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ルポ 読書百景 #3前編 「村上春樹と大江健三郎は実写が浮かぶ」佐木理人さん

 毎日新聞社が週に一度発行する『点字毎日』は、100年余りの歴史を持つ。新聞社が作る日本で唯一の点字新聞だ。毎日新聞のコラムで点字毎日にも転載されている「心の眼」の執筆者である全盲のあやさんは、点字を指で読む「触読校正」を20年近く担当し、現在は記者として視覚障害者と社会をつなぐ取材を続けてきた。毎日新聞の論説委員の一人でもあり、障害者への合理的配慮や視覚障害者の踏切やホームでの事故防止の対策などについての社説を担当している。。

 佐木さんは先天性の緑内障で、中学生のときに目がほとんど見えなくなったという。子供の頃に「見える」から「見えない」という世界の変化を経験した彼は、「本」や「読書」というものにどのように接してきたのだろうか。(取材/文・稲泉連、撮影・黒石あみ)

手元に置くのは点字ディスプレイ 

インクの匂いがする空間が好き

 私の子供の頃の視力は左が0.04、右は光が分かる程度というものでした。だから、幼い頃から、活字を直接読むことはほとんどできませんでしたね。

 ただ、「物語」は大好きで、今でもよく覚えているのは、入院をしていたときに父親が買ってきてくれた「お話でてこい」のカセットテープです。「お話でてこい」は童話やおとぎ噺を俳優さんが朗読するもので、現在もNHKラジオで続いています。確かテープは全部で10巻くらいあって、病室でそれを一つ一つ聞いていたのが、思えば「物語」というものに出会ったきっかけでした。

 それから同じく覚えているのが、小学校4年生の時の担任だった女性の先生が、授業が終わった後の学級会で子供向けの「古事記」を読んでくれたことです。私は弱視教育をしている大阪市立の小学校に通っていたのですが、その先生が読み聞かせてくれる神話の世界を面白く感じ、いつもその時間を楽しみにしていたものです。

 小学校の頃を振り返ると、私の読書量はすごく少ないんですよ。その頃は教科書もルーペを使ったり、目を近づけたりしてやっと見えるという視力でしたから、どうしても「読書」という行為と触れ合えない。当時は耳からの読書という方法も知らなかったので、小学校の6年間で教科書以外に読んだ本は、本当に数えるほどしかありません。

 一方で「本」に対する憧れはありました。当時、私が住んでいた大阪のマンションは地下がショッピングセンターになっていて、そこに書店もあったんです。自分自身は背表紙も見えない視力でしたが、真新しいインクの匂いがするその空間が好きで、ときどき書店に行っていました。「読めない」という寂しさも感じるけれど、紙の本に惹かれる自分も同時にいたんですね。

 私が本を肉眼で読むことができなくなったのは、中学1年生になったときでした。小学校6年生のときはわずかにあった視力が、中学に入るといよいよ失われ、ほぼ字が見えなくなってしまったからです。

 その頃の私が悩んだのは、「見えない」と両親に言えなかったことです。親は緑内障が進行して私が失明することをすごく心配していたので、ちょっとでも見えないような様子を見せると、昔から「見えてないのちゃうの」「視力下がったんちゃうの」と聞かれていました。そう言われるとやはり子供心に「見えない」と言い難くて、視力が下がっていることを何とかごまかしていました。

 そんななか、「やっぱり言わなければならない」と決心したのは、あるとき同い年のと一緒にお店に食事をしに行ったときのことでした。トイレに行きたくなったのですが、私には場所が分かりません。そこで従兄弟が連れて行ってくれたのですが、トイレから出てくると彼が席に戻っていなくなっていたんですね。

私はどこに帰っていいか分からず、うろうろと歩いていたところ、全く違う方向から母親の「あんた、どこ行ってんの」という声が聞こえました。そのとき、理由は分かりませんが、周囲からちょっとした笑い声が起こり、私は何だか自分が笑われたような気持ちになった。そのとき、「これはあかん、親にもちゃんと見えないと言わなあかん」と思ったんです。

「いま」の情報を読むことができる


 佐木さんはバスと電車を乗り継いで小学校に通っていたが、中学生になって視力を失うと、一人では学校に行けなくなった。そこで母親が車の免許を取り、送り迎えをするようになったという。

「中学校の3年間は、『見えない』ということに、とても苦しんだ時期でした。友達の肩を借りないと教室の移動もできないし、一人でトイレにも行けなかった。だから、学校に行くのも嫌になってしまって、母親に引っ張り出されるように登校したこともありました」

