宮田和樹さん「本では書ききれなかったダイアログ・イン・ザ・ダークのこと」読書バリアフリーと私 #2
『ホール・アース・カタログ』と『暮しの手帖』をヒントに
「『アクセシブルブック はじめのいっぽ』の取材や編集の過程で出会ったけれど、収録できなかったことで、印象に残っているものがあったら書いてみませんか?」
「読書百景」編集長の柏原航輔さんから、共著者の3人にお声がけいただきました。
取材対象から外してしまったものについては「あとがき」に書いた通りです。けれども、こうして改めて振り返る機会を与えられてみると、ほかにも取り上げられなかったものがいくつもあることに思い当たります。
この本の企画を考え始めた当初、タイトル案がまだ『アクセシブルブックのすべて』だったころは、アクセシビリティやユニバーサルデザイン関連の作品や製品について、幅広く紹介するカタログ的なコンテンツを充実させたいと考えていました。米国西海岸のヒッピー・ムーブメントのバイブル『ホール・アース・カタログ(全地球カタログ)』や、編集部で生活家電の使い勝手を徹底的に検証した記事が掲載されていた往年の『暮しの手帖』といった出版物がモチーフです。出版を通じて新たな生活を提案していくそれらの雑誌にあこがれもありました。それで、インクルーシブな社会を実現していくための現代版の『ホール・アース・カタログ』や『暮しの手帖』というのは、悪くないアイデアではないかと思ったわけです。
そんなカタログに自分ならなにを紹介するだろうかと考えてみて、真っ先に思いついたのは、真っ暗闇で行われる体験型のソーシャル・エンターテインメントの「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」や、舞台手話通訳者たちのドキュメンタリー映像に視覚障害者用の音声ガイドを入れるプロジェクトチームを追った映画『こころの通訳者たち』でした。入稿準備に追われているころに刊行された、メディア史研究者のマシュー・ルベリーの著書『読めない人が「読む」世界 読むことの多様性』も、今なら候補に入るでしょうか。そんななかから、今回は「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」について書いてみます。
「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」の参加者は白杖を手に、目の見えないアテンド(案内人)に導かれ、光を完全に遮断した照度ゼロの空間で、ユニット(グループ)の最大8人のメンバーと共に、さまざまな生活場面を体験します。ドイツの哲学博士アンドレアス・ハイネッケ氏の発案で1988年にドイツで生まれて、世界中に広まりました。日本では1999年11月に初めて開催され、これまでに24万人以上が参加しているといいます。
私はといえば、以前からその存在は知っていたのですが、実際に参加したのは、2023年の2月になってからでした。アクセシブルブックについて調べ始めると、ボランティアの高齢化が進んで、これまでの形で継続するのが難しくなっているというお話をうかがうようになりました。音声DAISY(音訳図書)や布の絵本といったアクセシブルブックの作成過程に含まれる多くの手仕事が、このままでは消えてしまうかもしれません。一方で「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」は隣接する領域にありながら、多くの来場者を惹きつけ、常設の施設を維持し(竹芝に加えて、2019年には神宮外苑に新たな拠点を開設)、目が見えない人たちの雇用も創出しているといいます。実際に自分で体験してみることで、アクセシブルブックをめぐる生態系(エコシステム)の変化を見通すヒントが得られるのではないかという仮説を立て、ようやく重い腰を上げることができたのでした。
「対話の森」で体験したもうひとつの日常体験
共著者であるライターの馬場千枝さんと向かったのは、一般社団法人ダイアローグ・ジャパン・ソサエティが主催するプログラム「対話の森」でした。アトレ竹芝シアター棟内にある、ガラス越しに光が差し込む集合場所に着くと、私たちと同じユニットで参加される小学校の高学年くらいのお子さん連れのご夫婦と、30代前後と思われる男女がすでに待っていました。スタッフの方が来られて、持ちやすそうな白杖を選んだりしているうちに、目が見えないアテンドの方が来られて、簡単な自己紹介が始まります。お子さんは人見知りなのか、なんだか恥ずかしそうにしていますが、そうこうしているうちに、暗闇体験のスタートです。
アテンドの方の先導でドアを開けて、外光を100%遮断した室内の真っ暗な空間へと進んでいきます。前の人に続いて恐る恐る暗い空間に入り、全盲者の日常生活を体験していきます。公園のような場所を散歩しながら靴底で地面(床)の変化を感じる。ブラインドサッカーで使うボールをシャカシャカと鳴る音を頼りにキャッチする。少し右前から聞こえてくる声を頼りに、そのボールを転がしてみる。アテンドされる方がいいタイミングで声をかけて、参加者の理解や行動を促してくれるのが心地よく、ユニットの参加者の緊張感も心なしか緩んできます。
