西谷格 「人狼か、ブラックジャックか」一九八四+四〇 ウイグル潜入記 #3
ガラガラのモスク
ウイグル人はイスラム教徒なので、モスクに行ったら話が聞けるのではないかと考えた。だが、現地の地図アプリでモスクを検索しても、ウルムチ市全体で3〜4カ所しかヒットせず、しかも「一般公開はしていません」とある。
2014年に旅行で訪れた際は、街のあちこちにモスクがあり自由に出入りや見学ができたのを覚えている。その時は、レストランで隣に座ったウイグル人男性に誘われて、一緒にモスクでお祈りまでさせてもらったのだ。厳粛な雰囲気に緊張したものの、何十人もの人々と一緒に同じ動作を繰り返すのは、独特の心地良さがあった。スポーツ観戦で一斉にウェーブをしているような、集団のなかに自分が溶け込んでいく感覚だ。イスラム教というと敷居が高くて余所者を受け入れないような先入観があったのだが、日本のお寺と大差ないオープンな雰囲気だったことに驚いた(宗派や地域による違いはあるかもしれないが)。
ホテル近くの「汗騰格里清真寺(ハンテングリ・モスク)」に行くと、建物全体が街路樹で覆われており、ひっそりとした陰気な雰囲気が漂っていた。モスクの周囲だけでなく正面まで鬱蒼としているため、建物の外観がほとんど見えないのだ。人の気配はまったくなく、閑散としている。鉄格子の門は閉ざされ、敷地内には中国国旗が一番高いところに掲げられていた。建物は壮麗で美しく、門の上に祈りの時間を案内する電光掲示板があった。
いったんホテルに戻って祈りの時間に合わせて再び行くと、敷地の脇に設けられた小屋のような場所からパラパラと人が入り始めていた。私も一緒に入ると、小屋のなかには手荷物検査所と顔認証ゲートが設置されており、「ここは外国人は入れません」とウイグル人男性に入場を断られてしまった。
「この道路をずっと行ったところに別のモスクがある。そこなら外国人も入れるはずです」
言われたとおり行ってみたものの、別のモスクでもやはり外国人を理由に入場を断られてしまった。不可解だったのは、入り口にいたウイグル人男性が会話中、「外国人でも入れる」と繰り返していたことだ。
「モスクは誰でも入れます。外国人でも入れます。政府の許可があれば、入れます」
「ということは、政府の許可がないと入れないんですよね?」
念押しで何度も問いただしても「いや、政府の許可があれば入れるんです」という具合に最後は必ず「可以進去(入れます)」という言葉を繰り返された。私は一歩もモスクに入ることなどできていないのに。
欧米社会はしばしば、中国共産党の一党支配をディストピア小説『一九八四』になぞらえて捉えようとする。第二次世界大戦直後のイギリスで書かれた同書は、西側の人々が独裁国家について語る際の雛形となっており、非常に深い示唆を与える一方、そのフレームに頼りすぎるのは安直なステレオタイプに陥る危険性を孕んでいる。それでも、新疆の街で起きていることを観察していると、『一九八四』のなかの出来事がどうしてもオーバーラップしてしまうことが少なくなかった。
戦争状態を「平和」と形容したり、飢餓状態を「満腹」と呼んだりするような、現実とは真逆の説明をされても、それを強引に受け入れ納得してしまうという思考法が、新疆には存在するのかもしれない。
さらに別のモスクに行くと、そこではパスポートの身分証部分の写真を撮られた後にようやく門をくぐることができた。今度こそ本当に外国人でも入れるモスクであり、パキスタン人やカザフスタン人などもここに来るという。写真を撮影したスタッフは、その画像をチャットグループに送信し、リーダーに報告をしているようだった。背負っていた荷物は入り口のロッカーに預けるよう指示され、駅の改札口のようなゲートを通って敷地内へ入った。
建物は石造りで完全なシンメトリーが表現されており、細部にまで精緻な装飾が施されている。エキゾチックな風格に思わず陶然とするが、建物中央のもっとも目立つ位置にはステンレス製のポールが聳え、中国国旗が風に吹かれていた。
