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アンナ・ツィマ「東京塔」ニホンブンガクシ 日本文学私 #4

本連載は、欧州で反響を呼んだ『シブヤで目覚めて』を上梓したチェコ人作家にして、東京在住の日本文学研究者でもあるアンナ・ツィマ氏が、”日本語”で綴ったエッセイです。(#3「迷い姫」はこちらから)

ここは昭和?

 私は東京タワーを一度だけ見物したことがある。それは2010年の7月、初めて来日した頃だった。東京スカイツリーはまだ竣工しておらず、どんなガイドブックにも東京タワーしか載っていなかった。17歳の私は、テレビ放送や高層ビルの建設などに大した関心を持っていなかったが、東京を高いところから展望したいという気持ちはあった。友達がガイドブックで「境を越える〈東京の象徴〉」として紹介されていた東京タワーを見つけだし、一緒に見に行った。

 正直に言えば、大きな期待は抱いていなかった。ガイドブックの写真に写った東京タワーはエッフェル塔を思わせ、ヨーロッパの街に溢れるタワーに似ていると思った。プラハにさえ「ペトシーン展望台」という、1891年に建てられたエッフェル塔の模型を思わせる塔がある。

 実際、東京タワーを初めて目にしても特に深い印象を受けなかった。どうしてこの建物が〈東京の象徴〉になったのか、理解できなかった。東京は日本の首都なのに、東京タワーにはどこにも〈日本っぽさ〉を感じなかった。
私にとって、浅草せんそうの五重塔のほうが〈日本っぽさ〉を感じた(言うまでもなく、その見方は非常に不勉強で浅く、オリエンタリズム的だった。五重塔だって1973年に再建された、鉄骨・鉄筋コンクリート造りの塔である)。

 初めて来日する外国人の多くは、日本で西洋的なものなど見たくない傾向にあるかもしれない。例えば、1885年に来日したフランス人の作家であるピエール・ロティは『秋の日本』で、江戸に着くと「ここでまたびっくりする。わたしたちはロンドンか、メルボルンか、それともニューヨークにでも到着したのだろうか?」と書き、鹿鳴館を「ヨーロッパ風の建築で、出来立てで、真っ白で、真新しくて、いやはや、われわれの国のどこかの温泉町の娯楽場《カジノ》に似ている。だから実際のところ、ここはなにもエドとは限らず、どこでもいいのだと思いかねないが」と少しがっかりしたように書く。

 私たちが東京タワーを見に行ったのは、たしか土曜日だった。東京タワーの辺りは賑やかで、デートに出掛けた恋人や夫婦が多かった。クレープを売る屋台の前には、蛇のように長い列ができていた。いかにも“祝日”を感じさせる雰囲気に、当時うまく名前をつけることができなかった。改めて振り返ってみると、その風景に“昭和っぽさ”を読み取りたくなる(ただし、山田太一の『異人たちとの夏』を後に読んで、映画も観たので、私の記憶はその懐かしい昭和のイマージュに強く影響された可能性がとても高い)。

 私たちは入場料を支払い、エレベーターで最上階まで昇った 。午後6時ごろだったので、しばらく待つと夕日が沈みはじめた。観光客の顔が赤く染まり、子供たちが興奮してキャンキャンと叫びながら東京タワーの最上階を走っていた。マジックアワーが訪れ、あっという間に夜が来た。街のはっきりした輪郭が陰に溶けてしまい、地面に不思議なパターンを描きだす光の点と線が現れた。街灯、ビルの廊下を照らす明かり、走っている車のライト。星空が頭上から足元に移動し、この世界と別の世界の境界が消えたかのようだった。

「ロク・メイカンがそびえている」

 私たちは現実から遠く離れた、架空の世界に入り、高い空を漂っていた。同じ奇妙な感覚にとらわれたのは私と友達だけではなく、東京タワーの最上階にいたほとんどの人は足を止め、畏敬の念を抱きながら目を輝かせて足元の世界を眺めていた。

 しばらくして私たちはエレベーターに乗り、現実の世界に戻ろうとしたが、ボタンが複雑すぎたので、思いがけない階でエレベーターから降りることになった。背後でエレベーターのドアが閉まる中、私たちは愕然がくぜんとした。ピエール・ロティが書いたように、「わたしたちの前には、煌々こうこうたるロク・メイカンがそびえている」ようだった。

