アンナ・ツィマ「賭け布団」ニホンブンガクシ 日本文学私 #5
誰にも教えたくない、心の中に隠しつづけたい話はどんな人にでもあるだろう。いつかバレたら、と考えるだけで、冷たい汗が出て心がドキドキしはじめる。だから絶対に誰にも言わない。
例えばこのような話。
夫と一緒に日本に来てから2年、私たちは埼玉県朝霞市から都内に引っ越すことを決めた。新しい住まいは、家主が手入れをしない庭に囲まれ、70年代に建てられた木造アパートの一階だった。冬は非常に寒く、畳や壁の隙間から冷たい風が吹き込む。夏は死ぬほど湿気で暑く、ゴキブリはもちろん、さまざまな虫が外のジャングルから忍び込んできていた。それでもコンクリートのマンションから日本風の家に引っ越すことはロマンチックで仕方がなく、私たちのボロ屋の春秋がはじまった。
とはいえ、一つの悩みがあった。それは、2年間ほど使っていた安い布団が薄すぎ、腰が痛くなっていたことである。そのため、私たちはネットで近所の寝具店を調べ、新しい布団を買いに出かけた。
寝具店は歩いて20分ほどの商店街の端にあり、ドアの前にカラフルな枕や座布団等が並べられ、店の中は非常に狭く、寝具が古い店の経営の年月を示すように詰まっていた。レジの奥には、80歳近い、背が低く猫背のお爺さんの店主が座っていた。
「布団を買いたいのですが…」と言うと、店主は立ち上がり、驚くほどのスピードで店を駆け回った。そして笑顔を浮かべながらビニール袋に詰まった寝具を誇らしげに撫でながら、呂律が回らない口調で何かを説明しはじめた。
その頃には、私もある程度日本語の理解力に自信があったが、早口や、強い訛り、もしくはお年寄り(主に男性の方)の日本語が聞き取りづらいことがあった。寝具店の店主の前で、たちまち途方に暮れた。「女性に人気」「気持ちいい」「100パーセント綿」というフレーズが聞き取れたが、話の筋が頭に入らず、全体の意味が把握できなかった。ちらっと夫の顔を見ると、表情はなく、どこまで理解しているのかわからなかった。
私たちがそれまで使っていた布団は、インターネット検索で、写真だけを見て購入していたため、布団に関する用語は勉強不足だった。こちらが何を求めているかをちゃんと説明できなかったこともあり、早口でしゃべっている店主の前で、裸のままで立っているような気持ちが湧き上がってきた。強い劣等感に襲われ、早く寝具店を出たかったが、逃げ道は閉ざされていた。
「わしはもう82歳だよ、もうすぐ死んでしまうんだよ。その後、この可哀そうな布団たちはどうなると思いますか?」
店主はとても親切な人に見えたし、こんな風に自分の商品をアピールしていたので、何も買わずに店を出るわけにはいかなかった。
やがて店主はフワフワしたものを棚から取り出して「こちら」「この季節にピッタリ」「安いし」と、誉め言葉を散らかした後 、「いかがでしょうか」と聞いた。
私はその瞬間、違和感を覚えた。
布団としてはあまりにもフワフワだ、と思った。
心配を口に出してみたが、店主からは「大丈夫ですよ、とても良い物だから」といった返事がきた。さらに「後悔しませんよ」などと言い加え、布団を掌でポンポンと軽く叩き始めた。
私は夫と無言の相談をしてから、勧められた布団を2枚も買ってしまった。そしてかなり重い「100パーセント綿」の「とても良いもの」を5月の陽に照らされながら(車も自転車もなかったから)、苦労して新居まで運んで帰った。
夜になると、新しい布団を畳の上に敷いた。見るだけで、「やばい、しまった」という予感が強まったが、私も夫も失敗を認めたくなかったのか、畳の上に平べったく敷かれたあの「布団的存在」の上に横たわり、15分ほど黙ったまま暗い天井を睨んだ。
以前の布団よりもダメだった。背骨が畳に押しつけられて、痛くて仕方がなかった。
屈辱感のあまり、私は目に涙が浮かんだ。
「悲しい、実に痛切に悲しい。この悲哀は華やかな青春の悲哀でもなく、単に男女の恋の上の悲哀でもなく、人生の最奥に秘んでいるある大きな悲哀だ。行く水の流、咲く花の凋落、この自然の底に蟠れる抵抗すべからざる力に触れては、人間ほど儚い情けないものはない」
「だめだ。掛け布団だ」
「うん」
私たちは「夜着をかけ」ながら、「冷めたい汚れた天鵞絨の襟に顔を埋めて泣いた」。あまりの恥ずかしさで世界から、お互い消えたかった。
同じような体験はだれでもあるのに、その恥ずかしい体験について軽く話すことはできない。
袋の中のウサギ
過ちはどこで発生したのかしら?
