
水谷竹秀「父親は遺体を棺から出そうとした」 叫び リンちゃん殺害事件の遺族を追って #5
千葉県松戸市に住む小学3年生のレェ・ティ・ニャット・リンちゃん(当時9歳)が遺体となって発見されたのは、2017年3月26日のことです。それから7年。本連載では、東南アジア地域の在留邦人や在日外国人の問題、そして事件や事故の被害者遺族に取材を重ねてきた水谷竹秀氏が、父親レエ・アイン・ハオ氏の事件後の葛藤と闘いを同時進行的にレポートします。
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司会を務めるはずだったリンちゃん
その時の光景を、こんなふうに語ってくれる人がいた。
「霊安室でハオさんは泣き叫び、暴れているような感じでした。自分の娘が殺されたら誰だっておかしくなりますよ。そこはベトナム人でも日本人でも同じでしょう。リンちゃんの遺体を棺から出そうとして警察官に止められていましたね」
埼玉県にある葬儀社の代表取締役、F氏である。事件発生から2年以上が経過した夏の日、私は日本で亡くなったベトナム人技能実習生の取材で同社を訪れた。その際、F氏の口からリンちゃんの話が出て驚いたのだ。まさか、リンちゃんの遺体と対面しているとは思ってもみなかったからである。
同社は日本人を対象にした葬儀だけでなく、ベトナム人など外国人が亡くなった際にも遺体に防腐処置(エンバーミング)を施し、母国へ空輸する国際搬送業務も手掛けている。リンちゃんの殺害事件が発生した時は、日本で活動するベトナム人の尼僧、ティック・タム・チーさんからその一報が入り、F氏はリンちゃんの遺体が安置されている千葉県松戸東署に駆けつけたという。
あの日、リンちゃんは登校してこなかった。松戸市立六実第二小学校で、修了式が行われた2017年3月24日のことだ。
朝の会が始まる午前8時20分になっても、1人だけ教室にいない。
「リンちゃんはしばらく遅刻がなかったので、珍しいなってまず思いました。以前、学校の行事がある日にすっかり忘れていたことがあったのですが、さすがに今日は来て欲しいと思いました。通知表も渡さないといけなかったので」
担任教師はそう振り返る。
朝の会が終わると、体育館ですぐに修了式が始まる予定だった。児童たちを教室に残して父親のハオさんに電話を掛けるべきか。状況から判断して、まずは児童たちを体育館へ移動させた。到着すると、体育館には校長がいた。
「クラスの児童がまだ1人来ていませんので電話を掛けてきてもいいですか?」
校長の了解を得た上で職員室へ向かい、ハオさんの携帯に電話を掛けた。しかし、呼び出し音が鳴るだけで応答はない。着信は残したので気付いてくれるかもしれない。職員室を出て階段を降りると、事務員に出くわした。
「ハオさんから電話が掛かってきましたよ」
そう告げられ、職員室へ戻った。教師たちは皆、体育館に集まっているため、がらんと静まり返った職員室には担任教師しかいなかった。電話を掛け直すと、ハオさんが出た。
「リンちゃんまだ来ていないんですけど。もう家を出ていますか?」
「もう出てますよ」
「何時頃出られましたか?」
「たぶん8時ぐらいに出ています」
「もう30分経っていますね。もう少し待ってみますが、何かあったら連絡します」
修了式で他の先生が体育館にいるため、自分のクラスの児童も見てくれるだろう。そう思って校長に了解を取り、リンちゃんの自宅へ向かうことにした。
ちょうど数日前、母グエンさんと弟トゥー君はベトナムに帰省し、自宅にはハオさんとリンちゃんの2人しかいなかった。
学校からリンちゃんの家までは距離にして約800メートル、徒歩10分だ。学校を出る前、リンちゃんが入れ違いで来る可能性を考え、「リンちゃんへ 学校に着いたら体育館に来てね」というメモ書きを机の上に残した。
