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西谷格「110番したら54秒で警察はやってくる」一九八四+四〇 ウイグル潜入記 #2

本連載は、上海在住経験があり、民主化デモが吹き荒れた香港のルポルタージュなどをものしてきた西谷格氏による、中国・しんきょうウイグル自治区滞在記です。少数民族が暮らす同地は、中国で最も当局による監視が厳しい地として知られています。
※有料連載ですが、#1~#3は無料です。(#1はこちらから)

日本で出版されているウイグル関連の書籍

◆1章 ウルムチ

ホテルのフロントで

 2023年7月、中国・天津のびんはい国際空港から乗った奥凱オッケー航空3099便は片道1316元(約2万6320円、1元=約20円)と日本に帰国するより高額で、新疆ウイグル自治区の首府ウルムチまでの航行距離は約2500キロと天津ー東京間を上回った。途中、ねい回族自治区の地方都市・インチュアンで2時間ほど駐機したのち、丸一日かけてウルムチの地窩堡ディーウォーバオ国際空港に到着した。機体と到着ゲートをつなぐトンネル状のボーディングブリッジを進むと、ブリッジ内の壁に「新疆銀行」の巨大広告が張られ、こう書かれていた。

「新疆銀行は新疆人自らの銀行です」
「新疆銀行は新疆のために力を尽くし、新疆の実体経済に貢献します」

 新疆銀行が本当に地元民の利益を第一に考える金融機関であり、当地の実体経済に貢献しているなら、こんなスローガンを掲げるだろうかと、到着早々に引っ掛かりを覚えたが、まあいい。

 ターンテーブルから荷物を受けとり空港の出口に向かうと、通信大手「中国電信」が設置したらくのオブジェがあり、漢民族と思しき家族連れが記念撮影に興じていた。多くの中国人にとって新疆は、パスポートなしで異国情緒を味わえる国内観光地という位置付けのようだ。実際、2023年には年間2億6500万人もの旅行客が新疆を訪れている。

 空港から市内までは地下鉄で40分程度だが、手荷物検査が厳重で、X線のゲートをくぐるなど空港の保安検査並みのチェックを受けた。北京や上海の地下鉄は手荷物を機械に通すだけなので、明らかに違う。地下鉄のキップ(6元、約120円)は現金購入ができず中国の決済アプリ「支付宝(アリペイ)」を通して購入するため、移動履歴はすべて記録される。駅名の案内表示は簡体字とともにウイグル語が小さな文字で併記されており、車内では中国語に続いてウイグル語でもアナウンスがあった。

 周囲を見回すと、乗客の半数ほどは漢民族と思われたが、残りの半数は顔の彫りが深く、髪や肌は浅い褐色を帯びていた。中東系のウイグル族や、ロシア系のカザフ族といった人々で、サリーのような民族衣装風のワンピースを着ている女性もいる。ウイグル人同士の会話は漢民族に比べると総じて声のトーンや声量が低く、物腰も穏やかそうに見えた。

 市内に到着して地上に出ると、街並みは中国の地方都市と大きくは変わらず、幅広の直線道路に沿って変わり映えのない巨大なビル群が続いている。中国の都市の多くはコンパクトシティとは真逆の発想で作られており、サイズが大きすぎて街歩きがしにくいのだ。店舗の看板は中国語が大半だが、ところどころウイグル語も併記されていた。

 1泊230元(約4600円)のビジネスホテルに到着すると、ここでも手荷物を通す検査機と不審物を持っていないか調べるゲートが設置され、警備員が常駐していた。後日、他のホテルを回るとすべてのホテルに警備員と手荷物検査機が常設されていた。法規で義務付けられているようだ。

 ホテルのフロントにいた若い女性は明らかにウイグル人風の顔立ちで、声をかけると欧米人の話す中国語のようなぎこちない発音ながら、にこやかに応対してくれた。一泊しか予約していなかったので、もう一泊追加したいと申し出ると、女性は隣にいた同年代の漢民族の女性マネージャーに声をかけ、弱々しい口調でその旨を伝えた。マネージャーの反応は冷たかった。

「えー何! 何が言いたいの!?」

 彼女は露骨に顔をしかめ、子供を叱りつけるような口調で何度も聞き返した。2人の力関係の差は、明らかだった。ウイグル人の女性が必死になって「他要続住、続住」と同じ言葉を繰り返すとようやく伝わり、マネージャーは表情を変えることなく素早くパソコンのキーボードを叩いた。私はもう少しで「もう一泊したいんです」とウイグル人女性より多少は流暢な中国語で言いそうになったが、それは逆に彼女に失礼だと思い直して二人の様子を黙って見守った。

