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西谷格「中国大陸の一番遠いところ」一九八四+四〇 ウイグル潜入記 #1

本連載は、上海在住経験があり、民主化デモが吹き荒れた香港のルポルタージュなどをものしてきた西谷格氏による、中国・しんきょうウイグル自治区滞在記です。少数民族が暮らす同地は、中国当局による監視が最も厳しい地として知られています。
※有料連載ですが、#1~#3は無料です。

プロローグ

 なぜ新疆に行ったのかと考えると、一言でこうだと言い切れないところがある。未知の世界を見てみたかった、と言ってしまえばそれまでなのだが、中国大陸の「一番遠いところ」がどんな場所なのか、旅行がてら見てみるかと思ったのが発端だった。

 新疆ウイグル自治区には、2014年に中国に遊びに来ていた日本の友人たちと4日間ほど滞在したことがあった。当時、私は中国・上海に住んでいて、現地在住のフリーライターとして活動していた。旅好きの彼らから新疆に行かないかと誘われて、こういう機会でないとなかなか足を運ぶこともないだろうと思い、上海から飛行機で首府ウルムチへと向かったのだった。

2014年当時のウルムチ。
街中に監視カメラはあったものの、現在より少なかった

 友人らにとっては、中国語ができる私が同行するのは心強く便利でもあっただろう。でも、いざ現地に着いてみると、私が通訳をする必要はほとんどなかった。

 夜、飛行機を降りて市内までの行き方を案内板で確かめると、バスかタクシーの二択だった。3人で割り勘にすればタクシーのほうがおトクだろうと思い乗り場へ行くと、不意に日本語が聞こえてきたのだ。

「日本人の方ですか? どちらまで行きますか?」

 驚いて声の主に視線を向けると、目の前にウイグル人の小柄な中年男性がいた。人懐っこい笑顔と流暢りゅうちょうな日本語で説明するところによると、観光地を見て回るならタクシーを丸一日チャーターしたほうが安くなり、その場合はこのぐらいになると値段を提示された。正確には覚えていないが、その金額は破格とまでは言えないものの、かなり良心的なものだった。

 翌日以降、運転手に案内されて砂漠地帯やえんざんと呼ばれる岩山、石窟寺院が有名なトルファンなどの観光地を巡り、羊肉の串焼きが食べられる屋台で食事をした。旅行者としては満足度の高い体験ができたが、最後まで不思議だったのは、運転手の素性である。

 まず、日本語が驚くほど自然で、観光客対応のレベルをはるかに超えていた。そして何より、空港到着と同時に私たちの目の前に現れるというタイミングの良さが不気味だ。背後に中国当局がいるのでは? と半ば冗談、半ば本気で疑ったが、真相ははっきりしなかった。


トルファン・ベゼクリク千仏洞にて(筆者)

 旅行は楽しかったけれど、観光地を回ったり友人同士で雑談に興じている時間帯が多く、もう少し現地のふところに踏み込みたい思いもあった。果物屋のウイグル人の店員に話しかけたが、中国語はほとんど通じなかった。イスラム教徒のかい族には中国語が通じたので彼らを相手に雑談すると、「ウイグル族は漢族に対する不満が強いが、回族はそれほど不満に思っていない。俺たちは言葉が通じるから、漢族と一緒に商売もしやすい」といった話が返ってきた。

 唐代のシルクロード交易により西アジアから中国に流入したイスラム教徒たちは、漢族との通婚を経て漢化し、「漢回」「回回」「回民」などと呼ばれ長い年月をかけて中国社会に根付いた。回族はイスラム教を信仰しているものの、外見は漢人とほとんど違いはなく、言語的にも漢語(中国語)を話すため漢族との意思疎通も問題ない。私の目には、ウイグル族と漢民族の中間的な存在に見えた。ともあれ、当時は現地の空気感や生活実感のようなものは感じ取る余裕のないまま、早々に上海へと戻ってしまった。

 以後、2015年に日本に帰国したこともあって新疆のことはなおさら意識にのぼらなくなったが、爆破テロや少数民族弾圧などのニュースが流れるたびに、何やら恐ろしい場所というイメージが増幅し、現地のナマの暮らしに再び興味を抱くようになった。

 コロナ禍の2020〜2021年にかけて、アメリカではウイグル人権法案やウイグル強制労働防止法が成立。新疆綿などの生産過程において強制労働といった人権侵害の疑いがあるとして、新疆ウイグル自治区で製造されたものに対して全面禁輸を行った。無印良品やユニクロなど日本企業の名前もあげられ、国内でも大きく報じられた。