道すがら会うかもしれない。もしかしたら家の中にいるかもしれない。そんな期待を抱きながら歩いた。「住居確認」のために初めて訪問した時と同じく、またしても道に迷った。路上で近所に住む年配の女性に遭遇した。
「リンちゃんの家はどこでしたっけ? 実はまだ学校に来ていないんです」
「それは心配だね」
年配の女性がリンちゃんの家へ連れて行ってくれた。しかし、ブザーを押しても誰も出てこない。雨戸も閉まっていて、中に人の気配がしなかった。
来た道とは別のルートを通って学校へ戻った。到着すると、修了式がちょうど終わった頃で、体育館から出てきた児童たちが、渡り廊下を通って教室へと歩いていく姿が見えた。
教室では通知表も渡さないといけないため、リンちゃんのことはとりあえず校長や事務員に任せた。校長からも「クラスの児童たちをよろしく」と指示され、自分のクラスに専念することにした。教室に戻ると、メモ書きは机の上に置かれたままだったので回収し、心配する児童たちにも声を掛けた。
「先生たちが連絡を取っているから、あとは先生に任せれば大丈夫だよ」
通知表を渡し終えると、その日は女子から男子へのサプライズが用意されていた。ひな祭りの日に男子から受けたサプライズへのお礼として、女子が男子に手紙を渡す予定だったのだ。だがクラスの人数は11対12で女子がひとり多く、人数が合わない。そこで日本語で手紙を書くのはまだ難しいリンちゃんには、司会を任せることになった。ところがその肝心のリンちゃんがいない。急きょ予定を変更し、担任教師が代わりに司会を務めた。
サプライズ終了後は、フルーツバスケットやクイズなどのレクリエーションの時間に充てられた。リンちゃんは結局、来なかった。児童たちの間で、さすがにおかしいのではという雰囲気が漂い始めたが、皆、午前11時半ごろ下校した。
昼近くに職員たちが職員室に集まった。リンちゃんの顔が分からない職員もいるので、写真をプリントして渡した。A4サイズで、正面と横顔の2枚。それを手に手分けして捜すことになった。担任教師、校長、副校長、3年生の学年主任、事務員の5人は、連絡受け入れ要員として、職員室に待機した。
残りの職員は全員、学校を後にした。

同級生の家族総出で捜索
学校の教師陣とは別に、ハオさんとの個人的な関係から、家族総出でリンちゃんの行方を捜していたのが、連載第4回に登場した渡辺広さんだ。長男の呂武さんが小学2年生の時、リンちゃんが同じクラスに転校してきたのが交流のきっかけだった。
「ベトナム人の女の子が転校してきたっていう話を聞きまして。その時は、ハオの家の近くに住んでいたので、担任の先生から、家が近くだから面倒見てあげてね、という感じで、うちの息子と交流が始まりました。そのうちに家に遊びに来るようになったんです。リンは、ハオよりも日本語ができる。ただ、間違ったら嫌だと思って話さないような、シャイなところがありました。おとなしい性格ですが、子どもたちとキャーキャー遊ぶこともあります」
リンちゃんとの出会いについて広さんはそう語る。
2年生の3月、グエンさんとトゥー君がベトナムに一時帰省した。ハオさんは仕事で帰宅が遅くなるため、リンちゃんが独りぼっちになるのを心配した広さんが、ハオさんが帰宅するまでリンちゃんを家で預かることになった。以来、毎日学校が終わると呂武さんとリンちゃんが帰宅し、宿題を一緒に済ませた。ハオさんは夜10時〜11時にならないと戻らないため、夕食、そして入浴も渡辺さん宅で面倒をみた。
「リンにとっても、日本食の家庭料理は初めてだったんじゃないかな。特に味噌汁がおいしいってよく食べていたな。学校の給食でも日本食は出るけど、やっぱり家庭料理は違うじゃないですか」
新学年が始まった4月、広さんは呂武さんたちと一緒に近くの桜祭りに出掛け、ハオさんとリンちゃんも誘った。その時に初めて、ハオさんと酒を飲んだ。
