西谷格「新疆人は、砂とともに生きている」一九八四+四〇 ウイグル潜入記 #4
◆2章 ケリヤ県
空港での呼び出し
日本を発つ直前、日本ウイグル協会副会長のハリマト・ローズさんに挨拶に行った。ローズさんは千葉県内でケバブ店を営んでおり、店舗内で声をかけた。
現地のウイグル人に話を聞くにはどうしたらいいでしょうか。
「ウルムチは大都会だから、もっと南のほう、例えば和田に行ってみたらいいのではないか。南のほうがウイグル人が多く、ウイグル文化も多少は残っていると思いますよ」
日本の4倍の面積を持つ新疆ウイグル自治区は、天山山脈を挟んで北部(北疆)と南部(南疆)に大別される。首府ウルムチの位置する北部に比べ、南部のほうが漢民族の流入が少なく、濃厚なウイグル文化がまだ辛うじて残っているというのだ。シナモンの香りが効いたスパイスティーとデーツの実を頂きながら話を聞き、まだ見ぬ世界に触れてみたいと胸が高鳴った。別れ際には奥さんと一緒に見送ってくれた。
「気をつけて行ってきてくださいね。私たちは、もう帰ることができないので」
日本ウイグル協会は中国共産党による新疆統治を強く非難しており、中国国内では”テロ組織”同然に見られている。ローズさんやその家族が中国領内に足を踏み入れれば、即座に拘束されるに違いない。故郷を捨てざるを得ない悔しさが、短い言葉にこもっていた。
ウルムチは確かに都会で、ウイグル人と会話をするのが難しいと感じた。雑談を試みてもどうも続かず、うまくいかない。早く場所を変えようと思いホータンまでの航空券を調べてみると、片道1000元(約2万円)ほど。ホータンから東に200キロほど離れた于田県は700元(約1万4000円)程度と少し安かったので、そちらへ移動することにした。ケリヤからホータンは、鉄道で移動できるようだ。
機内の窓からは赤茶けた丸裸の山々(山というより、丘陵地帯といったほうが正確かもしれない)や、果てしなく黄土色の景色が続くタクラマカン砂漠を見下ろすことができ、地球ではない別の惑星の地表を眺めているようだった。
陸路だと丸一日かかる距離だったが、空路だと2時間ほどで到着した。機体が着陸して棚から荷物を取り出そうと席を立つと、「F11のお客様いますかー?」と客室乗務員が呼びかけているのが聞こえた。私の座っていた席だ。これまで何度も中国の国内線に乗っているが、初めてのことだった。何やら嫌な予感がしたので、聞き流すことにした。何も起きなければそれでいいし、何か言われたら「気づきませんでした」と言えばいい。自分から進んで出ていく必要はないだろう。
タラップを降り、大勢の乗客とともに進んでいくと、「于田」と大きく書かれた建物が目の前に見えた。写真を撮ると、空港スタッフから即座に「写真撮らないで!」と注意された。中国では駅や空港、行政機関などの写真撮影には注意が必要とはいえ、多少は許されることが多かった。色々なことが厳しい。
殺風景なターミナル内へ入ると、前方から3人ほどの警官が現れ突然囲まれた。
「あなたは西谷格か?」
長躯で面長の三白眼の男性警官から問われ、そうですと答えた。朝鮮系を思わせる細長い一重の目つきやエラの張った顔は、新疆ではとりわけ強い印象を与える。
「中国語はできますね。事実確認をしたいので、ご協力願います。荷物はもう受け取りましたか?」
男性警官は50歳前後で、終始威圧的な表情でじっとりとした目で見つめてくる。嫌なムードだが、こちらはあくまで旅行者として来訪している。その通り回答すれば、何も問題は起きないはずだ。地方空港のためか手荷物の回るコンベアはとても小さく、警官たちに囲まれながらスーツケースが出てくるのを待った。
「あなたは何のためにここに来たのですか?」
「旅行で来ました」
「お仕事は?」
「翻訳をしています」
長年中国に滞在していた経験上、こういう場面で言っていい単語と言ってはいけない単語があることは、よく分かっていた。言うべきでないのは「記者、取材、撰稿人(ライター)、作家、報道、ニュース、雑誌、媒体、原稿、発表」といった、職業としての記者活動を連想させる言葉だ。これらの単語を発すると事細かに追及され、長時間拘束されることもある。絶対に避けるべきフレーズである。
