堀口里奈さん「昔読んだ本も、新たな読み方から楽しめる」ルポ 読書百景 #7
ディスレクシアは 「見えない障害」
筑波大学大学院で学ぶ堀口里奈さんは、読み書き障害と聴覚過敏を抱えながら、自身の学びと研究に向き合う大学院生だ。現在、25歳の彼女は、特に英語やカタカナに対する読み書きの困難を抱えている。
「文字を読むことに負荷を感じます。特にカタカナとアルファベットは読みにくく、文字を追うだけで疲れてしまうことが多いです」
彼女のこの読み書きの困難は、高校2年生のときに「読み書き障害」(ディスレクシア)と診断されるまで、周囲からは認識されていなかった。だが、診断を受けた後、彼女は自身の障害を受け入れながら、社会や教育の中でいかに学び、読み続けるかを模索していくことになった。
私にはディスレクシアがありますが、子供の頃は周りから見れば「普通の子供」だったと思います。成績も特に悪いわけではなく、自分でもそれを意識することはそれほどありませんでした。
ただ、これは後になってから気づいたことなのですが、小学生のときの自分の成績がそれほど悪くなかったのは、学校の授業では普通にできているように見えても、塾や家で他の子よりもたくさん勉強をしていたからだったんですね。人の何倍も勉強をして、やっと人並みに追いつくという感じだったんです。
ディスレクシアってそんなふうに、「見えない障害」なんですよね。私自身は勉強がすごく大変で、他のことに使う時間の余裕がない。でも、例えば周囲の人から見れば普通に勉強ができているので、なかなか当事者の抱えているつらさが分かりづらいんです。
中学生以降になると、その大変さがさらに増していきました。文字量が多い教科や複雑なカタカナ用語が多い英語、世界史、理科の授業で、困難を感じることが増えていったからです。例えば、社会や理科の教科書に載っているカタカナの語句なんかは、何度読んでも正しく読むことができないので、いつも友人に読み上げてもらっていました。要するに、当時の私は自分が「読めない」とそれほど思っていなかったけれど、ただただ「しんどい」という感覚があったわけです。
そんななか、私が実際にディスレクシアという診断を受けたのは、高校2年生のときのことでした。学校での学習に少しずつ限界を自覚し始めて、専門機関での検査を受けることになったんです。受診したのは児童精神科です。そこで読み書きに障害があるということが分かったときは、「ようやく自分の抱えている困難の理由を言語化できた」と認識しました。
慣れた声と速さで試験を受けることができた
堀口さんが診断を受けた時期は、2016年に障害者差別解消法が施行されたのとちょうど同時期のことだった。この法律の施行後、条文の中で規定されている「合理的配慮」という言葉が世の中に知られていく。合理的配慮とは、障害を持つ人が社会の中で平等に権利を行使できるように、必要な調整や変更を行うことを指す。例えば、教育現場では文字の読み書きが困難な学生に対して、試験時間を延長する、問題文のフォントサイズを拡大する、教科書や資料を電子データに変換し、音声で読み上げる形式にする、といった配慮が求められる。
ディスレクシアの診断を受けて以来、私は自分が学びやすく、読みやすい環境を作る方法を模索し始めました。例えば、参考書のテキストデータを手に入れて、パソコンの読み上げ機能を使ったこともその一つです。勉強するときは紙の参考書も手元に用意して、読み上げを聞きながら紙の本も目で追って線を引いたり、パソコンでタイプして覚えたりするようになりました。ただ、まだまだ試行錯誤の段階だったので、それで受験勉強ができるようになったかと聞かれれば、そうではありませんでしたね。とりあえず、この方法で高校を卒業しよう、みたいな感じでした。
そうして大学受験が近づいてきたときは、本当に苦労しました。当時はまだ「合理的配慮」の制度が始まったばかりの時期なので、入試の受験上の配慮を受けるための手続きがとても大変だったからです。受験する各大学にまずは電話で問い合わせをして、合理的配慮を申請するための書類を準備し、担当者の人との調整を重ねていく。一校一校、支援の内容を確認し、必要書類を揃えていく過程は非常に時間がかかり、受験勉強との両立が難しかったです。
大学入試で特に苦労したのがセンター試験(共通テスト)でした。
私が受験した当時は、パソコン読み上げ機能を試験で使うことが認められているケースが少なく、人による読み上げで試験を受けるような方法がとられることもありました。試験当日に初めて会う人に問題を読み上げてもらうことになるのですが、速さや読み方の調整をしてもらうためには、細かな要望を伝えなければなりません。結局は慣れていない環境になってしまうだろうと思い、私は代読の配慮を、申請できませんでした。私は普段MacBookを使っているので、いつもの聞き慣れた速さで、聞き慣れた声を聴けるのが一番好ましい。受験勉強で使ってきた方法を試験の本番でも使えるようになってほしいと思いました。