 目の前には、美しい人ばかりがいた。女性たちは長い夜会服に高価な宝飾品を身につけ、豪華な髪型をしていた。男性たちは皆タキシードを着用し、ウェイターたちは銀のトレイでシャンパンを運び、ピアノの横には緑の輝くドレスを着た美しい歌姫が立ってオペラのアリアを歌っている。

 一方で私たちは綺麗なドレスどころか、タンクトップにショートパンツを穿き、スニーカーを履いて、リュックを背負っており、森から出てきた浮浪者に見えたにちがいない。宝石店のショーケースの中に道端で拾った二つの石ころがあるかのように、周りの雰囲気に馴染むことができず、それを壊していた。

 ピエール・ロティは鹿鳴館の舞踏会に誘われて、そこで受けた印象をかなり皮肉的でネガティブな風に描写している。男性たちについて「ちと金ぴかでありすぎる、ちとあくどく飾りすぎている。この盛装した無数の日本人の紳士や大臣や提督やどこかの官公使たちは。彼らはどことなく、かつて評判の高かったブーム某将軍を思い出させる」と書き、女性については「ああ! それからこの女たち!・・・・・・腰掛の上にひっついている若い娘たちにしろ、壁に沿うて掛布のように整列した母親たちにしろ、仔細に見ると、みんな多少とも驚くべき連中である。彼女たちにはなにかしっくりとしないところがあるのだろうか? 捜しても、それはうまく定義できない。(スカートを広げるための)わがねがたぶんよけいだったり、あるいは不充分だったり、付け方が高すぎたり、低すぎたり、曲線をつけるべきコルセットが知られていなかったりするせいだろう」(括弧内筆者)と書く。鹿鳴館でのイベントを上から見下ろすようなやや嘲笑的な、ヨーロッパ人の風刺的で(かなり差別的で)高慢な視点で描いているといえるだろう。

 2010年の東京タワーで催された美しいイベントにふさわしくないのは、私たちだけだった。人々の嘲笑と非難の視線を集めていた。教会で汚い言葉を大声で叫んだかのような罪悪感に胸を締め、早くエレベーターの方に逃げようとしたが、ボタンを何度か押しても、キャビンは別の階に止まっているのか、助けに来ない。いたたまれなくなり、階段を必死に探し始めた。

 不思議な国のアリスの私たちは、美しい人々の間を抜け、高級なドレスや香水の迷路ですぐ迷子になった。涙が出るほど恥ずかしかった。しかしいくら出口を探しても、ぐるぐる歩き回り、ブニュエルの映画の中にいるような気分だった。これからもう二度と現実の世界に戻らないかもしれない、と思いはじめた頃、やっとウェイトレスが私たちを救い、階段まで案内してくれた。そして地面に降りてから、もう東京タワーに近付かなかった。もう一度上に昇れば、二度と下に戻れないかもしれないという不安がまだ拭いきれない。東京タワーの尖端が空や宇宙と触れていることで、複数の異なる世界や次元をつないでいるかもしれません。

 いずれにせよ、あのエリアは間違いなく不思議な力を発揮している。やはり〈東京の象徴〉なのかもしれない。

孤独は魔法を生む

 夏目漱石もロンドンで同じような経験を味わったのだろう。牢獄として長く使われていた、暗い歴史に包まれている倫敦ロンドン塔(まさにそっちもタワーじゃないか)を見物したとき、建物の存在感に圧倒され、実際に生きていない多くの人々に出会い、それらについて短編を書いた。そう信じたい。会わなかったにしても、少なくともロンドン塔は漱石の想像力を刺激したことは間違いないだろう。

 漱石はイギリスに一人出かけ、異文化や言語の壁、孤独感に悩まされたという事実は誰でも知っている。周囲のイギリス人にとって漱石はあくまでも「外の人」であり、彼自身もまた自分を「外の人」と思い込み、自閉的傾向が強かった。そのときロンドン塔を現物し、孤独感や疎外感が爆発したため、「倫敦塔」の中では、牢獄のモティーフが強調されている。

 しかし、異国で傍観者となり自分の内部に引きこもるのは、悪いことばかりではない。なぜならば、そのときこそ想像力を発揮し、世界を別の目で見始めるからだ。現実は想像力と融合し、しばしばまったく新しい、魔法のような世界が生まれる。