一方、積極的に使うべき単語は「旅行、遊び、文化、美食、味わう、風景」など。純粋に遊びに来ているという朗らかな雰囲気を作ることも重要だ。脳天気に見えるぐらいがちょうど良い。
「中国はどうですか?」
私の思想傾向を探っているのか、試すような口調と好奇を含んだ目で質問を投げられた。こんな所で「中国には良い面も悪い面もあり……」などと自論を開陳するのは得策ではあるまい。「中国大好きです! ご飯は美味しいし人は優しいし、もう第二の故郷ですよ」などと言おうかとも一瞬考えたが、わざとらしい態度はかえって怪しまれる。うーん、と一瞬考える素ぶりを見せてから、
「興味深い国です」
と笑顔で返すと、相手は満足そうに頷いた。
スーツケースを受け取ると、依然として囲まれたまま誘導され、空港内の派出所らしき部屋へと案内された。中はがらんとした教室二つ分ほどのスペースで、壁際に3〜4台の事務机が並んでいた。その横の壁は一面に大型スクリーンが6枚ほど並んでいて、空港内の主要な監視カメラからの映像が一望できる設計になっていた。
いつも見られる側にいたが、逆の視点に立ってみると、見る側というのは特権を与えられた人間なのだと実感する。当局の人間は、相手には決して気づかれない場所から、一方的に対象者の行動を監視しているのだろう。「見る側/見られる側」の間には明確な上下関係があり、見る側には一種の万能感や優越感が与えられる。見ているだけで、相手を支配できたような気分になるのだ。監視カメラが治安維持に役立つことに異論はないが、使い方を一歩間違えれば、社会のなかに「支配/被支配」の構図を持ち込むことになるのかもしれない。
「そこに腰掛けてください。パスポートをお預かりします」
事務机の前に無造作に置かれていた背もたれ付きの木製の椅子に腰掛けると、男性警官も座り相対した。
「タバコ吸いますか?」
男性の薄い唇は不健康に紫がかっていて、爬虫類を連想させた。喫煙率の高い中国では、しばしばこうした男性を見かける。タバコは断った。
「年齢は?」
パスポートを見ろよ、と思いながら、素直に答えた。
「結婚していますか?」
していない、と答えると、相手は初めてニヤリと笑みを浮かべ、中国人のお決まりの反応を見せた。
「42歳にもなってまだ独身なのか。なんで結婚しないんだ?」
「特に理由はないんですが、今まで縁がなかったんです。日本では40代の単身者も決して少なくはありません」
「こっちで中国人の嫁を見つけたらどうだ?」
「そうですね、機会があれば」
すぐ近くのソファに腰掛けていた、腹の出た少数民族風の中年男性も会話に加わってきた。
「あなた日本人か、俺はカザフ人だ。どこから来た? そうかウルムチか」
男性は仕事でここまでやってきたというが、仕事の内容を聞くと「まあ色々な」とはぐらかされた。私は会話の合間にリュックのなかからリップクリームを取り出し、唇に塗った。新疆は空気がひどく乾燥しているのだ。いや、それ以上に警官の前でただじっと座っていることに耐えられなかった。
「おい、お前は男のくせにリップクリームなんて使うのか?」
警察官がこちらを小馬鹿にしたような口調で言う。カザフ人男性も乗っかってきた。
「俺はリップクリームなんて使わねえ。ここじゃ羊肉をかっ喰らって、肉の脂身で口を拭うのが一番だ」
そう言って、口元を手の甲で拭ってみせた。
警官と話すよりカザフ人と話しているほうが気が楽なので、会話を続けた。
「やっぱり羊肉はよく食べるんですか?」
「もちろん。俺たちは毎日食べる。それがここの習慣だ」
ふと視線を落とすと、カザフ人の隣に座っていたウイグル人風の口髭を生やした中年男性の腕の上に、黒い風呂敷のようなものが被せられていることに気がついた。手錠を掛けられているのだろう。だが、手錠をされている本人に面と向かって声をかけるのは憚られ、つい目を逸らしてしまった。男性は眉尻を下げて、放心状態で虚空を見つめていた。
