愼允翼さん「ルソーの生き方に少しでも近づきたい」ルポ 読書百景 #4後編
東大にとっても”きっかけ”となったはず
東京大学大学院に通う愼允翼さんは、いま、フランス文学の研究室でジャン=ジャック・ルソーなどフランス思想や哲学を専攻している。
全身が動かなくなる難病の「脊髄性筋萎縮症(SMA)」とともに生きてきた彼は、これまでも学校で「学び」のために様々な工夫をしてきた。たとえば、小中学生のときのテストでは、学校側との交渉によって、介助員に口頭で伝えた解答を代筆してもらう形をとった。また、高校受験では別室でのパソコンの使用や試験時間の延長をやはり学校側と交渉し、地元の県立船橋高校に入学している。大学受験のための勉強は一日に8時間以上、浴室の壁や送迎車の天井にメモを貼ったり、世界史の年号を朗読のCDを聞いて覚えたりもしたという。
そうして猛勉強を重ね、一浪の末に愼さんは、2016年にセンター試験と論文、面接で合否を判断する東大の推薦入試を受験。推薦入試が東大で実施されたのはこのときが初めてで、彼はその一期生として合格を果たした。その後、彼は生まれ故郷の千葉市を離れ、東大の近くのマンションで一人暮らしを続けて大学に通ってきた。
僕が東大に入学したとき、問題となったことの一つに、勉強のための本をどのように読めばいいのか、ということがありました。入学した際に大学側から「本へのアクセスをどうすればいいか」と聞かれ、僕は「パソコンで読めないとつらいです」と答えました。
今でこそ東大の図書館では、申請さえすればあらゆる本をPDF化してもらえます。しかし、僕が入学した頃は電子化の仕組み自体はあったものの、月に何十冊とリクエストがある状況ではなかった。その状況が僕の入学によって一変したんですね。
大学で本を電子化してもらうためには、まず読みたい本のタイトルを申請します。そして、依頼書を出す際にデータを配布しないことを約束する誓約書を書きます。その後、図書館のスタッフが本の電子化を行い、出来上がると僕に送ってくれるという流れになっています。
僕が入学するまで、「本」を電子化してPDFにしていくこの一連の仕組みは、制度としてはそこまで整えられていませんでした。ところが、僕がひっきりなしに電子化を申請するようになったので、今では本を電子化する仕組みがずいぶんと整ったものです。
僕はそんなふうにして、東大で読書をするための体制を自分が行動することによって実現していきました。その意味で東大は僕に「本を読む自由」を与えてくれた場所であり、また、大学にとっても僕の存在は、読書のアクセシビリティを考える上での大きなきっかけになったはずだと感じています。
読書バリアフリーという言葉では足りない
愼さんの大学院での研究テーマは、前述の通りフランス思想や哲学だ。文学部に在籍中から図書館に必要な本のリクエストをし続け、古典文学や哲学書をフランス語でも読んできた。大学生活の中では親しい友人もできた。小中学生のとき、自身の障害を受け入れられない気持ちや友人との関係に悩んだ愼さんだが、東京大学はそんな彼にとっての「居場所」となったのだ。
「いまは修士論文の執筆に苦労しているんですよ」
と、愼さんは笑う。そのなかで、「本」との付き合い方も、新しい形を模索していきたいと考えていると彼は言った。
僕のような障害のある人間にとって、「本」は開くことすらできないものです。そのつらさや現実は、読書バリアフリーという言葉だけでは足りない、そんなに甘いものじゃないんだ、という思いもあります。どんなに技術が進歩しても、その恩恵に与れない人間は必ず存在するんですよ。
僕は読書をする際、まずは読むための姿勢を介助者に作ってもらい、パソコンでPDFをスクロールしていきます。でも、マウスをクリックするのも、ときにはつらいと感じることもあります。
だから、最近では「聞く読書」の可能性も探っているんです。たとえば、YouTubeのコンテンツを探してみると、ルソーの『エミール』などを原文で朗読している人もいます。ただ、小説などを娯楽として読むのとは違い、難解な思想書や哲学書は耳からの情報だけでは、やはり頭に入ってこないところがあります。原文の朗読はフランス語の聞き取りの練習にもなるので、CDやYouTubeでときどき聞いてはいるのですが……。