それから、試験問題のフォントを22ポイントの大きさに拡大した「拡大冊子」というものも使われました。LD(学習障害)の支援には、文字の拡大がよいという人もいますが、私の場合は拡大しても視野からどんどん文字が漏れていってしまう感覚があるので、 やっぱり自分に合っているのは通常の大きさの試験問題を、機械の音声で読み上げるというかたちだと思いました。
一方、4年後に筑波大学の大学院の入試を受けたときは、パソコンの読み上げ機能を使った受験の配慮申請が通り、初めて希望する環境が整いました。MacBookのアクセシビリティ機能を使って、慣れた声と速さで試験を受けることができました。自分のペースで問題に向き合えると安心感が生まれますし、本来の力を発揮できるのではないでしょうか。
「読むこと」にも違いがある
堀口さんにとって、支援機器やICTの活用は学びを支える上で重要なものであり続けてきた。聴覚過敏に対してはノイズキャンセリングヘッドフォン、読み書きの困難についてはテキストデータ。それらを「紙」の本とも組み合わせる。紙媒体だけでは視野から情報が漏れてしまうことが多いので、電子データで読み上げながら『読むこと』を自分に合ったかたちにカスタマイズしているわけだ。
現在、彼女の大学院での研究テーマは、そのような支援機器やICTを活用した学びの環境づくりである。通常学級で学ぶ障害のある子どもたちが、どのようにして支援機器を活用して学びやすい環境を構築できるかを探求している。
「人による支援だけでは、環境が変わるたびに調整が必要になります。一方で支援機器は一貫して使い続けることができるため、ツールとして学びに連続性をもたらしてくれる。そのことが、学びに対する選択肢を広げることにもつながると思います」と堀口さんは言う。
「ディスレクシアは見えない障害なので、周囲には理解されにくいです。でも、図書館サービスの進化や電子書籍を上手く活用して、どんな人でも学びやすい環境が作られていってほしいですね」
筑波大学では図書館が読み上げ可能な電子データを提供しており、堀口さんもこのサービスを活用している。
こうしてディスレクシアの話をしていると、私が読書を遠ざけてきたと思う人もいるかもしれません。でも、実は私は子供の頃から、本が大好きだったんです。しなければならない勉強と自分が楽しむための読書は、同じ「読むこと」であっても全く異なるものだったからです。
例えば、母には上野の「国際子ども図書館」によく連れて行ってもらっていました。そこで本を読む時間がとても楽しくて。母は私に「これを読んでみたら」とか「どんな内容だった?」というような質問をあまりしなかったので、好きな本を好きなように読むことに自由を感じました。両親はいつも「読みたい本があれば言いなさい」と言ってくれて、興味のある本を買ってもらえる環境があったのは、本当にありがたかったですね。
いま思い返すと、子供の頃に選ぶのは映像化されている本が多かったです。例えば、小学生の頃から「ハリー・ポッター」シリーズは好きでしたね。映像化されていると、どんな物語かイメージしやすかったからでしょう。本を読んでみると、映像にはない部分がたくさんあって、「あ、こういう描写があるんだ」と新しい発見がある。それを探すのが楽しかったのを覚えています。あとは、講談社から出ている「青い鳥文庫」のシリーズもよく読んでいました。
当時、楽しく読んでいた本も、全部をスラスラ読めていたわけではなかったと思います。でも、それでも楽しかった。読めないところは読み飛ばしたり、わからないまま進めたり。「完璧に読まなきゃいけない」というプレッシャーを自分の読書には感じなくていいので、本を楽しむこと自体を楽しんできました。今では、いろいろな方法を知り、今まで読んできた本をしっかりと読むこともできるので、昔読んだ本に新たな発見をすることもできて、また違った楽しみも得られています。
本を通じて新しい世界を知ることは、とても素晴らしい体験ですよね。当時からそんなふうに自分なりに本を楽しんできたことは、今でも自分の読書のスタイルにつながっていると思います。
インタビューを行った日、彼女は「いまはこの本を読んでいます」と立岩真也著『ALS 不動の身体と息する機械 』という本を見せてくれた。版元の医学書院は「本を購入された方で活字が不便な方には、テキスト・ファイルを用意します」とホームページにも記載しており、堀口さんも出版社に問い合わせてテキストデータを入手して活用しているという。
活字を読むことに困難を抱える人たちが、読みやすい形式の本を探せる国会図書館の「みなサーチ」も利用している。これまでの自身の「読むこと」に対する試行錯誤の経験から、研究と実践を続けるのが堀口さんの読書の風景である。
◎筆者プロフィール
いないずみ・れん/1979年、東京都生まれ。早稲田大学第二文学部卒業。2005年に『ぼくもいくさに征くのだけれど 竹内浩三の詩と死』で第36回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。主な著書に『復興の書店』『「本をつくる」という仕事』『サーカスの子』など。最新作に『パラリンピックと日本人』。