西谷格「死体のように寝転ぶ男たち」一九八四+四〇 ウイグル潜入記 #9
ウイグル族の民家
ビリヤード台は時間貸しで、そろそろ店を出る時間になっていた。
「モスクを見たいんだけど、この近くにあるかな?」
「いくつかあるよ。案内する」
ビリヤード場を出て、雑貨屋や食堂などが並ぶ道をしばらく歩くと、「愛党愛国」と書かれた横長の赤い看板と、中国国旗を高く掲げた茶色い門が見えた。門は彫刻が美しいのだが、看板のほうが明らかに目立っている。入り口には「自治区和諧寺観教堂」と金属プレートが貼られていた。写真を撮ろうとすると若者は「あまり撮らないほうがいい」と言って私から10メートルほど離れ、目を逸らして他人のふりをした。後日調べてみると、当局公認の宗教施設だった。
さらに歩くと灰色の荒涼とした砂地に、2メートルほどの土管のようなものが何本も並んでいる空き地に着いた。異世界を思わせる見慣れない景色だった。
「この村のお墓だよ。俺のばあちゃんもここで眠っている。埋葬の仕方も、漢族とは違うんだ」
近づいてよく見ると、土管の両端はミナレットと同じ玉ねぎ型をしている。生活に根ざしたイスラム文化は本物の美しさがあり、ウルムチで見た「国際バザール」とは対照的だった。
その後、青年はさらに別のモスクの前も案内してくれたが、状況はほぼ同じだった。私はふと思い出して、野口英世の印刷された千円札を渡してやった。青年は物珍しそうにそれを眺め、遠慮がちにポケットにしまった。
街なかを進むと、見るからに新しい現代的な建物と、伝統的なレンガ造りの建築物とが混在していた。どちらの建物が好きかと青年に聞いた。
「俺は昔ながらの建物のほうが好きだな。昔の建物は風通しが良いから、快適なんだ。新しい今のやつは太陽光が入りすぎるから暑苦しい」
新しいほうが良いに決まっている、と言っていた漢族の言葉を思い出した。
「もうすぐ家に着くから、じゃあね」
「待って、門のところまで送っていくよ」
さらに何歩か付いていくと、若者は道路沿いに並ぶ大きな門扉の一つを開いた。中庭に向かって声をかけると、5〜6人の男女や子供たちがぞろぞろと出てきて、こちらのほうを興味深そうに見つめてきた。「こんにちは、私は日本人です」とウイグル語で話しかけ、当地風に右腕を胸に当てて笑顔を向けると、輪の中心にいた細身の中年女性の顔が綻び、「あなた、日本人なんですか?」と興味深そうに聞いてきた。続いて、こう言われた。
「スイカ、食べますか?」
心のなかで快哉を叫んだが、図々しいのはいけない。予想外の展開に戸惑ったような表情を見せてから「本当に良いのでしょうか?」「どうぞ、どうぞ」などとやり取りし、迎え入れてもらった。
門のなかは小さな中庭を囲むように3棟ほどの居室があった。中庭の一角には屋根のある絨毯敷きの小上がりのような四畳半ほどのスペースがあり、2〜3人の男性が昼寝をしていた。
奥の部屋に案内されると、広々とした土間と、膝の高さほどの小上がりがあった。小上がりの広さは、10畳ほどだろうか。灰色の土壁だが、きちんと清掃されていて、窓にはペイズリー風の幾何学模様の赤いカーテンがかかっていた。日本でもこだわりのあるエスニック料理店などで見かける内装だ。外は痛いほどの灼熱の日差しが降り注いでいるが、ここは目も疲れず、少しひんやりとして実に心地よい空間だった。
小上がりに腰掛けると、先ほどの中年女性が半分に切られた細長いスイカを持ってきて、その場でサクサクと切り分けた。続いて、干した木の実や、白っぽい干し葡萄のようなものをガラスの器に盛って出してくれた。どれも見慣れない食べ物だ。さらに、ベーグルのような固そうなパンや揚げ菓子も出てきた。3人の子供と別の中年女性2人に囲まれながら、いつから来た、なぜ来たといった質問に答えていった。
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本連載は、上海在住経験があり、民主化デモが吹き荒れた香港のルポルタージュなどをものしてきた西谷格氏による、中国・新疆ウイグル自治区の滞在記…