礼拝堂入り口の下足場では、スニーカーが向きを揃えて整然と並んでいた。中国社会ではあまり見られないことだが、神の前にいるという厳粛さが、自然とそうさせるのだろう。ゴミ一つ落ちておらず、日本の神社やお寺の境内のような清潔感があった。
堂内は教室3つ分ほどの広さがあり、すでに20〜30人のウイグル人たちが肩を並べて正座していた。もう少し間をあけて座ればいいのにと思ったが、肩と肩が触れ合うぐらいにぴったりと並ぶ習慣があるようだ。壁際には書見台付きの肘掛け椅子も並んでいて、高齢の礼拝者たちが腰掛けていた。お年寄りのなかには分厚い経典を読んでいる人もいる。チラリと覗いてみたが、アラビア文字のようなものが羅列され、何が書いてあるのかさっぱり分からない。
私も前方の列に加わり様子を見ていると、背後から歌うような調子のウイグル語が聞こえてきた(アラビア語だったかもしれない)。祈りが始まったようだ。周囲の人々は背後の声に合わせて何度も立ち上がったりしゃがみ込んだり、時には口元で小さく言葉を発したりしながら、熱心に祈りを捧げていた。私も周囲の真似をしながら、自分なりにお祈りをした。心地よい抑揚の付いたウイグル語の音頭は、時折低く呻くような声で「アッラーフ、アクバール」と唱えた。天井の高いドームのなかでは、その声が幾重にもエコーして荘厳だった。
祈りの時間は10分足らずで終わり、続いて高僧と思しき30代ぐらいの男性が人々の前に座って何かを手短に語った。説法でもしているのだろう。やがて解散となり、ほんの10分少々で人々は帰り支度を始めた。周囲の様子を観察しながら、しばらく祈りの真似事をしてその場に佇んでいると、先ほどの高僧から軽く肩を叩かれ、腕時計を指差し早く出ろと促された。滞在できる時間が決められているようだ。
靴を履いてゲートを出ると、ここでも手首をつかまれ腕時計の時刻をチェックされた。時間制限を強調するような仕草だった。イスラム教徒としての最低限の行為は許されているようだが、香港や日本で過去に訪れたモスクに比べると、非常に窮屈に感じられた。
街中を歩く人々は、漢民族と少数民族が目算でざっと半々か、少数民族のほうがやや多いぐらいだった。それでも建物の看板やスマホ画面など、日常生活で使う文字のほとんどは中国語だ。ホテルやレストラン、コンビニの店員さんは「これください」「いくらですか?」など簡単な中国語は通じるものの、少しでもイレギュラーなことを聞こうとすると、通じない人が大半を占めた。もっとも、外国人との会話を避けるため、敢えて分からないフリをする人もいたのかもしれないが。
安宿の男性スタッフに教えてもらったウイグル語「ヤクシムスィース(こんにちは)」の効果は覿面だった。たとえば、露店で果物を買う際に「你好」と言っても表情は何一つ変わらないのに、「ヤクシムスイース」と声をかけると店主の男性は急に居住まいを正し、畏まったように左手を胸に当てながら右手で握手を求めてくるのだ。表情もとても晴れやかで嬉しそうにする。相手に対して敵意がないことを示す、特別な響きがあるようなのだ。だが、さらに中国語で会話を続けようとしても、やはりほとんど通じることはなかった。思い過ごしかもしれないが、単に通じないというより、何やら警戒の色を浮かべるのだ。
ある時は、若者なら中国語を話せるだろうと思い、バイク店の店内で談笑していた20代後半ぐらいの男性たちに声をかけた。ちょうど電動バイクのレンタルがないか、探していたのだ。話しかけると中国語は比較的流暢だった。だが、レンタルはこの街にはないと告げた後は、雑談にはほとんど応じてくれえなかった。中国人が相手だと、出身地や職業、婚歴、家族構成、滞在先など多岐にわたってあれこれ聞いてきて会話が止まらなくなることも多い。ウイグル人が素っ気ない態度ばかりであることに、強烈な違和感を抱いた。
私はウイグル人から職業を聞かれた時、記者とかライターといった言葉は使わず、翻訳業とだけ伝えることにしていた。万が一相手が警察関係者に密告した場合、面倒なことになるからだ。相手を見極め、多少の警戒をしながら声をかけていた。と同時に、逆の立場に思い至った。私が警戒しながら会話をするように、彼らも他人、ましてや外国人との会話には強い警戒心を抱いているのでは——。
「意識形態の安全性」とは?