「話の中でハオに、日本人の友達いる? って聞いたら、いませんって答えたんです。ハオはおとなしいタイプの性格だから、仕事の付き合いでも何でもいいから、日本人の友達をもっと作ったほうがいいよと言ったんです。ただ仕事に行って帰ってきてっていう生活だと面白くない。せっかく日本に滞在しているんだから、日本人の友達を作ると楽しくなるよって。でも、日本に住む外国人が抱える共通の悩みだろうなあとも思いました」
広さんの娘が、グエンさん、リンちゃんと一緒に買い物に行く時もあった。そうした家族ぐるみの付き合いが続く中、広さんが呂武さんとリンちゃんを車に乗せ、幕張の海沿いまで走った時に取った行動を、広さんは今も悔やんでいる。それは3年生の夏前だった。
「日本に来て海にあんまり行ったことないって言うから、じゃあ行こうと。その車中でリンがあまりに騒ぐので怒ったんです。だってリンはずっと僕の家にいたでしょ? そうすると僕の中でもリンがよその子っていう感覚じゃなくなってくるんだよね。だからダメなことをすると怒る。でも今となってはもっと言い方があっただろうと、後悔しています」
リンちゃんが行方不明になった修了式の日の朝は、リフォームの仕事で都内の現場にいた。ハオさんから連絡を受けた妻からの電話で、そのことを知った。
状況を察してすぐに現場を引き揚げ、家族で手分けして捜しに行った。妻と娘たちが自転車で、広さんは原付で公園やリンちゃんがいそうな場所を回った。
「まあリンがいるとしたら公園とかだろうねっていう考えでした。どっかに1人で遊びに行くっていうタイプじゃないし。何か嫌なことがあって近くの公園に1人でいるのかなって想像しました。まだ小学3年生だし、それほど行動範囲が広いわけじゃない」
リンちゃんが見つからないまま、時間だけが流れた。
妻がハオさんを交番まで迎えに行き、ハオさんの家へ送り届けた時には、複数の警察官の姿が見えた。夕暮れ時になると、不安が一層強まった。自宅に戻っても落ち着かない。午後9時頃になって今度は妻と2人で、懐中電灯を手に学校までの道のりや草むらなどを捜し歩いた。
翌日も捜索活動は続いた。ハオさんの家にも何度か足を運んだが、ハオさんはずっと外出できないような状態だったので、コンビニで買った弁当や飲み物を差し入れした。警察官も複数待機していたので、長居できず、会話すらもままならなかった。

リンちゃんと握手できなかった
リンちゃんの行方がわからなくなってから2日後の3月26日夜、担任教師の携帯電話が鳴った。その日も学校で待機していたが、夕方には帰宅していた。電話の相手は校長だった。
「我孫子でリンちゃんらしき子の遺体が見つかったから、今向かっているところだ。お父さんも一緒だ。確認ができたらまた連絡する」
我孫子市で女児の遺体が発見されたというニュースはすでに報道されていた。現場は学校からは離れていたので、まさかとは思っていた。そして校長から二度目の電話が鳴った。
「確認できたよ。リンちゃんだった……」
担任教師が当時の驚愕を思い出したような表情で回想する。
「その一報を聞いて全く信じられませんでした。リンちゃんは誰かにひょいひょいついて行くような子ではないんです。私は彼女に積極性を感じていなかったので、そんなに簡単に行ってしまうかなと……。だから自らついて行ったのか、連れ去られてしまったのかのいずれかで考えると、後者ではないかなと思っていました。でも、もはやそれも信じられないというか……」
一方の広さんはその日、朝から台東区の体育館へ行き、柔術の大会に出場する呂武さんの試合を観戦していた。その最中、長女から電話の着信が入り、我孫子市で女児の遺体が発見されたというニュースを知った。広さん自身も柔術の指導を子どもたちに行う予定だったが、集まっていた保護者に事情を説明し、早退した。車で移動中、テレビで遺体発見の報道が流れていた。その間も長女と携帯電話でやり取りをし、ハオさんの家に行くよう頼んだ。しかし、ハオさんはいなかった。広さんも自宅に戻り、ハオさんの携帯電話に掛けたが、つながらない。夜になって身元が判明し、ハオさんとも連絡が取れた。
