片岡見悠さん「最初は2倍速、次第に4倍速が普通になった」ルポ 読書百景 #6
『オリエント急行』を聴いて
片岡見悠さんは現在、横浜の専門学校で陶芸を学ぶ20歳の若者だ。彼には文字の読み書きに困難を抱えるディスレクシア(識字障害)がある。
ディスレクシアとは発達障害の一つで、読むのに時間がかかる、文字を読み間違う、文字を見て内容を理解するのが難しい、文字が歪んで見える、鏡文字になって見える、揺らいで見える——など症状は人によって様々だ。
「僕の場合は特に漢字の読み書きが無理だったんです。カタカナや平仮名は読めるのですが、当時から画数が複雑な漢字になると、読めなかったり、上手く書けなかったり、『どんな字だったっけ?』となったりしてしまう。最近はだいぶ読めるようにはなってきましたが、小学校で難しい漢字を習い始めた頃はイライラすることも多かったですね」
片岡さんは小学校3年生の時、読み書きの状態を心配した母に誘われ、東京大学先端科学技術研究センターの「読み書き相談室 ココロ」を訪れた。ここでは学習障害のある子供たちに対してICT(情報通信技術)を使った学び方を提案しており、そこで出会ったのが相談に応じていた平林ルミさん(特任助教/当時)だった。
読み書きの速度や正確性を判定する検査を受けると、片岡さんには読み書きに困難があることが分かった。以後、彼は平林さんのサポートを受けながら、タブレットやKindleを活用した学習の仕方を学んでいくことになる。そのなかで、「読書」についてはKindleの読み上げ機能を利用し始めたという。
今回、インタビューに同席してもらった平林さんは、そんな片岡さんの「読書」について次のような光景が印象に残っていると話す。
「片岡くんが中学生のとき、センターに来るといつもリュックにiPadを入れたまま、イヤホンをして帰っていく姿が印象的でした。『音楽を聴いているの?』と聞いたら、『本を読んでいるんです』と言う。そのときはアガサ・クリスティの『オリエント急行殺人事件』をKindleの読み上げ機能で流していると聞いて、ずいぶんと本を読んでいるんだなと思ったものでした」
そのように、中学生の頃には音による読書が日常になっていた片岡さんは、どのように「読むこと」を続けてきたのだろうか。
4倍速だと1日で読了
僕が「なんか自分は周りと違うな」「おかしいな」と感じ始めたのは、小学校に入って少しずつ難しい漢字を習い始めた頃のことでした。漢字ドリルをクラスメートと一緒にやっていると、自分だけが終わるのが遅いと思うようになって。テストの点数も2年生くらいまではある程度良かったけれど、それがだんだんと悪くなり、「どうしてみんなと同じように勉強しているのに、自分の点数だけが低いんだろう」とちょっとイライラしていました。その苛立ちを母にぶつけることもあったのを覚えています。
その頃から、本を読むことは僕にとって「面倒くさいこと」でしたね。絵本やマンガは読めるのですが、文字だけだと「何を言っているのか分からない」という感じで気持ちが悪い。だから、絵での説明がついている「科学漫画サバイバルシリーズ」みたいな本は好きだったけれど、文字だけの本は自ずと遠ざけるようになっていきました。そんなわけで親に言われて平林さんの「読み書き相談室」に行く前は、ほとんど本というものは読んでいませんでした。
平林さんのサポートを受けるようになってから、僕は「ハイブリッド・キッズ・アカデミー」というところに通いました。「Pages」というアプリを使い、フォントや文字の大きさを変えたり、背景の色を変えたりして、自分に合った電子書籍の使い方を見つけていくんです。教室の隣にある部屋に人型ロボットのペッパーくんがたくさんいたことが、とても印象に残っています。
Kindleの読み上げ機能を使い始めたのは、小学校の6年生の時でした。目で読んで文字を頭に入れるのではなく、耳で聴いてから文字を見て頭に入れる読書——一般的な読書とは異なる読書をはじめたわけです。それも平林さんに教えてもらったもので、そのあと母がとりあえず買ってくれたのが『ハリー・ポッターと秘密の部屋』でした。
ハリー・ポッターは映画で観たことはあったのですが、本で読むのはもちろん初めてでした。それで読み上げ機能を使ってみると、読みやすくてすぐに熱中してしまったんです。そのとき感じたのは、「とにかく楽」ということでした。読み上げてくれるのが楽で、仲間や魔法が出てくる物語も聴いていて楽しい。その「楽しい」「面白い」という気持ちがずっと続いて、気づいたら一日で一巻をぜんぶ読んでいました。そのあともシリーズを7巻まで買ってもらい、ずっと読み続けていましたね。