 コロナ禍で中国大陸はほとんど渡航不可能の状態だったので、近い将来、規制が緩んだら新疆に行ってみたいと考えた。チベットにも興味があったが、まずはウイグルを優先することにした。

 上海や北京が中国の表玄関とするなら、新疆ウイグルは裏のお勝手口のような場所だ。外国人の数は非常に少なく、外部の目に触れることはほとんど想定されていない。だからこそ、中国の本当の姿が見えるのではないかという期待があった。裏の顔、というと言葉は悪いが、他所よそ行きの顔ではない部分にこそ、本質が現れる。

 日本で手に入る新疆ウイグルの情報は、どれもこれも恐ろしいものばかりだった。強制労働、拷問、レイプ、射殺といった言葉が並び、とても危険な場所のようにも感じられた。

 それらの情報や証言内容について、真偽を判断するのは容易ではない。ただ、事実としても、そこには事実のてき以上の”含み”が感じ取れた。敵の敵は味方、というべきか、中国政府に対する有力な攻撃材料の一つとして、「新疆ウイグル」という言葉が使われているようでもあった。行間から滲み出る反中感情が、かえって物事を見えにくくしているように思われた。

 中国を誉めるでもなくけなすでもなく、できる限りフラットに物事を見てみたい。ウイグル族と呼ばれる人々は、どんな顔をしていて、どんな服を着て、どんなものを食べて生きているのか。彼らの日常生活を知ることで、その現実の延長線上にあるものとして、新疆について考えてみたかった。

 新疆ウイグルの政治的な解説や歴史書、証言集などはあっても、現地のルポルタージュは洋書を含めて見当たらなかった。うまくいけば、歴史的価値のある内容となり、人々の知見を広げることにも役立てるのではないか。

 こんな具合に、私は6割の好奇心と3割の功名心、そして1割足らずの使命感を抱きながら、現地を目指すことにしたのである。2023年6月、香港から上海、北京へと北上しながら3年ぶりの中国大陸の空気を吸い、中国の友人たちとも旧交を温めた後、いよいよ7月、新疆ウイグル自治区へと入ることにした。


 中華人民共和国の西北端に位置する「新疆ウイグル自治区」は、中国語ではしばしば「しんジアン」と呼ばれる。新疆は「新しい土地」を意味する地名で、ウイグルは該地の主要民族「ウイグル(維吾爾)族」を指す。

 日本語で「ウイグル人」と呼ぶか「ウイグル族」と呼ぶかが、これまた悩ましい問題である。中国国内ではウイグルは56の民族の一つに過ぎないのでほぼ必ず「ウイグル族」と呼ばれるが、ウイグルの固有性や独立性を重視する人々は、「ウイグル人」という呼び名を好む。つまり、「人」か「族」のどちらを使うかによって、書き手の新疆ウイグルに対するスタンスがうっすらと滲み出るのだ。そうした面倒臭さを避けるためか、研究者のなかには敢えて「ウイグル」とのみ表記する人もいる。

 通常の新聞記事では恐らくそこまでの強い意味合いはなく、各社それぞれの判断で使っているのが現状だ。なお、英語ではウイグル族もウイグル人も、どちらも「Uyghur(ウィガー)」となる。
「表記の統一」を考えると、決して模範的な態度とは言えないのだが、本稿では敢えて「ウイグル人」と「ウイグル族」を混同させたままにした。読み返してみると、中国人視点の箇所では「〜族」、外国人視点の箇所では「〜人」となっていることが多いが、明確な基準はない。ニュアンスが微妙に異なる二つの言葉をどちらか一つに統一すると、かえって視点が一カ所に固定され狭まってしまう。それを避けたかったというのが、正直なところである。


#2 「110番したら54秒で警察はやってくる」に続く(9月16日更新)

◎筆者プロフィール

にしたに・ただす/ライター。1981年、神奈川県生まれ。早稲田大学社会科学部卒。地方紙「新潟日報」記者を経てフリーランスとして活動。2009年に上海に移住、2015年まで現地から中国の現状をレポートした。現在は大分県・別府在住。著書に『ルポ 中国「潜入バイト」日記』 (小学館新書)、『ルポ デジタルチャイナ体験記』(PHPデジタル新書)、『香港少年燃ゆ』(小学館)など。