この「朗読」による聞く読書を、もっと解像度が鮮明になる形で活用できる方法や工夫はないだろうか、と思うんです。日本語の本を目で読む、原文の本を音で聞く――と読書のやり方を比べて分析することで、淡々と目で読む読書とは異なる理解の仕方が発見できたら面白いかもしれないな、と。いずれはそれぞれの読書の方法の違いを自分なりに言葉にして、本との新しい関係を模索する試みをしてみたいですね。
自分の人生が開かれるかもしれない
愼さんがジャン=ジャック・ルソーの著作を初めて読んだのは、東大の文学部に入学してからのことだった。文学部の哲学科で勉強を始めたものの、「認識論や存在論といった世界は、自分にはあまり合わないものを感じたんです」と彼は言う。
「哲学書や思想書を読んでいても、体に馴染んでこなくて、障害のある自分自身の実存とも強い関わりを感じることができなかったんです」
そんなとき、出会ったのがルソーの『人間不平等起源論』だった。「他の哲学者と比べて、とりわけ血生臭かった」と愼さんは言う。
1755年に出版された同書は、まだ文明社会を作っていない人間集団を「自然状態」と規定する。そして、「自然状態」の下では平等であった社会に、私有財産の発明が人為的な不平等を生み出していくプロセスを描いている。
社会の不平等の「起源」を思考実験として描いたこの本を読んで以来、愼さんはルソーの著作に熱中していくことになった。
ルソーという思想家に強く惹かれたのは、彼が「自学自習のスター」のような人だと感じたからです。スイスのジュネーヴの時計職人の家に生まれたルソーは、幼い頃に母親を亡くします。そして、父親は10歳の時に貴族との喧嘩の際に剣を抜いたことで告訴され、町から逃亡してしまうんです。両親のいないルソーは孤児となり、叔父の伝手で預けられた牧師の家で貧しい暮らしを送ることになるわけです。
ルソーも16歳の時にジュネーヴを離れ、フランスやイタリアなどの様々な町を転々としながら放浪生活を送りました。いろんな仕事をしてなんとか生計を立てていた彼の日々は、とても貧しいものだったといいます。
そんなふうに幼少時代を過ごしたルソーは、障害があって本を読む機会を作ることが難しかった僕と同じように、ろくに本を読めない子供時代を過ごしたんじゃないかと思うんですね。でも、無学であってもロックやホッブズ、モンテスキューといった思想家たちの書物に深く入り込み、誰も気づかなかったような視点を指摘して、新時代を作るような思想を生み出していった。
僕にとってそんなルソーの生き方は憧れそのものです。思うように教育を受けられなくても、それでも新しい思想を作り出した彼のあり方に少しでも近づきたい。僕はそんなふうに思っています。
大学で研究をする僕にとって、今や「読書」は人生における重要な意味を持っています。自分の身体の一部として、「読書」という行為があると思えるからです。本を読むために介助が必要なので、僕は本へのアクセスがどうしても制限されてしまう。読むことが苦しいときは、思うように読書が進まないこともあるし、本棚に並べている本をただ見ているだけで一日が終わってしまうこともあります。
でも、たとえ1ページしか読めない日であっても、僕はその1ページを読めたことにいつも希望を感じるようにしています。なぜなら、その本の1ページ、あるいは次に開いた2ページ目によって、自分の人生が開かれるかもしれない、という思いがあるから。
読書というのは、そういうものですよね。僕は本を読むことにそんなふうに希望を見出したいし、希望を見出せるような人になりたいんですよ。
しん・ゆに/1996 年、千葉県生まれ。東京大学文学部人文学科哲学専修課程卒。東京大学大学院人文社会系研究科フランス語フランス文学研究室修士課程。専門はジャン= ジャック・ルソーおよび18 世紀フランス思想。
◎筆者プロフィール
いないずみ・れん/1979年、東京都生まれ。早稲田大学第二文学部卒業。2005年に『ぼくもいくさに征くのだけれど 竹内浩三の詩と死』で第36回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。主な著書に『復興の書店』『「本をつくる」という仕事』『アナザー1964』『サーカスの子』など。