 中学生の頃、佐木さんはモニターで本の文字を大きくする「拡大読書器」を使っていたものの、それでは本一冊を読むことはできなかった。そんななか、社会福祉法人・日本ライトハウスに週一で通い、点字を3か月ほどで覚えた。点字を覚えたこの時期から「読書」の世界が広がっていったという。


 点字をそれなりに読めるようになった頃、夢中になったのが星新一さんのショートショートでした。触読がまだ得意でなくても、星新一さんの物語は短くてすぐに読めるし、必ずあっと驚くオチもある。「点字の読書って面白いんだ」と感じたのは、まさしく星新一さんのお陰でした。

 そして、私にとっての読書の世界が格段に広がっていったのは、高校時代に耳からの読書を本格的に始めてからです。視覚障害のある友人たちは、勉強のための教科書の文章を私よりずっと速く点字で読んでいました。さらに普段の読書では、耳で、それも通常の速度ではなく、ラジカセを倍速にして聞いているという。そのうち私も日本点字図書館で借りた本の音訳のカセットテープを、2倍速で聞くようになりました。

 そんな高校時代に熱中したのが村上春樹さんと大江健三郎さんの小説です。

 村上春樹さんの『ノルウェイの森』は、私が再読した数少ない本のうちの一冊です。上京して寮に入って大学生活を送る主人公と、大阪から東京にある筑波大の附属盲学校に入学し、新たな世界で多くの個性的な友人たちと過ごしている自身とを重ねて読みました。また、大江健三郎では『個人的体験』でしょうか。障害者の子供が生まれたという現実から目をそらそうとする主人公の、ある意味での率直さに引かれたのだと思います。

 2人の小説を音訳の本で読んでいると、これは私自身も上手く説明できないのですが、頭の中に実写的な映像が浮かんでくるんですよ。耳からの読書をしているとき、そこに描かれている場面を想像すると、アニメのような絵が頭に浮かぶ小説と、実写のようにありありとシーンが思い浮かべられる小説があります。村上春樹さんと大江健三郎さんの小説は、圧倒的に後者でした。それだけ場面の描写が的確で、細部にわたって描かれているからでしょうか。とにかく、2人の小説を読むと今でもそんな感覚を強く抱き、とても不思議な思いがします。

 また、高校時代に友人たちの間でもすごく流行っていたのが、朝日新聞出版の情報誌「アエラ」です。中身を吹き込んだテープを毎週郵送してもらえる有料のサービスがあって、それをやはり倍速で聞くのが楽しみでした。小説とは違って「アエラ」に書かれているのはニュースですから、「いま」の情報を読むことができる。雑誌を読む面白さというものを、それによって知ったという思いがあります。

 当時、私はそんなふうに点字図書館から音訳のカセットテープを借りていたわけですが、視覚障害者にとっての「読書」の幅を広げたものとしては、やはり1990年代にデジタルオーディオブックの「DAISY図書」(Digital Accessible Information System 視覚障害者や読書障害者にアクセシブルな録音図書を提供するための国際標準規格)が登場したことが大きかったです。

 これまで何本ものテープだったものが1枚のCDに入っていて、目次やページ数を使って頭出しがしやすくなりましたし、本が手軽に持ち運べるようにもなった。

 私が高校生の頃は、例えばテープやCDの本を借りようと思ったら、電話をかけてタイトルを伝え、送られてくるまで待たないといけなかったわけです。音訳にも時間がかかるので、読みたい本を読めないこともありました。今はオンラインのデジタル図書館である「サピエ図書館」を活用すれば、インターネットでいつでも本を入手できる。当時と比べると、読書の環境は飛躍的に変わりましたね。(続く)

「点字の読書って面白いんだ」と感じたのは星新一のおかげ 

さき・あやと/1973年、大阪市生まれ。中学生の時に失明。2005年、毎日新聞社入社。点字毎日部で点字を指で読む触読校正を担当する傍ら、取材・記事を執筆。東日本大震災や熊本地震で被災した視覚障害者や、駅ホームでの視覚障害者の転落事故現場などを取材してきた。コラム「心の眼」担当。

◎筆者プロフィール
いないずみ・れん/1979年、東京都生まれ。早稲田大学第二文学部卒業。2005年に『ぼくもいくさに征くのだけれど 竹内浩三の詩と死』で第36回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。主な著書に『復興の書店』『「本をつくる」という仕事』『アナザー1964』『サーカスの子』など。

撮影 藤岡雅樹

後編は、7月15日の公開を予定しています。
#1 和波孝禧さん「聴く、触る、そして全身で見る」はこちらから。
#2  清水純一さん「19歳で読書と出会い直すまで」はこちらから。