そうして少しずつ暗闇空間に慣れていきます。休憩場所にたどり着いたら、なにやら縁側のようなところで靴を脱いで上がりこんで(あとで靴を探して履けるか心配でしかたありませんでした)、お話しながら出されたお茶を飲んだりもします(こぼさずちゃんと飲めました)。ユニットの一員のお子さんは、そのころには周囲の暗闇空間に適応したみたいで、他の参加者と会話する元気な声が聞こえてきたり、あちこち飛び回っている気配が感じられたりしました。
休憩したあとは(靴はちゃんと履けました)、交通機関を使った移動に挑戦します。手すりを頼りに、声をかけあいながら、みんなで電車に乗って、シートを見つけて座ります。車内のパイプ状の手すりがしっかり握れていると安心します。車窓からの景色は見えませんが、自然の豊かなところから、もとの都会に戻ってきたところで(という設定でしょうか)、暗闇空間にも別れを告げて、最初に集合した明るいところに戻ってきました。アテンドしてくださった方のファシリテーションで、一緒に体験したグループで感想を交換したり、短冊に書いて壁に貼ったりして、90分間のソーシャル・エンターテインメントは終了です。
ソーシャル・エンターテインメントの可能性と未来へのヒント
もともとイマーシブシアターと呼ばれる、劇場以外の空間で行われる観客参加型の演劇形式に関心があって、そういった作品をいくつか見にいったことがあります。自分の数少ない体験しか比較の基準はありませんが、「対話の森」は、エンターテイメントとしても、とても充実した体験でした。1年以上たってこうして振り返ってみても、かなりはっきりと思い出せることにも驚いています。
「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」がソーシャル・エンターテインメントとして経済面でも自立して運営されている姿を目の当たりにできたことは、この先アクセシブルブックを考える上でもポジティブな刺激となりました。特に、アテンドとして障害の当事者の方たちが活躍し、仕事として収入を得られる仕組みには大きな可能性を感じました。『アクセシブルブック はじめのいっぽ』で強調したように、アクセシブルブックを含む本の生態系は複雑で多様であり、それゆえの豊かさもあります。すべてがソーシャル・エンターテイメント化すればよいというものではありません。しかし、アクセシブルブックの制作プロセスに、当事者の方も作り手として参加できるという未来は、私にはとても魅力的に感じられました。
頭で理解することと実際に感じることの違い
個人的な感覚にも面白いものが残っています。それは自分が頭で理解したと思っていることと、実際に体験して感じることのあいだにある差についてです。外光を完全に遮断した照度ゼロの空間に目は決して慣れることはないと、知識としては知っていました。でも、実際に体験してみると、月明かりのない山道だってしばらくしたら夜目がきくように、そろそろうっすらと見えるようになるんじゃないかと、途中までは、何度も瞬きしたり、周囲を見渡したりしては、確かめてしまっていました。それは無駄な試みだと頭の中で繰り返してみても効果はなくて、しばらくすると、やっぱり少しは見えるんじゃないかと繰り返す。年齢のせいにするのはよくないとは思いつつも、一緒に回った小学生くらいのお子さんの適応力の高さと、つい比べてしまいます。
もうひとつ体験を終えて感じたのは、怖いのは暗闇それ自体ではなく、そこから生じる不安や危険、さらには、それに乗じて生まれる悪意なのではないかということです。実際、暗闇は事故や犯罪が起こりやすいので、悪意と結びつきやすいです。それがここでは、安全面に十分に配慮された空間で、目に頼らずに行動するエキスパートであるアテンドの方が、おだやかな口調でガイドしてもらうことで、これまでに感じたことのなかった安心感を覚えました。同じユニットで一緒に体験した方たちの存在も大きいでしょうし、90分という限られた時間で、チケットを購入したから得られる一時的な感覚かもしれません。しかし、長年、セットになっている自分自身の思い込みや先入観を束の間でも相対化できる機会はなかなかありません。
「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」に興味を持たれたあなたへ
可能性は感じながらも、『アクセシブルブック はじめのいっぽ』でふれられなかった「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」ですが、興味を持たれた方がいらっしゃったら、『DIALOG IN THE DARK ──暗闇の中の対話── みるということ』という本があるので、よかったら手に取ってみてください。
この「読書百景」と同じ出版社だからというわけではないのですが、暗闇体験の参加者やアテンドを務める方たちのさまざまな声が写真やイラスト共にまとめられた一冊です。発行は2015年と少し前に出た本ですが、さまざまな参加者やアテンドの方たちの声から立ち上がる「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」をめぐる言葉が、今回の記事を補完してくれるような気がしています。
◎筆者プロフィール
みやた・かずき/研究者(デジタルカルチャー)。 青山学院大学総合文化政策学部非常勤講師・デジタルストーリーテリングラボ代表教員。 慶應義塾大学政策・メディア研究科修士課程修了。 電子書籍やウェブ、メタバースのアクセシビリティについても調査を行っている。