警官からの問いかけが続いた。
「新疆に来た目的は?」
「旅行です。中国の中でも遠い場所に行ってみたかったんです」
「今日はどこに泊まるんですか? ホテルは予約していますか?」
中国で外国人がホテルを利用する際は、地元政府から外国人接客の許可を受けた「渉外賓館」の登録を済ませている施設以外には、泊まることができない。そうしたホテルは都市部には多数あるのだが、田舎に行けば行くほど、数が減る。予約サイトで見つかる場合もあるが、情報は不完全な場合が多く、一軒ずつ電話で問い合わせたほうが無難だ。
ネット情報によるとケリヤ県では一泊400元(約8000円)の高級ホテルは外国人宿泊OKと書かれていたが、少しでも節約したかったので、現地に着いてから探そうと考えていたのだ。予約はしていないと伝えると、警官は言った。
「ケリヤには外国人が泊まれるホテルは2軒しかありませんよ。一つは260元(約5200円)。もう一つは360元(約7200円)です」
田舎のわりに全然安くない。半月ほど短期で部屋を借りたいと提案したが、
「外国人旅行者に貸してくれる大家さんはいないでしょう。普通は年単位で借りるものです」
と返されたので、仕方なく安いほうのホテルに泊まると答えた。こうしたやり取りをしているうちに15分ほどが経過し、パスポートが返却された。
「では行きましょうか。空港から市内はタクシーだと50元(約1000円)、いや30元(約600円)ほどかかるので、私たちが車で送ってあげましょう」
どこまで付いてくる気だろう。当地では外国人観光客は警察車両で送迎されなくてはいけないのだろうか。
「いや、大丈夫です。警察の方たちに面倒をかけては申し訳ありませんので」
「気にすることはありません。タクシーに乗ったらお金がもったいないですよ。あなた、そんなにお金があるんですか? 中国にはいくら持ってきているんですか?」
こちらを茶化すように言う。どうしてもホテルまで送って行きたいようだ。拒絶し過ぎるのも不自然に思われるので、そのまま駐車場へと案内され、素直に乗用車の後部座席に乗り込んだ。
運転席には別の若い男性警官が座り、先ほどの強面の警官はどこかへいなくなった。私の隣には、ウイグル人風の美人警官が腰掛けた。車が走り始めてしばらくすると、運転席の警官の携帯電話に着信があり、何か話をしていた。運転中の電話は、中国では違法ではないらしい。
「今の電話は旅行局からです。あなたがケリヤに来ていることを伝えておいたので、旅行中に何かあったら相談すると良いでしょう」
「分かりました。でも、どうしてわざわざ市内まで送ってくれるんですか?」
先ほどの警官よりいくぶん表情の柔らかい彼は、うーんとしばらく考えた。組織の指示に従っているだけで、理由なんて考えていなかったのかもしれない。
「我々が共産党であることは分かりますよね。共産党は『為人民服務(人民に奉仕する)』ものだからです。だからあなたのことを手助けしているんですよ」
タテマエじみた返答に釈然とせず、問い直した。
「でも、中国人相手にはここまでしないですよね?」
「ええ。地元の人間であれば、親戚や家族が迎えに来てくれます。何の身寄りもない人であれば、中国人であっても我々は面倒を見に行きますよ」
ひょっとしたら、彼は本気でそう思っているのかもしれない。外国人にもしものことがあってはいけないから、しっかり面倒を見るように——そう命令を受けて、運転をしているようにも見えた。
「ケリヤはどちらを観光する予定ですか?」
「まずは街中を歩いて、それから考えようと思います」
空港と市街地を結ぶ幹線道路沿いには、”強制収容所”とされる施設がある。気になったが、女性警官越しに窓外にちらと目を遣るのが精一杯だった。
黒っぽい建物の無機質なホテルでチェックインを済ませると、警官たちはようやく去って行った。カードキーを受け取り室内のツインベッドの一つに横たわると全身にどっと疲労が押し寄せてきて、そのまま着替えもせずに眠りに落ちた。
どこにも逃げられない
