救急室は閑散とするんですよ」
続く今村の話はおぞましいものだった。イスラエル軍の侵攻によって、それに起因する負傷者が増えるのは間違いない。ただ、負傷者が病院にたどり着くことができない。なぜならば、病院までの全てのアクセスを、イスラエル軍の車両が封鎖してしまうからだ。
毎回、隊列を組んでやってくるイスラエル軍の車両らは、街の中で適宜各所にばらけ、そのうちの何台かが病院に続く主要道路と、病院の入口の前をブロックする。救急車は身動きが取れず出動不可能になる。たとえ患者の搬送中であってもイスラエル軍は救急車を止め、隊員の服を脱がして取り調べをはじめる。これが昔から続くジェニンの日常だった。
病院までのアクセスを塞がれてしまうと、侵攻による外傷患者ばかりではなく一般の救急患者もたどり着けなくなってしまう。イスラエル軍の侵攻があろうがなかろうが、子供の発熱から大人の脳出血まで、日常的に救急患者は存在する。
患者だけではない。侵攻があると現地パレスチナ人の医療スタッフも出勤が困難になる。今村のいう「侵攻が始まると救急室は閑散とする」という現象の意味が理解できた。
◎筆者プロフィール
しらかわ・ゆうこ/日本やオーストラリアで看護師としての経験を積んだのち、2010年に国境なき医師団に参加。シリア、イラク、パレスチナ、イエメン、南スーダン、アフガニスタンなど紛争地を中心に活動している。主な著書に『紛争地の看護師』『紛争地のポートレート』など。2018年10月より、国境なき医師団日本事務局で海外派遣スタッフの採用を担当。