 延泊は無事に受け入れられたようだ。ウイグル人の女性は、下を向いて小さくため息をいていた。

「ウイグル語を勉強したい」

 一休みして街に出ると、時刻はすでに21時半を回っていたが、外はまだかなり明るい。北京時間を採用しているため、生活上の時間感覚と時計の時刻がまるで合っていないのだ。当地では長年「新疆時間」として北京時間より2時間針を遅らせた時計を使うことが公式に認められていたが、2023年時点では事実上廃止されたと見られる。前回新疆を訪れた2014年では広く使用されており、日本の報道によると少なくとも2016年頃までは存在していた。人権団体の報告によると、腕時計の針を新疆時間に合わせていたことを理由に、収容所に送られた男性もいたという。

 ホテル近くには「人民広場」という名の大型公園があり、多くの人で賑わっていた。2009年のウルムチ暴動の起点となった場所だが、その痕跡は文字通りじんも残っていなかった。

 広場ではさまざまな民族の中高年男女が数十人ほど集まり、中東風のエキゾチックな音楽に合わせて思い思いにダンスをしていた。一見、極めて平和な景色だが、そのすぐ近くには数人の警官が立っていて、人々をじっと見守っている。

 公園の中心にはウイグル語の書かれた高さ7〜8メートルほどの巨大な石柱がそびえていた。台座には中国語で「1949年、全国人民解放戦争は決定的勝利を収め」から始まる文言があり、「解放軍は国民党による反動を終結させ、新疆の各民族を解放し、新疆の歴史に新たなる幕を開いた。解放軍が新疆の創建に果たした偉大な功績は、永遠に輝き続けるだろう。新疆各民族の人民たちは、新疆解放のため犠牲となった革命烈士たちを永久に忘れてはならない」と続いていた。第二次世界大戦直後に中国共産党と国民党の間で勃発した「国共内戦」で犠牲となった軍人たちをまつる石碑だった。

 新疆ウイグル自治区には少なくとも紀元前のいんしゅう時代からテュルク系民族と呼ばれる遊牧民が居住しており、10世紀頃にイスラーム化した後、18世紀に清朝の支配下に入った。19世紀後半〜清朝末期にはムスリムによる「回族蜂起」が発生したものの平定され、1884年に新疆省がおかれて中華民国へと引き継がれた。戦間期と第二次世界大戦末期にはテュルク系民族による独立国家「東トルキスタン共和国」が誕生したが、いずれも短命に終わった。台座の石碑に彫られていた「決定的勝利」とは、この時期のことを指す。この一連の過程を「侵略」と呼ぶべきか「解放」と呼ぶべきかは議論の余地があるものの、ここでは保留としておく。

 翌日、ホテル周辺の街中を歩くと、警官の数が異常なほど多いことに驚いた。大通りのあちこちにパトカーが停車して周囲を見渡しているほか、武警(武装警察)と呼ばれる軍隊仕様の装備を身につけた装甲車もしばしば見かけた。キャタピラこそないものの、一見すると戦車のようである。装甲車の上からは、迷彩服に身を包みサングラスをかけた男が、長銃を構えて市民たちににらみを利かせている。ピクリとも動かないので、最初は人形かと思ったほどだ。武装警察と同等の軍隊並みの重装備に身を包んだ反テロ組織「特殊警察」もしばしば目にした。

 徒歩でパトロールをしている警官とすれ違うことも頻繁にあり、これほど警察が密集した空間は日本でも中国でも目にしたことがなかった。おおよそ1ブロックおき、時間にして5分おきぐらいに何かの警察組織と出くわすのだ。レストランでラグ麺を食べていると、隣の席にじゅんと書かれた軽装の警官が着席することもあった。あらゆるタイプの警察が大集合しており、街全体が警察組織の見本市のようだった。