そのなかでだんだんと不満を覚えるようになったのが、読み上げの速度でした。それで平林さんに相談すると、「iPadの音声読み上げは設定で4倍速まで変更できるよ」と教えてもらったんです。それからは最初は2倍速、次第に4倍速での読書が普通になっていきました。主に読むのはファンタジーものや推理小説で、4倍速で読めばどんな本でも一日で終わっちゃう。もう少し読みたいなという気持ちも高まり、いつもイヤホンで本を読むようになっていったんです。
小学生の頃の「読書」は家だけでしたが、中学生になってからは家から学校まで30 分くらいあったので、通学の行き帰りにはいつも本を聞いていました。高校に入ってからは、移動している間はずっと聴いている感じ。家でもゲームをしながら本を聴いていましたね。
ただ、次々に僕が本をダウンロードするので、月に本代が1万円くらいになってしまい、親からは「少し抑えて」と言われるようにもなって。そのうちに見つけたのがネット小説です。ライトノベル系のサイトの無料の小説を読むようになり、今も「小説家になろう」(ウェブ小説投稿サイト)などをよく利用しています。
昔はKindleで読み上げ機能を主に使っていました。画面を消してもずっと読み続けてくれていたので、家で寝ながらいつも読書をしていましたね。中学生の頃からは画面をオフにしてリュックに入れ、イヤホンを付けたまま歩きながら本を聞くようになりました(仕様の変更に伴い、現在では画面を消した状態でKindleを読み上げることはできない)。
母がルビ振りしてくれた教科書
ディスレクシアの当事者にとって、苦労するのが教育の現場だ。音声での情報取得やICTを使った支援が有効で、例えば、デジタル図書の国際標準規格「DAISY(デイジー)」によって作られているデジタル教科書に、「マルチメディアデイジー教科書」というものもある。音声、テキスト、画像、動画を組み合わせて情報を伝える教科書で、視覚に障害がある人々や読み書きに困難を抱える人の学習を支援するために設計されている。
デイジー教科書では通常のテキストに加えて音声ナビゲーションやブックマーク機能、文字サイズ変更など、柔軟な学習体験が提供されており、ユーザーは自分の学習スタイルに応じて教科書を読める。こうした電子教科書の利用を本人が求めた際、それを認めることは合理的配慮の提供として教育機関に義務付けられている。
「現在も学校教育現場の学習障害への理解は十分ではない」と平林さんは言う。だが、幸いにも片岡さんの通っていた中学や高校では教師の理解があり、「読み書き相談室」に校長がヒアリングに訪れるなど、学習の現場でもサポートを受けることができたという。
「小学生の頃は、学校の教科書には母が全てルビ振りをしてくれていました」
と、片岡さんは振り返る。
「電子教科書も家では使っていました。ただ、学校では周りと違うことをするのがとても嫌だったので、紙の教科書を使うようにしていましたけれど」
中学生の頃はテストの問題をデータで受け取り、タブレットの読み上げ機能で聴きながら問題を解き、解答をiPadで書き込んで提出するという形をとった。高校時代も同様だ。
「僕は一昨年、大学には落ちてしまったのですが、その頃から実は紙の本の読書もたまにするようになってきているんですよ。ネット小説にも少し飽きてきたとき、Kindleで本を買うとお金もけっこうかかるので、ブックオフなどで中古の本を買ってみるようになって。まだ紙の本を読むとけっこう疲れてしまうので、聴いて読むほうが楽なことには変わりません。でも、漢字もかなり読めるようになってきましたから、いろんな形で読書をしてみようという気持ちも芽生えてきているんです。
ここまで読書に熱中できるようになったのは母が僕の読み書き障害を理解してくれたこと、また平林先生が読み書き障害の子がどうすれば大きな制約を受けずに学習できるかを研究していてくれたおかげです。二人の尽力にとても感謝しています」
◎筆者プロフィール
いないずみ・れん/1979年、東京都生まれ。早稲田大学第二文学部卒業。2005年に『ぼくもいくさに征くのだけれど 竹内浩三の詩と死』で第36回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。主な著書に『復興の書店』『「本をつくる」という仕事』『サーカスの子』など。最新作に『パラリンピックと日本人』。