外国人向けの日本語教科書を開くと、遅かれ早かれ「布団」という言葉にぶつかる。説明に乏しい教科書の場合は、「A futon is a traditional Japanese style of bedding」(布団とは、日本の伝統的な寝具である)という解説があり、より詳しい場合は、「布団とは日本で広く用いられる寝具のひとつ。畳やベッドの上に敷き、睡眠時に用いる。ベッドと違い収納することができる」と記されている。「敷き布団」と「掛け布団」という言葉の意味も大体説明されている。つまり、私と夫は「敷き布団」と「掛け布団」という言葉を知らなかったわけではない。ただ、寝具店で「布団を買いたい」と言うと、それが掛け布団として解釈されるとは思わなかった。
とにかく「掛け布団」を買ったことが恥ずかしくてたまらなく、私は顔を真っ赤にして掛け布団の上に寝転んだ。日本語が分かっている、という思い込みから、バカのように「はい、はい」と頷き、何を勧められているか分からないまま買ってしまった。チェコでは ”koupit zajíce v pytli“(袋の中のウサギを買う)という慣用句があるのだが、それは「どんな商品を買おうとしているかを確認せずに買ってしまう」ということを意味する。だが、私たちの場合は、ウサギがはっきり目の前にいるのにそれを確かめず、しかも目を閉じたまま買ってしまった。つまりは、現実を直面するより自分のプライドを守りたく、メンツを失くしたくないばかりに運に賭けて「賭け布団」を買ってしまった。
「恥」とは、多くの哲学者や作家が扱ってきた問題だ。それはおおよそ他人に対して抱く感情とされている。しかし、恥ずかしさは、他人にバレないまま真実を内面に潜ませることからも生じうるだろう。結局のところ、それは想像力の問題ではなかろうか。なぜ人は他人の前だけではなく、自分自身の前にも真実を認めたくないだろうか? 私たちは寝具屋ではっきり「分からないよね」「もう少し考えよう」と言えなかった。分からないと認めていれば、こんな酷い失敗をせずに済んだに違いない。
泣き面に蜂というか、屈辱は続いた。夜中の2時に私たちは打ちひしがれた犬のようドン・キホーテに忍び込み、(そのディスカウントストアの名前は私たちの状況をぴったり表現していた)、人影のない店で敷き布団を2枚選び購入した。黙ったまま家に戻ると、「常に用いていた蒲団——萌黄唐草の敷蒲団(…)を引出し」、新しい布団をその上に重ねた。「悲哀と絶望とが忽ち」「胸を襲」った。そこで私たちはお互いに誓った。布団購入失敗事件のことを、死ぬまで絶対に誰にも教えないと。
例え場ゲーム
私たちの情けなさは「現実を認めたくない」気持ちから生まれたのだが、田山花袋の『蒲団』の主人公・竹中時雄の場合はどうだろう。彼は自分の弟子である芳子というハイカラ女性に憧れ、彼女のために色々悩むにつれて、「蒲団」を介して様々な恥ずかしいことをする。「夏の夜景を朧げに眼には見ながら、電信柱に突当って倒れそうにしたり、浅い溝に落ちて膝頭をついたり、職工体の男に、『酔漢奴!しっかり歩け!』と罵られたり」することもあり、酔っ払って「蒲団を着たまま、厠の中に入ろうとし」て、細君に蒲団を引っ張られ、「ふらふらと危く小便をしていたが、それがすむと、突如鞺と厠の中に横に寝てしまった」りした。彼の小説家・知識人・家主としての立場は強く、別に恥ずかしいことをしても特に恥じることはないように見える。竹中時雄にとって、自分がどれほど情けなく見えるかも含めて、そのすべてが楽しい「愛の演劇」のようだ。少なくとも私にはそう見える。時雄は目の前にいる、現実の芳子より、彼自身が想像してきた芳子のイメージ「理想の芳子」「ハイカラの女」を愛しているのではないか、と思わざるを得ない。