「大丈夫?」
そう声を掛けるのが精一杯だった。
「警察にいます」というハオさんに、「そっちに行こうか?」と案じたが、状況を察するに入り込めそうになかった。
しばらくしてまた電話がつながった。ハオさんは家に戻っていたので、広さんはひとりでハオさんの家へ向かった。グエンさん、トゥー君はベトナムに帰省中のため、家にはハオさんと複数の警察官しかいなかった。
「ハオとしゃべっている時も警官は常に横にいるから、それほど長い時間はいれなかったです。話すこともほぼなくて。ハオはもう、言葉も出ない感じだったかな。何もできなくてごめんねってハグしたぐらいしか覚えていないです。会話という会話はありませんでした」
我孫子市北新田の排水路脇で同日午前6時45分ごろに発見されたリンちゃんの遺体は、全裸状態だった。首には絞められたような痕があった。第一発見者は釣りに来た男性。この日は朝から厳しい寒さが続き、午前中の気温は5〜7度だった。ハオさんは同日午後2時半ごろ、千葉県警我孫子署の霊安室でリンちゃんの変わり果てた姿と対面した。その時に起きた“異変”については、連載第1回のプロローグに記したが、取材を始めてまだ間もなかった私には、こう語っていた。
「リンちゃんと握手できなかった。たぶん指紋とか、鑑定もあるから。それ以上は話したくないです」
霊安室にいたのはハオさん、ベトナム語通訳者、警察官数人など。恐らく、ハオさんはリンちゃんと握手をしようとしたが、警官に制されたのだろう。リンちゃんの遺体はその後、松戸東警察署の霊安室へ移送され、ハオさんはそこでも再び対面した。ベトナムから急きょ帰国した妻のグエンさん、弟のトゥー君も加わった。
その場でお経をあげたベトナム人尼僧のティック・タム・チーさんは私の取材に対し、この時の様子を教えてくれた。
「最初の30分ぐらいお経をあげ、残り30分、ハオさんたちはリンちゃんと会話しているようでした。『リンちゃん起き上がって!』『なぜ(こんなことに)?』『痛いでしょ?』って。リンちゃんの遺体も見ましたが、詳しくは言いたくありません」
リンちゃんの遺体はこの後、埼玉県にある葬儀社のエンバーミングセンターへ搬送された。代表取締役のF氏が説明する。
「エンバーミングは通常、2人体制でやります。当時、弊社には男性と女性の担当者が1人ずついました。でもああいう事件なので、男性にはやらせたくなくて、女性のエンバーマー1人にやってもらいました」
ハオさんからは、死亡診断書を見せて欲しいという依頼もあったという。しかし、Fさんは渋った。
「死亡診断書には何をされたのかが詳しく書かれている。それは見せたくなかった。同じ親として子供が何をされたのかが分かれば、当然、怒りじゃすまなくなるから。それに守秘義務もあるからいくら家族でも見せられませんと。エンバーミングを担当した女性に会わせてくれとも頼まれましたが、それも断りました」
大勢が駆けつけたリンちゃんの葬儀は雨の中で行われた。
リンちゃんと特に仲が良かった呂武さんは、私の取材に「顔を見た瞬間、めっちゃ泣いた。もうリンじゃないみたい」と語ったが、残された児童たちの学校生活は、表面上はまた元に戻った。
春休みを終え、4年生になった彼らの教室は、ぽっかりと穴がひとつ開いたような状態だった。
◎筆者プロフィール

みずたに・たけひで/1975年、三重県生まれ。上智大学外国語学部卒業。新聞記者やカメラマンを経てフリーに。2004〜2017年にフィリピンを拠点に活動し、現在は東京。2011年『日本を捨てた男たち』で開高健ノンフィクション賞を受賞。ほかに『だから、居場所が欲しかった。』『ルポ 国際ロマンス詐欺』など。