目が覚めると時刻は18時を回っていた。日没は22時半ごろなので、まだだいぶ動ける時間がある。1キロ四方程度の非常に小さな田舎町なので、まずは全体を一周することにした。
地図で見ると、ウイグル南部は大半がタクラマカン砂漠に覆われており、ところどころ僅かに点在する緑地に、オアシス都市が形成されていた。ケリム県もその一つだった。そのため、砂埃はウルムチよりさらに酷い。駐まっている車両は全体が茶色く染まっており、時折強い風が吹くと煙のように地表から黄砂が舞う。粒子が細かくパウダー状になっているため、空気中に滞留している時間が長いのだ。
そういえば、ホテルの室内も入った時から何かと砂っぽかったので、スタッフに雑巾を借りて水拭きしたほどだ。鼻や口から常に一定量の黄砂が体内に入っているはずだが、地元の人にとってはそれが当たり前なのだろう。新疆人は、砂とともに生きている。
ホテルを出て少し歩き始めただけで、尋常ではない数の警官が配備されていることに、すぐに気がついた。ウルムチよりさらに密度が濃く、数分おきに交番やパトカー、警官たちが目に入ってくる。外を歩いている人々のうち、10人に1人ぐらいは警官の制服を着ているような印象だ。
監視カメラはほぼすべての店舗入り口と電柱に備え付けられていた。町の中心は大きな交差点になっているのだが、横断歩道の四隅に小さな屋根付きテントが設置され、歩行者が通行する際は必ずその下を通って真正面から強力なライトとカメラを向けられる設計になっている。
ウルムチにも設置されていた「110番通報ポイント」の看板は、より目立つ位置に大量に設置されていた。大通りともなると30〜40メートルおきに看板がずらりと並んでいる。交番も密集していて、外に出れば常に警官に見られていると言っても過言ではないほどだ。
日本でも、警官から職務質問を受けると少しドキドキしてしまう人は少なくないだろう。私も運転中にパトカーが真後ろに付く時など、同じような感覚になる。あの何とも言えない威圧感を常に受けていると言えばいいかもしれない。
たとえ悪いことをしていなくても、これほど多くの警官と監視カメラに囲まれて暮らしていると、精神的に追い詰められてくる。頭上のとても低い位置に目に見えない天井があって、それが私の頭を押さえつけてくるようだった。外にいるのに密室に閉じ込められて、どこにも逃げられない。町そのものが巨大な刑務所のようだった。
いったんホテルに戻って「オーストラリア戦略政策研究所(Australian Strategic Policy Institute ASPI)」がネットで公開している「ウイグルデータマップ」を見ると、歩いてすぐのところにモスクがあった。状態は「著しい損傷」とある。
ASPIはオーストラリア政府によって2001年に設立されたシンクタンクで、国内外の政府の意思決定や防衛戦略などの研究を行っている機関だ。2020年には新疆の再教育キャンプや強制労働の問題について調査レポートを発表。日本でもユニクロや無印良品、パナソニックなど日本の大手企業12社が新疆の強制労働から利益を得ている可能性があると指摘され、新疆綿の使用の是非などが議論を呼んだ。ASPIの「ウイグルデータマップ」には”強制収容所”とされる施設や、モスクなどイスラム教に関する施設の位置情報が地図上にマッピングされ、一目でわかるようになっていた。新疆の現状を知る上で、大きな手がかりになりそうだった。
こうした西側のネット情報は中国国内では遮断されているが、VPNと呼ばれる迂回回線を使うことで、中国国内からもアクセスできる。私は中国渡航前に、なるべく強力そうなVPN回線を契約しておいた。費用は1カ月11ドル(約1595円)ほどだった。
モスクを目指して道路を渡ると、人工の小川の流れる再開発地区のような場所に入った。建物はどれも新しく、飲食店やアパレルショップが建ち並んでいる。だが、イスラム教の祝日「クルバン祭」と重なったためか閉じている店舗が多く、活気がない。しばらく歩くと広場に出た。その一角は駐車場になっていて、街路樹の陰に、灰色の門のようなものが建っているのを見つけた。モスクの一部分のようだ。だが、周囲は高い壁に覆われていて、内部がどうなっているのかよく分からない。門の目の前には、ウルムチで見たモスクと同様に明らかに不自然な位置に街路樹が植えられ、視界を遮っていた。