どんな作家も「ものを想像する」ことが楽しい。作者の頭の中では、だれもがたまに思い浮かべる「例えばこの友達があの人と付き合い始めたら…」のような発想は必ずここで止まらず、「例えばこの友達はあの人と付き合い始めて、嫉妬に駆られて枕で窒息させ殺したならば…」等のような、友達に申し訳ない極限なレベルまで突き進む。私はそれを『例えば場ゲーム』と呼ぶ。例えば場ゲームをしない作者は、何も書けなくなるだろう。
だが、ある作家の例えば場ゲームは、虚実が混じりすぎるきらいがある。特に愛の場合は、空想の世界を飛びこえ、現実に忍び込む。「僕が弟子は一体どんな人だろうか」「僕が例えばこの弟子を好きになったら…」と竹中時雄が日常を彩るために頭の中で色々なシナリオを想像し、架空のドラマを展開させる。時雄は芳子の「せいで」苦しんでいるように見えるが、実はその苦しみこそは彼の最高の楽しみではないか? それだけではなく、ゲームのプロセスの中で、竹中時雄にとって芳子が本当は何を考えているか、何を感じているかということは、全くどうでもいいことだろう。彼が愛しているのは幻に過ぎず、自分が作り出した「自分の芳子」と「自分の芳子と僕」のヴィジョンに過ぎない。しかし、この芳子のヴィジョンが独自の方法で行動し始めたら、大変なことになる! その時はヴィジョンを迅速に制御下に置く必要がある。
私が竹中時雄にあまり共感できない理由は、ここにあるかもしれない。チェコでは“vidím mu do karet“(彼のカードが見える)という慣用句があるのだが(それは日本語で「手の内がわかる」と訳せる)、まさにその通りだ。一人の作者として、私は竹中時雄のゲームを見抜いた。つまるところ、竹中時雄が心の悩みを誰にも打ち明けられない理由は、その悩みが消えたら最高のプライベートな楽しみを失くしてしまうからだろう。
ウェットな蒲団
『蒲団』は竹中時雄の涙のせいでウェットになっているのだが、必ずセンティメンタルではない。実際にかなりの風刺作品かもしれない。竹中時雄は、ある程度「独立した」女の子像を理想としているのに、同時にそのモデルをどう扱えばいいのかわからない。自分で作り上げたゲームに熱中するうちに、自分で想定したシナリオと現実との間に隔たりが生まれ、その二つのベクトルをコントロールするのが難しくなる。「悩んでいる作家」を演じる竹中時雄はかなり滑稽であり、作家の内面を探る作品としてよりも、当時の知識人を皮肉った視点から描いた作品として読む方が面白い。竹中は自分に対して距離を取ることができなくなり、感傷的でセンチメンタルな作家に見えるかもしれないが、田山花袋自身はどうだったのだろうか。自分の作品から何らかの距離を保つことができたと信じたい。
作家にとって、ゲームがいくら重要でも、ある程度の距離を保たないといけない。そうしないと、自分自身を真剣に捉えすぎてしまい、何も書けなくなってしまう。私も、距離をとれていれば、掛け布団を買わなかったのでしょうね。
ちなみに、私の布団のすぐそばには本棚がある。その本棚に並んでいる本たちのことを、私は毎晩、寝る前に眺めることになる。その色とりどりの本の背表紙の間に田山花袋の『蒲団』もある。日本の詩では「掛詞」という昔ながらのテクニックがあるが、私は「賭け布団」のおかげで、その方法がいかに巧妙であり、またいかに深い意味を持っているかを学んだ。少なくとも「田山花袋―蒲団」と背表紙に書かれた本が視界に入ると、それを必ず「田山―硬い蒲団」と読むようになった。
◎筆者プロフィール
1991年、プラハ生まれ。カレル大学哲学部日本学専攻を卒業後、日本に留学。『シブヤで目覚めて』(Probudím se na Šibuji)で2018年にデビューし、チェコ最大の文学賞であるマグネジア・リテラ新人賞、イジー・オルテン賞、「チェコの本」文学賞を受賞。