 考えてみると、漱石は日本を舞台にした、幻想と現実が入り混じる作品を(『夢十夜』を別にして)ほとんど残していない。しかし、イギリスが舞台の小説になると、幻想と現実が絡み合い始める。つまり、異国の要素こそが漱石をファンタジーの世界に導くかもしれない。あるいは、「不思議の国」の体験には非現実的な語りでしか捉えられない何かがあるのだろう。

 私の場合も、ファンタジーと現実が絡み合うのは舞台が日本の作品だ。興味深いことに漱石の『倫敦塔』と同じように「牢獄」、つまり「閉じ込められた」人のモティーフを描き出す傾向が私にもあったと気づく。

 面白いパラドックスではないか。ある作家が異国で多少の疎外感や自閉感に悩むからこそ、想像力を最大限に広げられる。適度な「自閉感」は「自由」を生み出す。同じコインの表裏のように。

「しまった!」「逃げよう!」

 漱石の経験にもう少し触れると、彼は『倫敦塔』でビーフィーターという、ロンドン塔の番人に出会い、「そのビーフ・イーターの一人が余の後ろに止まった。(中略)『あなたは日本人ではありませんか』と微笑しながら尋ねる。余は現今の英国人と話しをしている気がしない。彼が三、四百年の昔からちょっと顔を出したかまたは余が急に三、四百年のいにしえをのぞいたような感じがする」という錯覚を語る。

 私も、こんな錯覚に陥ったことがある。

 2年前、夫と名古屋城を見に行ったときのことだ。名古屋城自体がちょうど修復中だったので天守閣には入れず、私たちはお城の敷地にある公園をゆっくり散歩しながら、戦国時代と江戸時代について話していた。すると、突然後ろから太鼓の音と男性の叫び声が聞こえてきた。振り向くと、頭にかぶとを被り、身にはよろいまとい、手に旗を持った3人の男がじゃの道を早足で歩き、私の方に向かってくる。何を叫んでいる? 遠かったので、よく聞き取れなかったが、あの武士たちを見た瞬間、私は生麦なまむぎ事件などバカな連想を頭に浮かべながら「しまった!」と思った。
「逃げよう!」
 江戸時代だって、鎖国政策の下で外国人が城の周りに歩いたら、捕まって投獄されたか、殺されたか、とにかく悲惨な目に遭った。

 武士に仮装した男たちを見た私の想像力は、一秒で三百年間を遡り、自分と夫を救いたくなった。すぐさま現実に戻り、夫の顔を見たが、彼の表情も妙な不安に満ちていた。彼も私と同様に歴史の錯覚に完全に落ち込み、一瞬殺されるかと思ったらしい。

 結局私たちは他の観光客と共に、道路脇で男たちが通り過ぎるのを待った。私たちを囲む子供は興奮した顔で武士を指さし、大人は「すごいなー」「カッコイイね!」「Look, George!  Samurai!」等と言ったり、ビデオや写真を撮ったりしていた。周囲の日本人も外国人も、何も不安を感じていない。逆に目が楽しげに輝いている。3人の男が実際に「間もなく庭園でパフォーマンスが始まります!」と叫んでいたので、ほとんどの見物人は仮装した武士について行った。
「見に行く?」私は夫に聞いてみた。
「僕は別に・・・・・・」
 結局私たちは、城の石垣の方を見に行った。石を見る方が安全に思えたからだ。

 以上、東京タワーと名古屋城での出来事を大袈裟に書いてしまったが、こうして私はたまに想像力を働かせすぎるせいで、奇妙なファンタジーの囚人となる。空想は知識不足から生まれる場合もある一方、知識があるがゆえに生まれる場合もある。どちらの場合にしても、時々架空の世界に捉われる。私だけでなく、漱石も含めて他の作家や芸術家も同じだろう。幸いなことに。

引用:ピエール ロチ、村上 菊一郎・吉氷清 訳『秋の日本』(グーテンベルク21)

◎筆者プロフィール
1991年、プラハ生まれ。カレル大学哲学部日本学専攻を卒業後、日本に留学。『シブヤで目覚めて』(Probudím se na Šibuji)で2018年にデビューし、チェコ最大の文学賞であるマグネジア・リテラ新人賞、イジー・オルテン賞、「チェコの本」文学賞を受賞。