ウルムチ中心部の観光地「新疆国際大バザール」を訪れると、中国政府のウイグル文化に対する態度が一層明確に見て取れた。高い外壁で囲まれた敷地の出入り口には厳重な手荷物検査があり、ゲートをくぐると屋根のない開放的な屋台街となっている。シシカバブやアイスクリーム、新疆ビールなどのほか、翡翠やスカーフといった土産品も並んでいる。広場中央の塔は展望台となっていて、中国各地からやってきたと見られる多くの漢民族で賑わっていた。
敷地内にはいくつかモスクが点在していたが、どれも1階部分は多数の土産物店が軒を連ねるショッピングモールのようで、とても宗教施設には見えなかった。土産物店の店主に聞くと2階部分で礼拝はできるというが、上へと行けるような階段はどこにも見当たらなかった。喧騒の絶えない観光客のすぐ上で、厳粛な祈りが捧げられるとも思えない。建物としてのモスクは確かに存在するものの、宗教的な意味合いはほとんど失われ、テーマパークのようになっていた。人々の生活に根ざした本物のイスラム教ではなく、観光客向けのイスラム。中国政府が求めているのは、そういうものだった。
ウルムチでは、是非行ってみたい場所があった。「新疆の反テロと脱過激化のための闘争展(反恐怖去極端化闘争主題展)」なる展覧会だ。中国政府は新疆で発生した抗議運動あるいは暴動を〝テロ〟と位置付けており、展覧会では暴動鎮圧の歴史について説明されているという。23年6月に駐大阪中国総領事館が企画した新疆への日本人団体ツアーでも訪問先の一つとして選ばれ、参加者の日本人男性は新疆における〝テロとの戦い〟に大いに理解を示していた。暴動が発生した経緯や現場で実際に使われた武器なども展示されているらしく、弾圧する側の考えを知ることができそうな場所だった。
現地報道によると、展覧会は市の中心部から車で20分ほどの場所にある「国際金融展覧センター」で実施されたという。だが、ネット検索してもそれらしい情報が見当たらず、電話をかけても繋がらない。タクシーで現場に行ってみると、広大な敷地の中心に巨大な円形の建物が鎮座していたが、正門は施錠されていて無人状態。炎天下のなか15分ほど歩いて裏門へ回ると、通用口に日除けテントが張られ、数人の警備員がたむろしていた。だが、
「そのような展示はやっていない。上層部からも知らされていない」
と言われるばかり。館内にも分かる人はいないという。食い下がって質問を繰り返すと、
「この前は新華社通信の記者が来た時に開催したが、基本的に政府関係の団体ツアーやプレス対応の時にしか、公開していない」
次はいつ公開するのかと聞いていると、警備員の一人が奥のほうから警官を連れてきた。面倒なことになると困るので、簡単な職務質問に答え終わると、諦めてホテルへ戻った。どうやらこの展示は外国向けのもので、自国民に見せるものではないらしい。自国民には、暴動があったことすら知って欲しくないのかもしれない。
ウルムチ市は人口400万人を有する大都会で、漢民族の割合も大きい。今後の行き先として、なるべくウイグル人の多い郊外を目指したかった。行き先を決める参考にすべく各地の人口統計を調べようと「新疆ウイグル自治区図書館」を訪ねた。外観は東京都立中央図書館ほどのかなりの規模があり、2019年にリニューアルしたばかりでピカピカだった。
ウイグル語の書籍コーナーを見てみると、建物の一角に4〜5棹の書棚が並んでいるだけで、冊数は非常に限られていた。全体の10分の1にも満たない。しかも、習近平国家主席の顔が印刷されたものや、赤い表紙に屈強な農民のイラストなど、見るからに共産党色の強いものが多い。来館者も、大半は漢民族のようだ。
ウイグル語の新聞も少なからず置かれていたが、一面で使われている写真は習近平の動向やロケット打ち上げといった、中国共産党の正統性や国家の偉大さを強調するものばかりだった。建物は5階建てで、最上階は「赤い本の部屋(紅書房)」と名付けられ、マルクス・レーニン主義や毛沢東思想といった、中国共産党の統治理論に関する書籍の専用フロアだった。中国各地の図書館ではこうした書籍は必ず置いてあるものだが、フロア全体を使うのは珍しい。この地域に中国共産党のイデオロギーを強力に根付かせようとする意志を感じた。
統計資料を読めば、新疆の人口の推移や民族の分布、平均収入、家族構成などが分かるはずで、そうすればより正確にこの社会の全体像が捉えられる。西日本新聞が2021年にスクープとして報じていた「新疆ウイグルでは不妊手術の件数が急増していた」という事実についても、元データを辿ってみたかった。だが、レファレンスカウンターにいたウイグル人風の女性スタッフに尋ねると、残念そうな顔で一枚の紙を渡された。
「意識形態の安全性を保証するため、地元関連の文献は閉架されています。閲覧を希望する際は、あなたの所属する組織に文書を発行してもらい、閲覧理由や用途について明記した上で申請して下さい。申請が承認されれば、閲覧可能です(※傍点は筆者による)」