門の高さは7メートルほどあった。遠目からでも独特の異国情緒を感じさせ、目を引いた。門の中央には金属のプレートが掲げられ、こう書かれていた。
「自治区級文物保護単位 ケリヤ県エイティガール・モスク 1999年11月施行」
「全国重点文物保護単位 ケリヤ県エイティガール・モスク 2013年10月施行」
地元自治体と国から、それぞれ重要文化財の指定を受けていることを示していた。少し離れて外観を撮影していると、突然、警備員らしきウイグル人風の小男が現れ、呼び止められた。
「おい! 写真を撮るな! ここは撮影は禁止だ。早く消しなさい」
変に抵抗するのはまずいのでスマホ画面を見せながら写真を削除してやると、警備員は大人しくなった。内心、ホッとした。アイフォーンの写真は削除してもいったんゴミ箱に残るので、すぐに復活できるのだ。適当に詫びの言葉を述べ、急いでその場を離れた。
人通りの少ない木陰に移動し、すぐに写真を復活させた。今後に備えて、ネットのクラウド上にバックアップを取っておいた。あの建物は、何か特別な場所らしい。重要文化財のお寺で写真を撮ったら怒られるなんて、日本ならあり得ない話だ。
どういうことか気になり、もう一度ぐるりと周囲を歩いてみた。2メートルほどの高い壁に覆われていたが、鉄柵になっている部分が一カ所あり、中の様子が少しだけ覗けた。装飾の施された木柱の並んだ伽藍のようなものが目に入ったが、柵が邪魔してよく見えない。目を凝らしていると、すぐにさっきの警備員に呼び止められた。
「おい、お前! こっちに来い!」
言われた通りに向かうと、別の少数民族風の私服の警備員が2人いて、スマホを出すよう求められた。警備員たちは慣れた様子で操作すると、ゴミ箱ボタンをタップして最後に「完全に消去する」を選択した。バックアップを取っておいて良かった。スマホを返されたところで、いくつか質問した。
「ここはモスクなんですか?」
「ええ、そうです。でも、今は修復中でなかを見ることはできません。建てられてから800年も経っているので、非常に老朽化しており危険なんです。このあたりでは何年か前にも地震がありましたからね。住民の安全のために、今は建物を保護しているんです」
「保護? それはいつから始まったんですか?」
「いつだったかなあ。地震はもう7〜8年前にもありましたからねえ」
中国というのは、いつもこうだ。去年か一昨年ぐらいまではある程度確認できるのだが、それ以上過去に遡って正確な日時を確認しようとしても、途端にざっくりとした回答しか得られなくなる。彼らの意識はいつも現在と未来のほうに向いていて、過去のことを細かく順序立てて思い出すのは、性に合わないのかもしれない。
「修復はいつまでかかるんですか? 終わったらまた公開されるんですか?」
「まだ分かりませんね、その時になってみないと」
「モスクがなくなったわけではない?」
「モスクはちゃんとありますよ。今は保護しているんです」
もう一度詫びてから辞去し、彼らが私から視線を外したのを確認してから、通りすがりに鉄柵の間からサッと一枚写真を撮った。拡大してゆっくり見れば、何か分かるかもしれない。直後、背後からの怒鳴り声にと胸を突かれた。
「写真を撮るなと言ったろう! こっちに来い!」
言い訳をしながら彼らのもとに戻ると、撮ったばかりの写真はまたもや完全に消去されてしまった。
◎筆者プロフィール
にしたに・ただす/ライター。1981年、神奈川県生まれ。早稲田大学社会科学部卒。地方紙「新潟日報」記者を経てフリーランスとして活動。2009年に上海に移住、2015年まで現地から中国の現状をレポートした。現在は大分県・別府在住。著書に『ルポ 中国「潜入バイト」日記』 (小学館新書)、『ルポ デジタルチャイナ体験記』(PHPデジタル新書)、『香港少年燃ゆ』(小学館)など。