 さらに「便民警務站」と呼ばれる日本の交番とよく似た建物が数百メートルおきに立ち、中国国旗をはためかせている。交番と言っても日本のように気軽に立ち寄れる雰囲気はなく、窓や出入り口は鉄格子で覆われ強い威圧感を放っている。大通りや交差点にはところどころ「110報警点(110番通知スポット)」と書かれた大きな看板が掲げられ、看板に表示された5桁の数字を告げれば細かい住所を知らなくても警察に場所を伝えられる仕組みになっている。1秒でも早く警官が現場に到着できる仕組みが整えられているのだ。なお、中国で警察を呼ぶ際の緊急通報は、日本と同じ「110」である。

 2017年に新疆トップの陳全国ちんぜんこくが抜き打ちで110番通報したところ、わずか54秒で現場に到着したという。いつでもどこでも、すぐ隣に警察がいるという感覚だ。

 監視カメラの数も尋常ではなかった。電信柱や店舗の出入り口など、頭上を見渡すとほぼ常に監視カメラが目に入る。ホテルから一歩外に出たら、すべての行動が記録されていると意識しなくてはいけない。安全と言えば安全だが、これほど大量の警察権力と監視カメラを投入しないと社会の平穏が守れないという意味でもある。

 中国国旗の数も不自然なほど多い。飲食店や屋台が並んでいた小道の街灯はすべて中国国旗をデザインしており、赤々としたLEDライトが何十基も連なっていた。

 ただ、街そのものは中国の一般的な都市と大きく変わらず、幅広の道路に商業ビルや飲食店が乱立し、その隙間を埋めるように集合住宅が建っている。新疆料理のレストランが目立つことや、ウイグル語の表記をしばしば見かけること以外は、都市インフラに大きな差異は見出せなかった。新疆らしい大自然を堪能するには、ウルムチから車で2〜3時間ほど郊外に出る必要があったが、私は大自然には特に興味がない。

 警察の厳しさと言えば、安価なホテルに泊まろうとした際、フロントの女性からこんなことを言われた。

「外国の方ですか。部屋はありますよ。ただし、今から人民警察を呼ぶので職務質問を受けてもらえますか」

 年齢や職業、中国渡航の目的や今後の行き先などを聞かれるようだ。旅行であると伝えれば特に問題は起きないはずだが、少しでもリスクを減らしたかったので、あきらめた。これまで中国各地で数えきれないほど何度も宿泊したが、こんなことは初めてだった。

 一泊110元(約2200円)の安宿を見つけたので移ろうとしたが、こちらは中国人専用だった。外国人を貧弱な施設に泊めるのは国としての体面が悪いからなのか、中国では安価なホテルはしばしば自国民専用となっている。簡素なフロントにいたくせ毛の若いウイグル人男性に、「責任者に直接相談したい」とダメ元でお願いすると、漢民族の女性の座る部屋へと案内してくれた。社会の上層部を漢民族が取り仕切り、ウイグル人は使われる立場にあるという構図は、このホテル以外でもたびたび目にした。

 結果はやはり不可だったが、帰り際に男性にウイグル語を教えてもらった。何度も聞き返しながら「ヤクシムスィース(こんにちは)」「レフメット(ありがとう)」とオウム返しに繰り返すと、相手ははにかむような笑みを浮かべ満足そうに頷いた。一瞬、その瞳の輝きが増し、心の距離も一歩だけ縮んだ気がした。

「ウイグル語を勉強したいんです。もっと教えてもらえませんか?」

 現地のウイグル人と仲良くなるにはどうしたらいいかと思っていたのだが、「ウイグル語を教わる」という口実があれば、信頼関係が築けるのではないか。だが、彼は困惑した様子で目をらし「いや、その必要はないよ」と首を振った。中国人であれ日本人であれ、あるいは欧米の人々であれ、あなたの話す言葉を勉強したいと外国人に言われたら、気をよくして喜ぶのが普通だ。彼は違った。自分たちの母語は学ぶ価値がないとでも言いそうな、寂しげな顔だった。

 それでも、これらはまだ違和感の始まりに過ぎなかった。

#3「人狼か、ブラックジャックか」に続く(9月23日更新予定)

◎筆者プロフィール

にしたに・ただす/ライター。1981年、神奈川県生まれ。早稲田大学社会科学部卒。地方紙「新潟日報」記者を経てフリーランスとして活動。2009年に上海に移住、2015年まで現地から中国の現状をレポートした。現在は大分県・別府在住。著書に『ルポ 中国「潜入バイト」日記』 (小学館新書)、『ルポ デジタルチャイナ体験記』(PHPデジタル新書)、『香港少年燃ゆ』(小学館)など。