統計資料は4階の「地方文献コーナー」にあるそうだが、来館者の所属先や資料の使用目的を明示しなくてはいけないという。しかも、仮に申請が通ったとしても書棚を自由に歩き回ることはできず、事前に申請した書籍しか見ることができないとの説明だった。
「意識形態の安全性」とは奇妙な言葉だが、現地のニュースで時々出てくる言い回しで、意訳するなら「健全な思想」といったところだろう。中国当局の発行する統計データが客観的で正確なものだとしたら、この土地の客観的事実を知ることは、不健全な思想に繋がることを意味する。たとえば香港では近年、民主化デモや天安門事件に関する書籍が次々と撤去されている。彼らの言う「健全な思想」とは、いったい何なのだろう。
ならば大型書店はどうか。4階フロアを持つ市内の「新華書店」で新疆の社会や歴史に関する本はないかと尋ねると2冊しかなく、そのうちの一つ『簡明新疆地方紙』のページをめくと、漢代の張騫派遣や西域都護府の設置といった古代〜前近代に関するものが9割を占め、現代史はほんの数ページのみ。「中国共産党による指導と新疆の平和的解放」という小見出しで、1949年に新疆省人民政府が成立する時点で終わっており、取ってつけたように習近平の父・習仲勲の新疆との関わりを記述して終わっていた。この土地は、近代史がほとんど抹消されているのだ。
店内にはウイグル語の書籍や雑誌、絵本なども並んでいたが、数量としては全体の1〜2割に過ぎなかった。
詳細は大きくぼやかすが、ウルムチ滞在中には元大学教授の経歴を持つウイグル人にも出会った。その人は長期間の海外留学を終えて数年前に地元に帰ってきたが、現在は研究職とはほど遠い職業に従事していた。いわゆるブルーカラーでこそないものの、大学教授と比べたら大きくキャリアダウンしたと言わざるを得ない。海外留学までしたのに、いったい何があったのか。
レストランで食事をしながら雑談し、不可解な人生設計に疑問を投げかけたが、相手は困ったような顔をして「見聞を広げたかったからです」と曖昧に答えるだけだった。私も職業を聞かれたが、「翻訳関係です」としか答えられなかった。
互いに興味を持っていて、できればもっと率直に過去の経歴や今の考えについて話をしたいのに、それができない。人狼かブラックジャックでもしているような、相手の本心を探り合う異様な空気が漂っていた。
たとえば「ウルムチは監視カメラが多いですね」と私が言えば、相手は「そうですね、安全を守るためには必要でしょう」と返す。「ウルムチもこの10年、20年で大きく変わったのではないですか?」と問えば、「ええ、まったく変わりました」と返ってくる。その時の相手の口調や表情、間合いなどから、慎重に心の奥を探るのだ。
「安全を守るため」と答えたり「まったく変わりました」と話す彼の表情は、私にはちょっと暗いように見えた。同じ答えでも、漢民族に聞けば「発展してすごく良くなりました」と恐いほど無邪気に答える。そうした脳天気な雰囲気の有無も、真意を推し量る重要な判断材料だった。
これは私が主観で勝手に読み取った思い込みなのだろうか。いや、きっとウイグル人同士でも同じ歯痒さを感じ、少しでも差し障りのある話題が出たら口を閉ざしているのだろう。
雑談を続けるうちに多少は打ち解けてきたので、ウイグルのことをもっと知りたいから新疆の各地でいろいろな人に話を聞きたいと伝えると、予言じみた口調でこう返された。
「あなたの思っているようなことは、きっとできないでしょう。南のほうに行けば、きっと数年前のウルムチの状態が見られるでしょうね。でも、田舎のほうの人は外国人を警戒するので、誰も何も話さないと思います。あなたの思っていることをするのは、とても難しいでしょうね」
ウイグルのリアルな姿を知りたいという願いを私が抱いていることを、もしかしたら、この人は見抜いているのかもしれない。そう信じて、思い切って踏み込んだ質問をした。
「日本にいるとウイグルの色んなニュースを目にするんです。良いものもあればそうでないものも。あれは本当なんですかね?」
すると彼はあからさまに目を逸らして下を向き、重苦しい声で「分からない」と答えて、何も言わなくなった。その後急に「そろそろ用事があるので」と言って、席を立った。翌日、電話やメッセージを送ってみたが、返事がくることはなかった。
◎筆者プロフィール
にしたに・ただす/ライター。1981年、神奈川県生まれ。早稲田大学社会科学部卒。地方紙「新潟日報」記者を経てフリーランスとして活動。2009年に上海に移住、2015年まで現地から中国の現状をレポートした。現在は大分県・別府在住。著書に『ルポ 中国「潜入バイト」日記』 (小学館新書)、『ルポ デジタルチャイナ体験記』(PHPデジタル新書)、『香港少年燃ゆ』(小学館)など。
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本連載は、上海在住経験があり、民主化デモが吹き荒れた香港のルポルタージュなどをものしてきた西谷格氏による、中国・新疆ウイグル自治区の滞在記…